1-74.消えた炎②
熱風が束ねた銀髪を撫で、その先端から焦げた臭いが漂う。
アズレイは腰の刀へ手を伸ばした。
横では、今にも飛びかかろうと姿勢を下げるロロカ。
しかしアズレイは、道路側から迫る影へ気づき、柄へ掛けた手を止めた。
グエンの肩が沈む。
地面へ向け、一直線に振り下ろされる刃。
切っ先が地へ触れる、その刹那。
身の丈ほどもある純白の大楯が、グエンの身体を真横から弾き飛ばした。
「ぐあっ!」
グエンを纏っていた炎が霧散し、緋色の雫が飛沫となって周囲へ撒き散らされる。
降り注いだ雫は、触れた瞬間に爆ぜた。
無数の火柱が噴き上がり、軒を貫き、屋根と柱を焼いていく。
直後、火災警報のサイレンが遥か頭上から鳴り響いた。
ノマドベース天井部を巡る配管から、一斉に放水が始まる。
豪雨のような散水の中。
穴の開いた天井から降り注ぐ水を浴びながら、グエンがゆっくりと身を起こし始めた。
大楯を携えた白鯨騎士エンザリクは、大楯の内側から剣を引き抜く。
純白の鎧、その胸部ブレストプレートには白鯨の紋章が刻まれていた。
紋章は、ゆっくりと青く脈動している。
その背後には、大隧道路へ展開した白鯨騎士団とエンブラ兵の隊列があった。
エンザリクは、震える声を絞り出す。
「軽い! なんだこの手応えの無さは。たった一撃でそのざまか! ……こんな輩に我が名が汚されたとは……。首を寄こせ! 我が汚名を雪ぐには、その首がいる!」
若い怒気を押し殺した声だった。
憤懣やるかたない激情を噛み殺し、ギリギリと歯軋りが鳴る。
一歩。
炎の中へ踏み込んだエンザリクの背後――。
ロロカが吠えた。
「おい! このハイエナクソ野郎! アタシの獲物に手え出すんじゃないよ!」
「……墨影の獣が、このエンザリクに言っているのか? 死にたくなければ、下がれ。貴様への仕置きは後回しだ」
「はあ? バァァァカッ! クソでも食ってな! おまえが死ねっ!」
ロロカが背後から飛びかかる。
エンザリクは即座に振り向き、純白の大楯を構えた。
甲高い金属音が炸裂する。
純白の大楯へ、深々と爪痕が刻み込まれた。
弾け飛んだ金属片が、炎光を受けて煌めきながら宙を舞う。
「汚らわしいケダモノめ!」
白刃が奔った。
全身を覆う重甲冑の重量を感じさせない、凄まじい速度の斬撃だった。
しかしロロカは、しなやかな身のこなしで紙一重に躱していく。
羽毛が風へ流されるように空中を舞い、斬撃を避け続けていたロロカ。
その視界を、突如として純白の大楯が埋め尽くした。
エンザリクの大楯突撃。
ロロカの身体が、打ち返されたボールのように吹き飛ぶ。
「あぎゃっ!」
「我が重楯圧殺に敵はなし!」
アズレイの真横を、ロロカが勢いよく飛んでいく。
アズレイは表情一つ変えぬまま、足元へ広がる煙へ視線を落とした。
ジアの無人モービルが煙幕ドームを形成していた。
だが、足元に滞留する煙の発生源は、それとは別。
煙幕の中を歩くヘビークラストの背面部から、地面にむけ煙が撒かれていた。
すでに兜ごと煙に飲まれたエンザリクが吠える。
「煙幕か! こざかしい!」
兜の内側。
サファイアの双眸へ、次々と映像が投影される。
甲冑内部へ組み込まれた熱感知機構と連動し、網膜ディスプレイの視界内にある熱源が表示されていく。
炎上する炙り酒の熱源。
包囲する墨影兵。
血に伏し、冷え始めたクエスタ隊員達。
少し離れた場所にいるデラダンたち。
周囲を旋回するモービル。
そして、目の前へ倒れているはずのグエン。
白く塗り潰された煙の中で、順々に熱源が視覚化されていく。
「な、なんだこれは!」
予想外の映像に、エンザリクが狼狽した。
本来なら熱源対象の輪郭が表示されるはずだった。
だが彼の視界を埋め尽くしていたのは、両手で中指を立てながら踊り狂う、無数のユイークだった。
さらに、兜に内蔵された振動マイクが、その音声まで正確に伝達する。
『きゃははは! やっすいセキュリティ突破しましたー! ざーこざーこ! 天才美少女ハッカーのハッキングタイムだよー! 網膜ディスプレイなんて、情弱には百万年はやいんだよ! いえいえーい!』
「目か! 我が目を奪ったのか! おのれ!」
視界を埋め尽くすユイークを払い除けるように、エンザリクが剣を振るう。
しかし、網膜ディスプレイへ流し込まれた映像へ干渉することはできなかった。
怒りに駆られたエンザリクは、猛然と剣を振り回す。
だが、刃が斬り裂いたのは燃え盛る柱だけで、生身へ届くことはない。
濃煙の中から、包囲していた墨影兵たちの咳き込む声が聞こえ始める。
次々と膝をつく墨影兵たち。
「この煙幕、毒か!」
エンザリクは剣を引き後退する。
その合間を、ひときわ巨大な影が煙幕を撒きながら、ゆっくりと進んでいった。
人型外重殻兵器【ヘビークラスト】を纏ったデラダンだ。
フェイスディスプレイへ映るユイークの誘導表示を頼りに、指先すら見えぬ濃煙の中を正確に進み、グエンの元へ辿り着く。
グエンは石畳へ突き立てた軍刀へ身を預けたまま、黒い鎧をゆっくりと見上げた。
そして、そのまま意識を失う。
デラダンは前のめりに倒れ込むグエンの身体を、両腕で受け止めた。
「ア、アニキ……」
声を潜め名を呼ぶ。
だが、反応は返ってこない。
グエンの握る軍刀を静かに鞘へ納めると、その身体を抱え上げた。
フェイスディスプレイへ、左方向を示す矢印が表示される。
『兄貴! こっち! いけるよ!』
「おし、跳ぶぜ! 先に行け!」
『おっしゃ! こっちの位置は表示させとくから、あたしらを踏まないでよ!』
『あああ兄貴、風神バーニアは、いいいい一回だけだから』
「一回ありゃ十分だぜ! まっかせろい!」
デラダンはグエンを抱えたまま、背を丸め深くしゃがみ込んだ。
ヘビークラストの重装甲が傘のように覆い、グエンの身体を完全に守っていることを慎重に確認する。
背面部と大腿部のスラスターから、青白い炎が噴射された。
次の瞬間。
ヘビークラストが跳躍する。
三メートルを優に超える巨体が、炙り酒の屋根を突き破った。
同時に、旋回していたモービルが球状煙幕から飛び出す。
大量の白煙を引きながら疾走する二台のモービル。
一台にはジアと、肩にオライオンを乗せたキト。
もう一台には、ユイークとエリエラが乗っていた。
跳躍したヘビークラストは球状煙幕を飛び越え、走行するモービルの背後へ着地する。
アスファルトが陥没し、脚部が足首まで道路へ突き刺さった。
しかし、数トン規模の衝撃と振動は、強化頸椎と脚部装甲へ内蔵された人工筋肉アクチュエーターによって完全に吸収されている。
「ふんぬっ!」
アスファルトから脚を引き抜く。
ブーツ底部のタイヤが駆動し、ヘビークラストが急加速した。
タイヤと路面の摩擦で白煙を上げながら、黒い巨体は走り去っていく。
道路上で待機していた隊列の中。
ひときわ巨躯の騎士ゲイドラが吠えた。
「レイヴンッ!」
ゲイドラの低い怒声が、大隧道へ反響する。
直後、煙幕から離れた位置へ停車していた白鯨騎士団の車列から、一台のモービルが飛び出した。
レイヴンは長いネイルをつけた指で、ヘルメットのゴーグルを下ろす。
前方を走るモービル群から流された煙幕は、走行風によって薄まり、彼らの姿を完全には隠し切れていなかった。
「あーしは、網膜ディスプレイなんてきんもいモン入れてないしー! ざーんねん!」
グリップを一気に捻り、スロットルを全開にする。
エンジンが唸りを上げた。
急激な加速Gが、レイヴンの身体を強烈に押し付ける。
一瞬で跳ね上がる回転数。
――パァンッ!
「は?」
車体に衝撃が走るとマフラーから黒煙が吹き出し、モービルは完全停止した。
何事かと、レイヴンが液晶パネルを覗き込む。
「はああ? ブローした? ちょっ! なんなんよ! これー!」
液晶画面には、『モービルを壊してごめんなさい!』の文字。
その下では、土下座を繰り返す三等身ジアのアニメーションが流れている。
さらに左右では、中指を立て満面の笑みを浮かべたユイークが点滅していた。
グリップを回す。
だが、ブローしたエンジンはガラガラと異音を鳴らすだけだった。
もはや走行可能な状態ではない。
「ざっけんなし! やっと直したばっかりだってのにー!」
腹を路面へ擦りつけたモービルへ跨ったまま、レイヴンは液晶画面を殴りつけた。
直後。
前輪二本が外れ、ころころと前方へ転がっていく。
続いて後輪までもが脱落し、後方へ転がった。
「ふんぎいいいいいい!」
レイヴンの絶叫が、大隧道へ虚しく響き渡る。
その場には、ゆっくりと宙を漂う煙幕だけが残されていた。




