1-100.純朴な脅しの成果
加速する二台の速度は優に二百キロを超える。
片側三車線の大隧道路を、グエンのモービルとデラダン機は爆走していた。
グエンの肩に乗っていたオライオンは、ジャケットの中に避難している。
一気にノマドベースを通過する予定で速度を上げていたが、グエンはスロットルを緩めた。
減速し始めたモービルの横に、デラダン機が並ぶ。
『アニキ、どうしたんすか? まだ亀裂前の段差は先ですぜ』
『いや、なんか妙な感覚があってな。右側前方から……なんて言うべきか』
『妙な感覚ってなんすか?』
『見えない糸で肌が引っ張られる、というか、突っつかれるというか。ふーむ』
『虫にでも刺されたんすかね?』
『あー、その可能性も無いとは言えないが、どうも妙だ。大隧道に入る前も同じ感覚が背中にあったんだが、中に入った途端消えた』
『へえ、なんすかね。今もその感覚があるんすか?』
『ああ、右前方から、右頬にな』
『右前方っつーと、ノマドベースがありやすが。あ、見えてきやしたぜ。けど、急いだほうがいいんじゃねえっすか? 二人がどこにいるかもわかんねえ状態っすよ』
『確かにな。だが……』
グエンは首を傾げる。
その感覚は、ある一点を中心に固定されているような気がした。
見えない糸がどこかへ固定され、一定の張力を保っている。
いわば、釣り糸を繋げられたまま泳ぎ回る魚の気分だった。
『どうも気になる。少し見ていく』
『けど、急がねえと! 姐さんとキトが危ないかもしれねえっすよ!』
『……すぐに済ませる。虫の知らせってやつかもしれない』
『ここに姐さんたちがいるかもってことっすか?』
『わからんが、何かある気がする』
黒いモービル、グランディアは速度を落としていく。
ジャケットの胸元から、オライオンが顔だけ出す。
玉虫色の人型兵器、ヘビークラストに乗るデラダンはその後に続いた。
大隧道の壁が途切れ、大隧道内に広がる広大な空間。
天井から房状のライトが幾筋も垂れ下がり、真昼のような光に照らされた地下生活拠点、ノマドベースが姿を現した。
大隧道路はノマドベース中央を貫く。
(エリィは声を聞く力があると言っていたが、こういう感覚を言っていたんだろうか……)
グエンは右手へ視線を向けながら、感覚を頼りに注視を続ける。
右手側の歩道に、鷲の彫像を冠した石柱が現れた。
その奥には、庇が焼け落ち、入口付近の屋根の骨組みが露わになった大衆酒場【炙り酒】が佇んでいる。
徐行速度まで落とし、グエンは店の奥へ視線を向けた。
客を迎えるように垂れ下がっていた燻製肉のカーテンは撤去され、人の気配はない。
状況を確認したい衝動を抑え、炙り酒を通過する。
その建物の裏手、五十台規模のアスファルト駐車場に、それはいた。
トラックタイプのキャンピングカーが停まり、屋根から伸びたタープの下には卓と椅子が並んでいる。
椅子に座るのは、ゆったりとした黒いローブを纏った銀髪のサーラ。
姿を自在に変えられる彼女、今は十二、三歳の少女の姿だ。額には蒼い宝石が埋め込まれ、ティーカップを傾ける両手には、ほぼ全ての指に大粒の宝石をあしらった指輪がはめられていた。
黒いローブの裾から、色白の素足が露になっている。エナメル質の黒いピンヒールの艶感と、あどけなさの残る少女、グエンの目にそれはどこか不釣り合いに映った。
同じ卓の椅子には、ノダナ族が籠いっぱいのドーナツを頬張りながら、満面の笑みを浮かべて座っている。
グエンは徐行したまま近づくと、そのテーブルセットの脇へモービルを寄せた。
デラダン機も背後につける。
「こてつー」
「おう、ノダナ。もしかしなくても、俺はこのお茶会に招待されたのか?」
『アニキ、茶なんて飲んでる暇ねえっすよ』
「はんっ。やーっと来よったわ。面倒じゃ、ほれ」
サーラは右手でティーカップを持ち上げたまま、空いた左手の人差し指をグエンへ向けて弾く。
指先が輝き、光の泡が生まれた。
一直線に空を滑る泡は、グエンの目前で一瞬にして膨れ上がり、輝く球体となってモービルごと全身を包み込む。
――組織構文だ。
泡の表面を滑る古代文字が青く輝き、そして消えた。
ジャケットの胸元から顔を出したままのオライオン。
舌を出してノダナ族を見ている。
リラックスしている相棒の様子に、グエンは警戒する必要はないと判断した。
「なんだったんだ? 今のは」
『ア、アニキ! なんともねえんすか?』
『ああ、特になにも感じなかったが……』
瞬きするよりも早く消失した組織構文に、二人は呆然とするばかり。
サーラは片方の眉を跳ね上げ、グエンをひと睨みする。
苦虫をかみ殺したような表情で紅茶を飲み干し、カップを置いた。
膝に両手を置いて背筋を正すと、隣でドーナツを頬張るノダナ族へ笑顔を向ける。
「ささ、これでこやつの傷は癒えましたぞ。ご満足いただけましたかのう?」
「んもっんもっ。んぐっ……。たすかるのだなあ」
「ははあっ。それでは、座臥でごゆるりとお昼寝でもいかがでしょう。寝所を整え、美酒も揃えておりますれば……」
「なやむのだなあ」
ノダナ族は椅子の上に立ち上がり、ドーナツ籠を両手に抱える。
意図を察したサーラは、ドーナツ籠を抱えたノダナ族を両腕で抱き上げた。
そして、おもむろにキャンピングカーへ歩き、開いた扉から中へ入る。
ほどなくして手ぶらで外へ出ると、静かに扉を閉めた。
「傷を癒した? まさか」
グエンは肩の縫合痕を擦る。
痛みはない。
左太腿の縫合痕も同様に擦ってみるが、こちらも同じだ。
懐にいたオライオンが飛び出し肩に乗る。
左右の肩を横断したが、やはり何の痛みもなかった。
サーラは再び椅子に腰かけ、自身の身体をまさぐるグエンを眺めている。




