1-109.山を裂く者と眷属②
寄り合い所の室内。
石の床に倒れていたキトが目を開ける。
顔を上げると、崩れた天井から青白い明かりが差し込み、倒れる人々と、人の背丈を超える無数の石材が床を割って転がっていた。
石材の陰には、横たわる人らしき影も見える。
うつ伏せになっていたキトは、身体を起こそうとした。
しかし、何かが覆いかぶさり、重く、動けない。
ギィィィィィィィイィィィィィィィッツ!
ガラスが擦れるような轟音。
耳をつんざく音が、遺跡群のある空洞内にこだました。
壁が震え、石の床まで振動する。
キトはたまらず両手で垂れ耳を抑えた。
「なんだあれは! 動いてるぞ!」
男の声が響いたが、身動きの取れないキトには声の主がわからなかった。
顔のすぐそばに、自分の体よりも大きな石材が落ちてくる。
思わず顔を伏せた。青いワークキャップと、古ぼけたゴーグルに石の破片が降りかかる。
「う、ううう、ど、どうしよう。どうしよ……どうしよう……うう……」
こみ上げる恐怖で涙が溢れる。
体をよじり、ゴーグルを下ろして装着した。
ゴーグルに両目を覆われると、わずかに不安が薄れた。
だが、体が動かないのは変わらない。
助けを呼んだ方が良いのか。迷ったその時、背中を押さえつけていたものが動いた。
「ひ」
潰される! キトは肩をすくめて体を強張らせる。
「どぉおぉぉぉぉぉすこいぃぃぃぃ!」
太い掛け声と共に、背中を押さえていた重さがふっと消える。
振り返ると、スキンヘッドの巨漢、ドデイが白い大楯を持ち上げていた。
「無事か! ちっちぇえの!」
「う……うん……うう……」
「壁にかけてあったこの楯、降ってきた石を防いだみたいだ。ついてんな、おめえ、女神様に愛されてるぜ!」
大楯を地面に転がし、ドデイはキトを左手でひょいと持ち上げて立たせる。
そのまま室内を見回し、瓦礫の下敷きになった作業員たちの救出を始めた。
大の大人ほどもある石を両腕で抱え、次々に持ち上げていく。
他の作業員も加わり、救出が進む中、再び叫び声が上がった。
「そ、外になんかいるぞ! デカいのが!」
キトの近くにいる男が天井を指さしている。
その指先を追って見上げたキトの体が、ぴたりと止まった。
建物の奥、西側の天井が、壁ごと無くなっている。
ぽっかりと開いた隙間の向こうで、半透明なオリーブ色の太い柱が動いていた。
自然岩のように荒れた表面。先端は丸みを帯び、所々から棘のようなクラスターが生えている。
柱は上下左右に揺れ、隙間から消える。直後、同じような別の柱が横切った。
「手、手だ……。この家より大きい手が……俺たちを捕まえようとしてるぞ!」
一瞬の静寂。
次の瞬間、絶叫が室内を駆け巡った。
救助に当たっていた人たちは我先に入口へ殺到する。
キトは震えたまま動けない。
だが、地震で歪んだ扉に噛み込んだ閂が動かなかった。
「どけどけ! このドデイ様に任せろや!」
ドデイが男たちを掻き分け、閂に手をかけると、渾身の力を込める。
スライドするはずの鋼鉄の閂は、びくともしない。
「ドデイ様を! なめんなよおおおお! どぉぉぉおすこぃぃいぃっ!」
バガンッ! 閂が、固定していた金具ごと引き千切られる。
ドデイは閂を投げ捨て、その巨体を鋼鉄の扉に叩きつけた。
二枚の扉が外側へ弾け飛ぶ。
「よっしゃ! 出ろ出ろ!」
周りの作業員を促しながら、ドデイは室内を振り返る。
上を見上げたまま固まるキトに叫んだ。
「おぉい! ちっちぇえの! こっちこい!」
キトは天井を撫でるように削る巨大な指先から目を離せない。
削られた天井が瓦礫となり、部屋の奥から次々に崩れ落ちてくる。
ドデイは震えるキトの元へ走る。
その背後、外へ避難した作業員たちの悲鳴が上がった。
「ぎゃあああ!」
「なんだこいつ! さっきの!」
「ひいい! 助けて!」
ドデイが振り返ると、開け放たれた扉の外で作業員たちがリクセンに襲われていた。
四つん這いで地面を這い、せわしなく動く四肢は人のものとは思えない速度だ。逃げる作業員に飛びつき、サーベルのような腕で体中を突き刺していく。
その奥では、ヘビークラスト達がリクセンにまとわりつかれていた。
高速で地面を滑り、機体に群がるリクセンを振りほどく。だが、地面へ着地したリクセンはさらに速い。四肢で這いずり回り、跳び、再びヘビークラストへまとわりついていく。
「ど、どうすりゃいいんだ。くそったれめ!」
ドデイは足元に転がっている大楯を拾い上げ、眉間に深い皺を刻む。
室内へ視線を戻せば、建物の裏側はもうほとんど壁が無かった。
迫る巨大な右手は、棚の上のおもちゃを探る子供のように左右へ動く。指先が形の残る家を撫でるだけで壁が崩れ、手のひらに収まった建物は、そのまま握り潰されていく。
屋根の上から、子犬のような吠え声が届く。
「ウォン! ウォンウォンウォン! ウォンウォン!」
「オライオン! 中か! キトがここにいるのか!」
崩れた屋根から、肩にオライオンを乗せたグエンが降ってくる。
石の床に降り立ったその左頬には、火焔文様が輝いていた。
キトが振り返る。
「グ、グエンさん! グエンさんだ!」
走り出したキトは、グエンの腰に抱き着く。
帽子に手を置き、グエンは穏やかな声で言った。
「おう、小さな勇者を発見だ。お前はすごいな、キト」
「うえ、う、うええええええん……」
キトはグエンのジャケットに顔を埋めて泣いた。
その肩にオライオンが飛び乗り、頬を舐める。
グエンはキトの背をさすりながら、室内を見渡した。
入口方向には人が倒れている。動く気配はない。
部屋の奥側、床に散乱しているのは瓦礫のみ。
グエンはインカムに話しかける。
『デラダン。キトを見つけた。俺の近くの壁、裏手側をぶち抜けるか?』
『よっしゃあああ! もうすぐ着きやす! タックルすりゃあいけやすぜ! うお! なんすかあのでっけえの! 裏手やべえっすよ! なんか、でっけえやつ! 手? 手っすよ! ペリドットのでっけえ手ぇ!』
『ああ、デカすぎて俺もドン引きだ。が、外もやばいぞ。デラダンは建物の真横から来てるだろ。俺から裏手に二メートル横の壁をぶち抜け。そっから、キトを連れて裏路地に入って距離を取れ。開けた場所に出るなよ、リクセン共が這いずり回ってやがる』
『りょ、了解でさあ! このままぶち抜きますぜ!』
『やれ!』
直後、グエンの目の前の壁が内側へ吹き飛ぶ。
一抱え以上もある石ブロックが転がり、砕け、床に散らばる大楯やランスにぶつかった。
崩れ落ちた壁の向こうから、玉虫色のヘビークラストがのそりと姿を現す。
『お待たせしやした!』
「よし。キト、デラダンと一緒に行くんだ。ゆっくりと話していたいが、今は外のやつらを助けてくる。エリィも見つけたが、今はこっちが先だ」
「う、うう……。うん」
キトはグエンのジャケットから顔を離す。
青いツナギの袖で、涙でぐしゃぐしゃになった顔を拭い、デラダン機へ駆け寄った。
デラダン機は片膝をつき、左腕を曲げる。
『キト、この腕に乗れ! 手の平に足乗せて、肩のでっぱりを掴め。胴体の装甲には触んねえようにな! 手ぇ挟むからよ!』
「う、うん。よっと……こ、こう?」
『おう! いいじゃねえか! 動くぜ!』
腕に乗ったキトを支えながら、デラダン機がゆっくりと立ち上がる。
キトは入口の方へ顔を向けた。
外を警戒しながら白い大楯を構えるドデイの背を指さす。
「グエンさん! あの人! あのおっきな人が助けてくれた!」
『あいつ、炙り酒にいたやつだな? 礼代わりに、ちょっと大活躍してくるよ』
「う、うん!」
『確か、ドデイとかいうやつっすよ! アニキ、あとは頼んます!』
『ああ。キトがいるから、逃げに徹しろよ』
『もちろんでさあ!』
フィィィンッとブーツ底のモーターを鳴らし、ヘビークラストは旋回する。
崩れた壁から外へ出る際、肩にオライオンを乗せたキトが、不安そうな顔で小さく手を振った。
グエンは親指を立て、笑顔で見送る。
そして入口へ振り返り、赤い房の揺れる柄を撫でた。
「さあて、不快害虫を駆除するか。虫は嫌いなんだが」
左の首筋から頬に浮かんだ火焔文様が、激しく燃え上がる。
熾火のような赤い膜が、グエンの全身を覆った。
わずかに体を沈めた次の瞬間、赤い残像を引き、グエンが駆ける。
入口に、地面を這う一体のリクセンが手をかけた。
ドデイが声を張る。
「来るなら来やがれ! ばけもんが!」
その横を、疾風の如く紅蓮の影がすり抜ける。
入口に手をかけたリクセンは、脳天から碧銀核ごと両断された。




