1-83.小さな勇気を①
ユイークは額にかけていた青いゴーグルを下ろした。
「兄貴も魔人も冷たすぎ。サイッテー」
「ユ、ユイーク……そう言ってもよ……」
「……だってそうじゃん。こんなのおかしいじゃん。考えればわかるじゃん」
「姐さん……アッシは……」
「ボク……ボクが……」
三人とも俯いたまま、部屋の中央で立ち尽くしていた。
声も重い。
足も重い。
エリエラのいない部屋は、花を失った庭園のように侘しかった。
ふと、階段を昇る足音が響く。
足音は二つ。
キトが真っ先に顔を上げ、続いてデラダンとユイークも顔を上げた。
足音は扉の前で止まる。
姿を現したのは、ジアと温和そうな白衣姿の女性だった。
年齢は三十歳ほど。
栗色の髪は頭頂部でひとつにまとめられ、動きやすさを重視して固く縛られている。
白衣は染み一つなく洗い上げられ、左手には大きな手提げカバンを提げていた。
「あ、うっす。ウズナギ先生っすか」
「先生きてたから~つれてきたよ~」
「こんにちは。約束の往診日ですから。早速、グエンさんを診ますね」
ウズナギは扉を閉めると、ジアの脇を通り抜け、そのままリビングを横切った。
ジアは彼女の背中を見送っていたが、すぐに室内の空気の違いを察する。
「なに~? 皆どうしたの~?」
「おう……ちょっとな……」
歯切れの悪いデラダン。
俯いたままのキト。
ユイークは唇を噛み、中央の長方形の木製卓にある椅子へ腰を下ろした。
ウズナギは寝室入口横の壁を三度ノックする。
そして扉のない部屋へ入った。
部屋の中では、グエンがベッドに腰掛けている。
鼻を突く焦げ臭さ。
病衣の生地はところどころ黒く炭化していた。
ウズナギはグエンへ駆け寄る。
カバンをベッド脇の椅子へ置き、その身体に触れて状態を確かめた。
「服が燃えたんですか? 火傷は? グエンさん、どこか痛むところはありますか?」
「……燃えたのは服だけ。俺には何ともない。あなたは?」
「あ、挨拶もせず失礼を。はじめまして、私はウズナギです。外輪地区で医師をしています。もとは歯科医師ですけど、内科も外科も一緒くたです。それにしても、聞いていた通り、変わった体質なんですね。どうして服が燃えて、肌は無事なのかしら」
「ああ、腕の良い方だと聞いている。……ありがとう。おかげで生きている」
「いいえ。仕事をしてるだけですよ。さ、傷の状態を診ましょう。まず上着を脱いでください。手を貸しますね」
「頼みます」
グエンは痛む肩を庇いながら、ゆっくりと病衣から腕を抜く。
そのぎこちない動きを補うように、ウズナギは病衣の端を支えた。
椅子に置いたカバンから包帯やガーゼ、消毒液を取り出し、縫合痕の処置を進めていく。
「そういえば、エリエラさんはいないんですか?」
「……ええ」
「不眠不休でしたからね。別の部屋で休んでいるのかしら」
「……」
「うん、まめに包帯もガーゼも交換してありますね。清潔に保たれているので経過は良好です。熱もないし。やっとエリエラさんも安心できますね」
「安心? 彼女が?」
「ええ、とても心配してましたから。感謝しないといけませんよ。昼も夜も付きっ切り。傷の対応もですが、排泄物の処理だって彼女が率先してやっていたんですよ」
「そうか……。それは、そうだ……考えもしなかった……」
「意識がなかったから、仕方ないですよ。でも、感謝はしないとですよ」
「……あ、ああ」
グエンは続く言葉を見つけられなかった。
(エリエラは、俺に恨まれているのを知っていた。そのまま俺を殺せたんだ。いや、危害を加えなくとも、意識の無い俺を置いて、黙ったまま去ることもできたはず……。なのに、なぜ、わざわざ本名を俺に明かして……自分を危険にさらして……なぜ……)
俯いた視線が、わずかに流れる。
視界の隅に、小ぶりな革製の作業靴があった。
処置を受けながら、グエンは顔を上げる。
ゴーグルをかけたキトが立っていた。
決意を湛えた瞳が、グエンの目を真っすぐ捉えている。
「ボク! ……エリィを連れてくる!」
「キト」
「グエンさん、ぼくをいっぱい守ってくれた。エリィも、いっぱいぎゅってしてくれた。さっきね、悲しそうな匂いだったよ……。だから、今度はボクが助けるんだ!」
キトは弾けるように部屋を飛び出した。
入口で様子を見ていたデラダンの脇を駆け抜ける。
「お、おい! 待てよ! キト!」
デラダンの制止は耳に届かない。
伸ばした大きな手が背を追う。
たなびく肩掛けカバンに指がかする。
だが届かない。
行き場を失った手は虚空を掻き、力なく閉じた。
キトはぶつかるように入口の扉を開ける。
そして階段を一気に駆け下りていった。
包帯の交換を終えたウズナギは、医療道具をカバンへしまいながら口を開いた。
「……事情がわからないので、私からは何も言えませんが、これだけは確かです。エリエラさんの献身的な介抱のおかげで、経過は極めて順調です。もう心配はないでしょう。ただ、しばらくは安静ですよ」
椅子から立ち上がる。
カバンを左手に持った。
そしてベッド脇、壁際の小さな机へ歩み寄り、引き出しを開けて中を覗き込む。
「エリエラさんが用意した包帯など、まだ十分ありますね。無くなりそうな時は連絡してください。こんな時ですけど、外輪にもムロージ商会が在庫を確保してくれてますから」
「……ありがとう」
「いいえ、どういたしまして。では、次の患者さんがいますから」
ウズナギは会釈すると寝室を後にした。
デラダンたちも礼を言い、彼女を見送る。
一人だけ状況を飲み込めていないジアが、ぽつりと呟いた。
「ガ、ガレージで、オライオン一人で寝てるから~……整備の続きしよ~」
胸の前で自分の手を包むように組み、部屋の奥にある階段へ向かう。
テーブルに頬杖をついていたユイークは、ゴーグルの青いレンズディスプレイ越しに兄の背を横目で追った。
「あたしも」
投げ捨てるような一言。
そして室内階段を降りていった。




