1-86.それぞれの思惑
クエスタ本部、三十五階。
エレベーターを降りた突き当たりの一室、統括本部長室。
部屋の奥、本部長席に座るヒッジスは、肘をついて両手を組み、報告を聞いていた。
報告者はユイナ。
細い黒ぶちのメガネ。そのレンズの内側には、びっしりとテキストが表示されていた。
「本部長、治安維持部、重殻機兵隊、全部隊出撃可能です」
「ふむ。会長派の動きは」
「治安維持部の歩兵隊はエンブラ兵と連携し、各外境ゲートと環状擁壁ゲートを警備しています。通行者の選定は独自の基準を設けているため、市外からの通行と、内輪地区への通行が許可されているのは、事実上会長派とエンブラの人間のみです」
「やはり、会長の築いた街だけあって数は圧倒的かな」
「はい。治安部を含め、職員の八割ほどは……。ですが、ランサー隊及び火器類の補給線は、予定通り確保できております。ムロージ様のご協力のおかげです」
「有難い。あとは、エリエラさんが鍵か。そちらのほうは?」
「やはり、モバイルの位置情報と、市内の一部カメラ映像が意図的に偽装されていました。調査の結果、商業地区の倉庫街に潜伏していることが判明。準隊員デラダン・ジャフスの登録住所に、グエンさんと帯同していた外輪労働者の少年が出入りしているのが確認されています」
「ふむ、意図的、か。ただちにランサー隊を出撃。対象を確保したまえ」
「グエンさんへの連絡はよろしいのでしょうか」
「墨影のアズレイは健在、どころか、ノマドベースで十数名の死傷者が出た。彼の契約不履行だ、仕方あるまい。……抵抗するなら、排除してよろしい」
「……はい」
――ドンドンドンッ!
扉を激しく叩く音が室内に響く。
音はさらに激しさを増した。
訪問者は扉越しの廊下で、野太いだみ声を喚き散らす。
「おぉぉい! ここを開けんかぁ! ワシだぁ!」
ヒッジスは小さくため息をつく。
机上のディスプレイに映る老人を視界の端で捉えると、机の左側面へ手を滑らせ、ボタンを押した。
ピッという電子音が入口から聞こえる。
直後、扉が開く。
ユイナは壁際へ移動し、机の前を空けた。
力任せに床を踏み鳴らす靴音が、室内を横切っていく。
純白のシルクハットに、小太りの身体を包む純白のスーツ。
ローガー会長は、ヒッジスの机の前へ立つ。
金歯が鈍く光る口から、老人のだみ声が部屋いっぱいに響いた。
「この青二才が! あの姫っこをどこへ隠した! もう五日も経つだろうが! いい加減に連れてこんか!」
「困りましたね。私たちも鋭意捜索中です。会長に置かれましては、我らがバナーバルの為の交渉をお願いしたく存じます」
ローガーはポケットから扇子を取り出し、胸の前で広げる。
鶴を描いた金屏風柄が、天井照明を鈍く照り返した。
「はんっ! なあにが我らがバナーバルだ。ここはワシの街だ! 青二才の企みなんぞ、ぜーんぶお見通しだ。お前らで隠し、自分たちでエンブラと交渉するつもりだろう? え? どうだ? 図星だろうが? 大方、お前が作ったランサーとやらに絶対の自信があるようだろうがなあ、読みが甘い! 甘すぎるわ! 青二才はなあ!」
「慧眼、痛み入ります。ですが、会長でも時節を見誤ることがおありで。エンブラをビジネスパートナーに据えようとは、あまりに危機管理力が乏しい。武力を持って、この地を奪いに来るのは火を見るより明らかです」
「阿呆が! 北の果ての帝国が、星の反対側から軍隊を連れてこれるか? あぁん? 軍の兵站を確保するのにどれだけ金がかかる? 時間がかかる? 強かな帝国は、今や重銀産出量世界トップの我がバナーバルを、一目も二目も置いておるわい! ビジネスはなぁ、情報、そして信頼よ! あちらが欲しがる姫っこを手土産に、懐に入らんでどうする! 欲しがるものを先に与えてこそ、人間ははじめて聞く耳を持つ! 放逐した姫っこを欲しがるなんてのは、継承権争いと相場が決まっとるんだ! 腹の探り合いもできん青二才め!」
「五十四年前、バナーバルとエンブラの中間にあるアウルカ国は、侵略によって領土の半分を奪われましたよ。二十年前、反対側にある墨影国に至っては、すべてを奪われ属国となり、今や帝国の代わりに血を流す肉の壁です。すでに足掛かりは十分。これでなぜそう楽観できるのか。姫君は渡さず、交渉の材料にするべきです」
「はんっ! どちらも取るに足らん貧困国家! 資源が無いわ! ワシのバナーバルと一緒にするな! いいか! 明日中に姫っこを連れてこい! レオン殿は大隧道の奥でお待ちかねだ! 特別にワシに電話するのを許してやる! 明日中だぞ! わかったな!」
ローガーは金屏風柄の扇子を閉じると、ヒッジスへ向けて振りかざした。
続いて、壁際に控えるユイナへ扇子の先端を突きつける。
「この部屋の会話はぜーんぶ筒抜けだ! ワシが知らんことは何もない! ワシの街はワシが一番わかっとるんだ! 少しはマシな仕事をしてみせろ! いいな!」
視線を外し、だみ声を吐き捨てる。
扇子で手のひらを叩きながら、ドタドタと鈍重な足音を響かせ、部屋を去っていった。
ローガーの背を横目で見送り、ユイナは閉じた扉へため息を吐く。
彼女の眼鏡――グラス型ディスプレイに、室内の会話が表示された。
「この部屋の盗聴器は、やはりローガー会長だったんですね」
「疑うまでもなかったがね。しかし、あの年寄りは素直すぎる。盗聴内容がリアルタイムで改編されるとは、想像もできないんだろう」
「危機管理能力ですか」
「いつまでも刷新されないあの感覚では、このバナーバルは守れない」
「同感です。では、ランサー隊、出撃させます」
「ああ、速やかに頼む。会長派も情報は掴んでいるはずだからね」
「はい」
ユイナは会釈すると、踵を返して部屋を出ていく。
ヒッジスは彼女の背を遮る扉を見届けると、椅子をゆっくり回転させた。
ガラス張りの壁。その向こうに内輪地区の街並みが広がる。
無数のビルは、贅に膨れた不要な高さを誇るように煌びやかだった。
重銀がもたらした無数の灯。
ヒッジスは、その光景に一抹の不安を覚えずにはいられなかった。




