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世界樹の巡り人  作者: 蔵人
第1章 邂逅のバナーバル
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112/118

1-81.しらないのだな

 夜。

 二階の居住区、その寝室にグエンはいた。

 外されたままの扉の向こうからは、デラダンたちの話し声が絶え間なく聞こえてくる。

 ベッドの脇には椅子が二脚置かれ、エリエラとノダナ族が腰掛けていた。

 寝室入口の壁には、エリエラが用意したグエンの服が掛けられている。

 エリエラはいつもの白いブラウスと、色鮮やかなスカートへ着替えていた。

 グエンはベッドの上で上体を起こし、ノダナ族へ声をかけた。


「ノダナ、わざわざ見舞いに来てくれたのか?」

「のだな~。さんだいめが、これもってけっていったのだな」


 ノダナ族は両手で抱えていた大きな紙袋を差し出した。

 だが短い腕では届かず、紙袋は宙ぶらりんのまま揺れている。

 エリエラが腰を上げ、紙袋を受け取ってグエンへ手渡した。


「はい、どうぞ」

「ありがとう、エリィ」

「のだな~」

「ふふふ、どういたしまして」


 グエンは受け取った紙袋を腹の上に乗せ、口を開いた。

 途端に、バターとハチミツの甘く芳醇な香りがふわりと立ち上る。

 裸電球の柔らかな光の下。

 紙袋の中には、敷き詰められたドーナツと陶器の皿、それにハチミツ瓶が一つ、銀色の金属ボトルが一本入っていた。

 さらに、IDカードを挟んだ手書きの手紙が添えられている。


「デカい紙袋だと思ったらずいぶん色々入っているな。それと、手紙と、IDカード?ってやつか。なあ、ノダナ、さんだいめって誰だ?」

「さんだいめなのだな~」

「ふーむ、そうか。さんだいめか」


 グエンは手紙の方から正体を探ることにした。

 取り出した便箋へ視線を落とす。

 手書きの文面を目で追い。


「……あ! あの武器屋のおやじか! そういや、買った剣鉈はどこだ……?」

「ご存じの方ですか?」

「ああ、バナーバルに到着した日に、商業区の露店でね。ターバン巻いた髭面のおっさんで、ムロージ商会と名乗っていたが、さんだいめってのは、三代目ムロージってことか! へえ……五十年の流れを感じるな。そうか……あのムロージさんの」

「のだな~。さんだいめいいやつなのだな」

「お見舞いのお手紙ですか?」

「……そうだな。あ、そうか、情報屋のルガーもムロージ商会にいたから。ルガー経由で、俺の事を知っているようだ。ふむ……さすが、ムロージ商会だな」

「こてつー。くれくれ」


 ノダナ族はグエンへ向かって、長く黒い鉤爪のついた小さな両手を広げた。

 手紙を読み進めようとしていたグエンは手を止め、顔を上げる。


「お、今やるよ。ちょっと待ってな」


 グエンは紙袋の中から白い陶器の皿を取り出し、ベッドの縁、ノダナ族の前へ置いた。

 ドーナツを三つ並べ、ハチミツ瓶の蓋を開ける。

 まだ温もりの残る生地へ、とろりと惜しみなく流しかけた。

 オレンジ色の裸電球に照らされたハチミツは、黄金を溶かしたように艶めいている。

 ノダナ族は子犬のような小さな鼻をひくつかせ、流れる蜜にすっかり魅入っていた。


「うまそーなのだなあ」

「それと……。エリィ、すまないが、ノダナ族の横に椅子を置いてやってくれないかな。テーブル代わりに」

「はい。構いませんよ」


 エリエラは立ち上がると、壁際に置かれていた木製の丸椅子を取りに行った。

 それをノダナ族の真横へ置く。


「ありがとう」

「はい、どういたしまして」


 グエンは紙袋から銀色の金属ボトルを取り出した。

 蓋を開け、椅子の上へ置く。


「これ、(すず)製のスキットルか。良いもん使ってるなあ。ほれ、ハチミツ酒のミルク割り」

「ふへへへ、ありがたいのだなあ。うれしいのだなあ」


 どんぐりまなこを細めるノダナ族。

 鉤爪が錫製のスキットルへ触れ、カチャリと小さな音を鳴らした。

 器用に両手で持ち上げると、おもむろに口元へ運ぶ。


「んくっ、んくっ、んくっ、んくっ、んくっ、んくっ……ぷはあ。うまいのだなあ」


 空になったスキットルを椅子へ戻す。

 続いてベッドに置かれた皿から、右手でドーナツをひとつ、左手でドーナツをひとつ取った。


「んまんま、んまんま」


 両手のドーナツを交互に頬張りながら、満足げな声を漏らしている。

 グエンはその様子に目を細めた。


「はは、うまそうに食うなあ。なあ、ノダナ、俺もドーナツ貰っていいか?」

「んまんま? ひとつならいいのだな」

「お、ありがとう。エリィにもひとつあげていいか?」

「えりー?」

「はい。わたくしがエリィです」


 ノダナ族は隣のエリエラを見上げた。

 そして、首を横に振る。


「だめなのだな」

「え~、じゃあ。あ、それなら、俺のを半分わけよう」


 グエンは紙袋からドーナツを一つ取り出し、半分に割った。

 その片方をエリエラへ差し出す。


「ふふふ、ありがとうございます」

「じゃ、いただこう」


 グエンとエリエラは、半分のドーナツを食べ始める。

 エリエラは甘いドーナツを口に運び、ふっと頬をほころばせた。


「まあ、おいしいドーナツですね。素朴ですが、とても良い香り」

「はちみつをかけたくなるのもわかるな」

「ええ、そうですね」


 ノダナ族は、ハチミツをたっぷりまとったドーナツを頬張りながら、グエンとエリエラの顔を交互に見やる。

 もぐもぐと口を動かしながら、しばらく二人を眺めていたが、


「おかわりがほしいのだな」

「ん、ほら」


 グエンは紙袋からドーナツを三つ取り出し、同じようにハチミツをかけた。

 ノダナ族はそのうち一つを手に取ると、二つに割る。

 たっぷりとハチミツのかかった半分を、グエンとエリエラへ差し出した。


「ん」

「お、エリィにもくれるのか」

「まあ、ありがとうございます」

「とくべつなのだな。きょうだけなのだな」

「ありがとうな。うん、うまいな」

「はい、おいしいですね」


 二人はノダナ族を囲みながらドーナツを食べた。

 その後もおかわりは続き、ノダナ族は計二十個ものドーナツを平らげる。

 紙袋の底には、もう一本スキットルが入れられていた。

 それはノダナ族の食後酒だった。


 食後酒を飲み終えたノダナ族。

 ひと息つき、グエンがノダナ族へ尋ねる。


「なあ、ノダナ。昨日、俺を助けてくれたろ。意識がなかった時に」

「ん~?」

「ほら、頬を爪で突っついただろ」

「こてつ、ねぼすけなのだな」

「お、おお。その時、俺の炎を回復したり、したか?」

「なんなのだな?」

「こう、なんか不思議な力で癒した、とか。そういうの」

「なのだな?」

「……それは、どっちだろうな。イエスかノーか……」

「難しいですね。どちらでしょう」

「しらないのだなあ」

「知らないかあ。あ、じゃあ、今度ハチミツ酒をたっぷり奢るから、俺のケガを治してくれないか? なんて、無理か? できるとすごく嬉しいんだが」

「さけほしいのだな」


 ノダナ族は両手を広げてみせる。

 グエンは頭を掻き、苦笑した。


「ケガしてて、今は買いに行けないんだよ。ケガさえ治ればなあ、酒たくさんやるのになあ。残念だなあ」


 両腕を組み、口をへの字に曲げて双眸を閉じる。

 そして数秒後、片眼だけを開けてちらりとノダナ族を覗き見た。

 ノダナ族は短い両腕を組み、ゆっくりと頷いている。


「たいへんなのだな。たのんでくるのだな」


 椅子から降りると、大きく背伸びをした。

 それからベッドの縁を右手でぺしりと叩く。

 グエンから見えるのは、黄色いヘルメットと黒い鉤爪だけだった。

 そしてノダナ族は、くるりと向きを変え、出口へ向かって歩いていく。


「え」

「あら、おかえりですね」


 エリエラは立ち上がり、ノダナ族の後を追った。

 しばらくして見送りを終えた彼女が、部屋へ戻ってくる。

 椅子に腰掛けるエリエラへ、グエンが声をかけた。


「ノダナ族、帰ったのか。頼むって誰にだろうな……医者の知り合いか」

「ノダナ族推薦の方が、いらっしゃるのかもしれませんね」

「俺としては、ノダナ族に不思議な力があって、あっという間に治療してくれるって展開を期待したんだが。さすがに無理か」

「そう、ですね」

「それにしても、あの紙袋、ほとんどノダナ族用のドーナツと酒だったなあ。つまり、ノダナ族に運び屋をしてもらうためのお駄賃ってわけか。ははは」


 グエンはクッションへ背を預け直し、深く息を吐いた。

 頭上では裸電球がオレンジ色の光を滲ませている。

 ぼんやりとそれを見上げていた時だった。

 ふと、エリエラが無言で自分を見つめていることに気づく。

 大きな黒い瞳と視線が合った。

 目尻の下がった、慈愛に満ちた眼差し。

 柔和な表情のはずなのに、グエンはそこにかすかな儚さを感じ取る。

 胸の奥を引っかくような違和感の正体を探ろうと、改めてエリエラへ目を向けた。

 純白のブラウス。

 紅色、白、紺、青、山吹色――幾重もの彩りを重ねたロングスカート。

 腰まで流れる黒メノウのような艶やかな黒髪。

 編み込まれた髪には八本のジュエルチェーンが揺れ、裸電球の灯りを受けて静かに輝いていた。

 すっかり見慣れた姿だった。

 そう思ったグエンは、そこでようやく気づく。

 昼間とは服装が違う。


「エリィ、いつもの服に着替えたんだな」

「グエンさん。わたくしの名を、ご存じでしょうか」

「ああ、エリエラ・アグナスタだろ。クエスタ本部、ヒッジスの遠い親戚だったかな」

「わたくしは、あなたを騙していました」

「騙す? 改まって、何の話だ?」


 エリエラは背筋を伸ばしたまま、微動だにせずグエンを見つめている。

 そして一度だけ、ゆっくりと瞬きをした。


「わたくしの本当の名は、エリエラ・ロインセリアです」

「ロインセリア……? ロインセリア? 聞き覚えのある……名前だが……」

「はい。猛き霧と古き雷を継し女王、リーナディス・ロインセリアの血縁。わたくしは、あなたの憎き仇敵、エンブラ王家の姫です」

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