1-118.目覚め
エリエラは目を開けた。
仰向けになっているせいで、肩や背中、腰に床の冷たさが伝わる。
体を起こすと、厚手の布が敷物になっていることに気づく。それは、ゲイドラが纏っていた白鯨騎士団のマントだった。
朦朧とする頭を左右に振ると、編んだ髪から下がるジュエルチェーンの髪飾りが、シャラシャラと音を立てる。聞き慣れた音が、意識を現実に連れ戻してくれた。
顔を上げれば見上げるばかりの巨人が、オリーブ色に透けた体を揺り動かし、長く巨大な腕を空中で繰り返し振り回している。
跳んでいる羽虫を叩き落とそうとしているようだ。
「いえ、あれは、翼の生えた人?」
すぐ目の前の光景かと思ったが、そうではなかった。視線を落とした先、巨人の足元で見上げる小さな人影がゲイドラであり、空中を舞っているのがレオンだと気づいたからだ。
レオンは金色の翼を操り、自在に舞いながらサーベルを振るう。その刃は傷を刻むが、巨人の動きを止めるには至らなかった。
エリエラが立ち上がろうとした時、大地が鳴動する。
地面は激しく揺れ、思わず両耳を手で塞ぐほどの轟音が響く。
雷鳴のような音を立て、エリエラの左手側、奥の空間がせり上がっていく。
小さな丘ほどの隆起はとどまることを知らず、高さを増し、両端は闇の中へ伸びていく。中央は緩やかに尖り、そこから両端へ向かって稜線が下がる。
エリエラには、この形に見覚えがあった。
気を失う前に見た、浮上する水底の山。
橄欖石の床が徐々に透け、深い水底が顔をのぞかせる。
そこには、水面まで迫り、視界に納まらないほど大きな山の峰があった。
「これ以上来てはいけません! 世界が壊れてしまう!」
両耳を手で塞いだまま、咄嗟に叫ぶ。
音が消えた。
地鳴りも、揺れも、せり上がる橄欖石の山もぴたりと止まった。
入れ替わるように、周囲から橄欖石の割れる音が沸き立つ。
半透明なオリーブ色の岩が生え、伸び上がって頭を形作る。肩が、腕が、胴が、そして足が生まれた。大きさを増していく体表には、小さな針のようなクラスターが生え、身体と共に大きく育っていく。
それらは、レオンが相対する全長八十メートル程の巨人と比べても、なんら遜色のない図体をしていた。
周囲を取り囲まれたのを察し、ゲイドラがエリエラの方へ振り返り、ランスを肩に乗せ彼女に向かって駆ける。
巨人たちの出現に、レオンは空中に静止するように羽ばたき眼下を見渡した。無数の巨人が橄欖石の床から生まれ、まるで周囲を囲むように配置されている。
相対していた巨人の後方、入口方向に倒れた白い甲冑の騎士を二人発見する。見慣れた鎧は、ここまで引き連れた部下のものだ。
レオンは闇の中を泳ぐように、舞い上がる。巨人の手が届かぬ高さに留まり目を伏せた。
ひと時、祈りを捧げる。ここまで己を信じ、勇敢に戦った騎士の魂が、愛する人の元を巡り、世界樹のもとに還れるようにと。
目を開いたレオンは、戦場を鳥瞰する。
淡く光る大地のように広がる橄欖石の床に、この瞬間も巨人が芽吹くように生え、景色を埋め尽くすように乱立していた。黄金の瞳を歪め、歯ぎしりする。
「時を費やせば砕けようが、これでは鍵を失う。しかし、それでは、陛下の命を果たせぬ! この究極の兵器どもを陛下に……!」
ふと、視界が闇に染まる。
巨人が跳び、レオンの頭上から腕を振り下ろしていたのだ。列車ほどもある腕がかすめ、レオンは弾き飛ばされた。
金色の羽が散り、錐もみしながら落下していく。
「若―! お気を確かに!」
エリエラの傍らで見上げるゲイドラが叫ぶ。
レオンは翼を広げ、空気を掴んで羽ばたき、空中で姿勢を立て直す。
巨人の返す手が伸び上がり、レオンを握りつぶそうと突き出される。
「無礼な人形めが!」
瞳に怒りが宿り、放たれたサーベルが弧を描く。
羽ばたく騎士は白刃の残光を帯び、巨人の手の平からするりと抜け出した。
巨人の人差し指から小指、四本の指が根元からずるりとずれ、手から離れて落ちる。
黄金の翼が羽ばたくたびに速度を増し、巨人の手首から二の腕、肩、胸へと、白刃が刻む一条の光が奔った。
碧銀核が鼓動する左胸部に至り、レオンは渾身の一撃を振るう。
岩盤のように重厚で分厚い巨人の胸を、サーベルは深々と切り裂き、折れた剣身が突き刺さった。内部の碧銀核は遠く、切っ先すら届かない。
背後から、指を失った手の平が迫る。
レオンは羽ばたき、真下へ急降下する。
右手に握ったサーベルの折れた剣身に目をやり、眉間に深々と皺を寄せた。
「陛下から賜った剣を折ってしまうとは、なんということか! ……私としたことが、怒りに身を任せるとは、愚かな真似をしたものだ」
レオンは頬に貼りつく金色の髪をかき上げ、急降下していく。
滑空して巨人の体を離れると、ゲイドラとエリエラの頭上まで降り、翼を羽ばたかせて空中に留まった。折れたサーベルを鞘に納め、ゲイドラの目を見る。
「ゲイドラ、退くぞ。体制を立て直す」
「はっ」
巨人の追撃を警戒する二人の背後で、数度の爆音が響く。
振り返ると、巨人の左膝で閃光が瞬いた。炎が拡散し、爆音が広がる。
足元ではアズレイとロロカが、降り注ぐ巨人の残骸を避けながら、次の起爆の機を狙っていた。
猫のように残骸の間を駆けるロロカは、アズレイの傍らでぼやく。
「こんなタフなやつ相手してたらこっちが先にバテっちまうよ。どうすんのさ。あっちのもぶっ殺すのかい?」
殺意の宿る金の瞳がすっと細まり、レオンとゲイドラを捉える。
アズレイは離れた場所で横たわる白鯨騎士二人を一瞥した。
「そこの二人で十分だ。これ以上は、エンブラ本国の猜疑心を呼ぶ。退くぞ、爆薬も残り少ない」
「んじゃ、逃げんのかい?」
「まだだ。本国への目くらまし程度に働く。勝手について来て、勝手に死ぬなよ、ロロカ」
「けっ! こんな石っころにシュゴ族がやられるわけないだろ!」
虫を踏みつぶそうとするように、巨人は足で床を踏みつけるが、ひらひらと身をひるがえす二人にはかすりもしなかった。
その踏みつける足音とは別に、橄欖の間に音が生まれる。
地鳴りのような足音が、輪を狭めるように闇の向こうから迫っていた。
レオンの頭部から一筋の血が流れ、大理石の彫刻のような顎を伝って滴り落ちた。
「喜べ、ゲイドラ。死地だ。陛下の剣たる新時代の英雄に、相応しい試練と思わんか」
「はっ! 我が槍が、若の輝かしき道を切り開きましょうぞ!」
ランスを掲げるゲイドラ。
その横で、エリエラは重ねた両手を胸に当て、静止する山に鋭い眼差しを向ける。
押し寄せる地鳴りの如き声の主を、心の中で必死に押しとどめていた。
声にならぬ己の意思を乗せた声が、祈りとなる。
エリエラは自身の祈りが、重なる世界を押しとどめていることに気づき始めていた。




