1-112.凶刃、煌めく
ロロカは退屈だった。
猫に似た獣人の少女は地面に座り、手持無沙汰に待機する墨影兵の列を眺めている。
リクセンは動きこそ速いが、ただの人形と変わらず、狩人の本能を満足させる血の滾りがない。
何か面白みがあるかと、試しにアズレイの真似をして碧銀核だけを抜き取ってみたが、手が痛いだけで何の楽しみも見いだせなかった。
彼女の目に白目は無い。黒真珠のような眼球に、金色の瞳が瞬いていた。
悪戯っぽく笑う口元からは、八重歯というには大きすぎる牙が覗く。頭には縦長の猫耳がピンと立ち、雪のように白い肌を、無造作に切られた同じく白い髪が縁取っていた。大型猫科動物並みの爪が生えた手は、華奢な体の少女にしては非常に大きい。足も同様に大きく爪が生え、革サンダルから大きくはみ出している。
肌には薄桃色の産毛がびっしり生え、顔には黒い隈取りがあった。これは、シュゴ族が重銀を食らい、獣化した証。
ロロカは碧銀核をナイフのような爪でつまみ上げ、噛みつく。
拳大の碧銀核は、奥歯で噛むには大きすぎた。
うまく噛めない。
「あがっ。はがっ。んがっ。んぐっ。んがっ?」
「もう重銀玉は食ったろう。まだ食うのか」
「うご……んあ。牙が刺さるけど砕けないんだよねえ。うまそうなのにさあ。アズレイ、半分に割って」
「だめだ」
「あ」
ロロカの手にあった碧銀核を、アズレイがひょいと取り上げた。
全身を包む真っ黒な忍び装束。額には左の角が折れた鉢がね。大きな牙を剥き出し、かっと口を開いた夜叉の面頬の下には、古傷が刻まれた骨太の顎が覗く。腰帯には、墨影兵の間で、【黒刃】と呼ばれる一振りの小太刀を帯びる。
歳は壮年の終わり、体つきは大きくないが、低く沈んだ声と熱を帯びない口調は、枯山水にある苔むした岩のように、無窮の静寂と、その奥底に秘めた雄大な流れを連想させた。
アズレイは忍び装束の袖で碧銀核についたロロカの涎を拭い、手にしていた大きな革袋へ放り込んだ。膨らんだ袋の中で、碧銀核がガチッと音を立てる。
「なあなあ、アズレイ」
「なんだ」
「アズレイくらい達人ってやつだとさ、殺気っての、わかるんだろお?」
「無責任な武勇伝にあてられたか。殺気など、存在しない」
「壁の向こうから殺気が漏れておるわー、とか言いそうじゃないか。わかんないのかい?」
「そんな千里眼の如き力が存在すれば、至高の奥義と言える。仮に殺気などというものがあるなら、感知する者ではなく、感知できるほどに発する者が優れているのだ」
「ふーん。じゃ、あたしのが達人ってやつらよりすごいってこった」
「西のあれか」
「はあ⁉ わかってんじゃないか! 殺気がないって話はなんだい!」
「常に五感を研ぎ澄まし、つぶさに変化を拾う。それだけだ」
「じゃ、やっぱりあたしのがすごいじゃないか」
「お前の鼻と耳は、人とは比較にならん。数はいくつだ」
ロロカはピンと立てた耳をしきりに動かす。
猫型の大きな耳は、人間には聞こえないわずかな音も逃さなかった。
「わっかんね。ワサワサしてるけどさあ、多すぎて数えらんない」
「十以上か」
「百以上だよ! バカにすんな! あ、やっぱ千以上かもなー!」
彼女の言葉が終わると、数十メートル先、広場に面した建物群の陰や屋根から、オリーブ色の顔が無数に現れた。
直後、ヘビークラストの編隊からなる重殻機兵隊が救出を進める地点から、悲鳴が上がる。
白鯨騎士エンザリクが、ヘビークラストの背にサーベルを突き刺していた。
アズレイが墨影兵に向けて叫ぶ。
「兵に告ぐ! これ以上の戦闘は無益! 撤退!」
忍び装束の墨影兵達は「はっ」と小さく答え、音もなく遺跡群の東側へ走り去る。
最後尾の一人へ、アズレイは碧銀核の詰まった革袋を投げ渡した。
ロロカは地面に腰を下ろしたまま動かない。
「お前も行け、ロロカ。兵としての任はここまでだ」
「はあ~? バカ言うんじゃないよ。こっからなんかすんだろ? やばそうなことをさあ! 赤毛に手を出すなって言うし、さらにこのまま帰れってかあ? 爪がムズムズすんだよなー!」
「火武衣を纏う男だ。何かある。殺すのは今ではない」
「かむい? って、なんなのさ?」
「炎の化身、その証だ」
「はあ?」
アズレイの目が、エンザリクを捉える。
熱を感じさせない、銀水晶のような瞳。
エンザリクは膝をついたヘビークラストへ、再び刃を振り下ろしていた。
おもむろに歩きだすアズレイ。
ロロカは座ったまま跳ね上がり、くるりと宙で一回転すると、アズレイの横へ音もなく着地した。
救助活動にあたっていた重殻機兵隊、第七小隊。
その一機、黒い装甲で覆われたヘビークラストの胴体を、白銀の刃が貫いた。
血に染まる白刃を握るエンザリクを、三機のヘビークラストが取り囲む。
白い甲冑の騎士と、三体の人型兵器。体格はほとんど変わらない。
一機が凶行を取り押さえるべく接近する。
『やめろ! このやろう!』
「私に触れるな! 下郎が!」
接近したヘビークラストの右アームが、肘部分から切断される。
切断面からオイルが噴き出した。
『う! な! ばかな! このヘビークラストが!』
「そこはまだ機械だけか。バナーバル自慢の機械兵も、解体してしまえば猪や鹿と変わらぬ。リクセンをいくら仕留めようが、このエンザリクの方が上であるな」
『こいつ、装甲のつなぎ目を狙って斬ったのか!』
『動いてる相手をそう上手く斬れるか! 力ずくで捕獲するぞ!』
一機がエンザリクへ突進する。
腰部、大腿側面部、下腿後部から高圧ガスを噴出し、ヘビークラストが加速。
全長二メートル半、総重量七トンの金属塊を、エンザリクは大楯で受け止める。
祝福を受けて強靭さを増し巨大化したエンザイクの肉体は、人型外重殻兵器【ヘビークラスト】と比較しても何ら遜色なかった。
衝撃を一手に引き受けた白い重銀靴が、石畳を砕き、踏み抜いた。
エンザリクは沈んだ姿勢を利用し、大楯でヘビークラストを受け流す。
巨体が横倒しになる。
別の機体がアンカーバスターの切っ先を向け、発射。高速で撃ち出された杭は大楯の表面を滑り、空を貫くだけ。
「タネさえ分かっていれば、造作もない!」
エンザリクはその言葉通り、次々と攻撃をいなし、機体を組み伏せると、四機全ての両膝を切断してしまった。
ヘビークラストは肘から先と膝から先まで、搭乗者の手足が届いていない。
切断された部位は機械のみ。
大楯とサーベルを構えた白鯨騎士は、倒れた機体たちを冷たい目で見下ろす。
止めを刺すべく、一機の傍らへ歩み寄った。
「武功を上げるのに、小細工を弄するまでもなかった。私としたことが、己の力を過小評価し過ぎていた。こやつらと、墨影兵、リクセンもすべてこの私一人で」
補給を終えた第三小隊が事態に気づく。
四機編成の一部隊が、エンザリクの元へ向かった。
第三小隊から離れた位置、遺跡群入口で補給を受けている第四小隊。その内の一機が、スナイパーライフルのスコープにエンザリクの姿を捉えた。
照準を頭部へ重ねる。
『よくも仲間を! こんな野郎、やっちまったほうが……ちっ!』
スコープの先が白く染まる。
エンザリクの周囲に白煙が立ち込め、その姿を飲み込んでいった。
突如湧いた煙幕は、さらに広がっていく。
「煙幕か?」
エンザリクは視線を巡らせ、周囲の煙を見渡す。
手にしたサーベルの切っ先すら見えなくなった白煙の中、正面に黒い人影が浮かぶ。
左角が折れた鉢がねに、牙を剥く夜叉の面頬。
アズレイだ。
「南起筋の頭領か。何の用か? 貴様も首が欲しくなったか?」
「もとは同胞であった我らの祖先は貶め、己らは神の傍らにはべる天使か。哀れな」
「力なき者はいつもよく吠える。いや、貴様の命であれば、団長たちも喜ばれるだろう。愚かな一族め。我が武功のたしにしてやるぞ!」
エンザリクはサーベルの刃を返すと、アズレイの首を狙い突く。
直後。
低く重い激突音が響いた。
音に叩かれ、白煙が震える。やがて、ゆっくりと流れていく。
急行した第三小隊が消えかけた煙幕へ接近すると、中からエンザリクが姿を現す。
両手を前へ突き出し、覆いかぶさるように乗り出してきた。
第三小隊が構えていたガトリング砲が火を噴く。
グラネクス徹甲弾が、白銀の甲冑を紙のように貫いていった。
同時に、兜の隙間をスナイパーの弾丸が撃ち抜く。
白鯨騎士エンザリクは膝をつき、両腕をだらりと垂らすと、仰向けに倒れた。
兜の中から血が溢れ、甲冑の胴体にはガトリング砲による無数の弾痕。
そして胸部プレートの白鯨の紋章は砕かれ、露出した胸には、折れたサーベルの刃が深々と突き刺さっていた。




