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世界樹の巡り人  作者: 蔵人
第1章 邂逅のバナーバル
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103/106

1-72.黒夜叉

 空中で交差する刹那、二人の間へ黒い人影が割り込んだ。

 グエンの後方から放たれた一本の矢が、空中のロロカへ鋭く飛来する。

 ロロカの腹部へ迫った一太刀は、男の掌に触れた瞬間、音もなく軌道を逸らされた。

 飛来した矢もまた、素手で掴み取られる。

 黒装束の男はグエンの肩を蹴り、その反動でロロカを抱えたまま後方へ跳び退いた。

 床を滑るように着地し、衣擦れだけが静かに尾を引く。

 ロロカは脇に抱えられたまま、抗議の声を荒げた。


「離せ! アズレイ! おい! 下ろせ!」

「今のは、一度死んだ」


 低く沈んだ声だった。

 若者の張りはない。怒気も威圧もない。

 鉄を幾度も打ち重ねた、冷たい鋼刃のような声だった。


「誰が死ぬってんだい! こんなに生きの良い死体がいるわけないだろ! バァカッ!」

「油断か、手練れか」


 アズレイは、静かにグエンへ向き直る。

 暗みがかった長い銀髪を後頭部で一つに束ね、そのまま背へ垂らしていた。黒装束に包まれた全身は、手首や足首を帯で締め上げ、徹底して機動性を優先した造りになっている。

 特徴的なのは、その面貌(めんぼお)だった。

 大きな牙を剥き、裂けるほど口を開いた異形を象る黒い面頬(めんぼお)。さらに、その額には左角の折れた鉢がねが据えられている。

 ロロカは抱えられたまま牙を剥き、威嚇する獣のように唸った。


「シャーッ! アタシの邪魔するんじゃないよ! あれはアタシのだかんね!」

「独断専行は、あれを見つけたからか」

「リストのやつだろ! アタシが先に見つけたんだ!」


 ロロカは、ナイフのような爪でグエンを指し示す。

 アズレイは、月光を削り出したように冷えた銀の双眸で、ただ無言のままグエンを見据えていた。

 その左手には、いつの間にか一本の矢が握られている。

 丸い矢じりを持つその矢は、とても殺傷を目的としたものには見えなかった。

 グエンは、その矢に見覚えがあった。


(あれは確か、大隧道で見たな。射ったのはジアか。しかし、今のも思ったより速度が乗らなかった。……ガス欠寸前の火力じゃ、これ以上の戦闘は避けたいとこだが)


 眼前の矢と記憶が結びついた、その時だった。

 店内から、喧騒が弾ける。

 男女のクエスタ隊員が、雪崩を打つように入口から飛び出してきた。

 怒号。

 悲鳴。

 食器の割れる音。

 広い歩道を、人々が我先に駆け抜けていく。

 グエンたちの脇をすり抜け、後方へ、後方へと逃げ去っていった。

 その一団の中から、複数の靴音が方向を変える。

 デラダンを先頭に、エリエラ、オライオンを抱えたキト、ジアとユイークが駆け込んでくる。

 ジアの手には、クロスボウが固く握られていた。

 グエンの側まで駆け寄ると、デラダンが叫ぶ。


「アニキ! てえへんです! 上に戻ろうとしたんすけど、店ん中は敵だらけでさあ!」

「敵ってのは、こいつらのことか?」

「そ、そうっす! 黒い服の忍者みてえなやつらがわらわらと! 店の裏側にも仲間がいやがるらしいですぜ!」

「待って待って! あの黒いやつ、墨影(ぼくえい)のアズレイだよ! なんでこんなとこに!」


 青いゴーグルレンズへ流れ込む情報に、ユイークが声を荒げた。

 ゴーグルのレンズディスプレイには、クエスタからハックした情報が表示されている。レンズ越しに走査した黒装束の人物情報が、データバンク内の記録と一致したのだ。

 ジアがクロスボウを抱えたまま狼狽える。


「わわわ……アズレイ撃っちゃった。ままま、まずいんじゃ」

「なあ、墨影(ぼくえい)のアズレイってのは何者だ? 墨影ってのは確か国の名前だよな。クエスタではエンブラから派遣されたとか聞いた気がするが、エンブラとはどういう関係だ?」


 グエンはロロカとアズレイから視線を切らさぬまま、後方の仲間たちへ問いかけた。

 キトを庇うよう寄り添っていたエリエラが、静かな声で答える。


墨影国(ぼくえいこく)は……エンブラ帝国の属国です。もとは傭兵を生業とする独立した国家でしたが、25年前の戦争で敗れエンブラの兵として戦っています。あの者は、その頭領です」

「25年前か、聞いたことがないわけだ。が、エンブラ兵? エンブラと関係する国だろうとは思っていたが……兵だというなら、話は別だ」


 グエンの左頬で燃える火焔文様(かえんもんよう)が、激しく爆ぜる。

 余裕を残していた表情は憤怒に塗り潰され、炎を宿した眼は紅蓮へ染まった。

 その身から立ち昇る熱気と威圧に、最も近くにいたデラダンが思わず数歩後退する。

 その時だった。

 入口から。

 壁の穴から。

 炙り酒店舗の裏手から。

 一斉に人影が雪崩れ込む。

 黒装束に面頬(めんぼお)をつけた墨影兵と、クエスタ隊員たちが激突した。

 戦況は半ば一方的だった。

 電流を纏うスタンロッドを振るうクエスタ隊員たちを、黒刀を携えた墨影兵(ぼくえいへい)が次々と斬り伏せていく。

 肉と金属がぶつかり合う鈍い衝突音。

 断末魔。

 怒号。

 ノマドベースを内包する大隧道ホール全域へ、耳障りな警報サイレンが鳴り響いた。

 グエンたちを含むクエスタ隊員のモバイル端末も、一斉にコール音を発する。

 だが、グエンの持つモバイルだけは、すぐに途切れ始めた。

 胸ポケットから引き抜かれた端末が、無造作に地面へ投げ捨てられる。

 樹脂製の外殻がグエンの纏う熱で融解し、内部から火が噴き上がった。

 コール音は断ち切られ、やがて完全に沈黙する。

 入口から飛び出した一人の墨影兵が、グエンへ斬りかかった。

 紅蓮の刃が、轟音と共に弧を描く。

 墨影兵の振り上げた両腕ごと、その肉体は一息に両断された。

 紅い残光を纏いながら、グエンは言い放つ。


「お前たちは逃げろ! 俺は、エンブラどもを全滅させる!」

「む、無茶ですぜ! アニキ!」


 アズレイが、ロロカを抱えていた手を静かに放す。

 ロロカは石畳へ触れると同時に地を蹴った。

 一足で、グエンとの間合いを一気に詰める。

 猛る業火を纏ったグエンは、軍刀【濡焔(ぬれほむら)】を振りかざし迎え撃った。

 デラダンは額を流れる冷や汗を、ジャケットの袖で乱暴に拭う。

 周囲を見渡せば、炙り酒の軒下からデラダンたちのいる歩道へ、黒装束の墨影兵がぞろぞろと溢れ出していた。

 店舗裏からも墨影兵が次々と姿を現し、退路は黒い人影で埋め尽くされていく。

 幸いなのは、グエンの戦いぶりを警戒しているのか、ロロカ以外の敵兵が距離を保ったままということだった。

 デラダンは振り返り、ジアとユイークの顔を交互に見る。


「ジア! ユイーク! プランDだ! とんずらすんぞ!」

「わわわ、わかった」

「ひ、人が死んで……」

「ユイーク! 気合いれねえと死ぬぞ! やるぜ!」

「う……わ、わかってるよ!」

 ジアの前髪に隠れた両目が、ぼんやりと淡く発光する。

 網膜ディスプレイへモービルの映像が浮かび上がり、視界の奥で文字列が奔流のように流れ始めた。

 ユイークのゴーグルディスプレイには周辺地図が展開され、周囲の情報が高速で走査されていく。


 ――スキャン開始 【銀圧探知(ぎんあつたんち)】並行実行


 炙り酒の建物周辺へ次々と小さな光点が表示され、その数はなおも増え続けていた。


「これ全部敵ぃ? やっばい……。あ! でも……ほぼ全員網膜タイプじゃん。しかも銀圧(ぎんあつ)反応なし! ラッキー! 楽勝だよ! 兄貴!」

「おう! つーこたあ、銃はねえってことか! やれんのか?」

「ふーん、ふんふん……。こんな安い防壁で網膜化してるなんて……無知なやつら! この天才美少女にかかればイチコロだよ! 3分ちょうだい!」

「おっしゃ!」


 デラダンは腰のベルトから、伸展式特殊警棒スタンロッドを引き抜いた。

 振り抜くと同時にシャフトが伸展し、青白い電流が唸りを上げて纏わりつく。


「姐さん! キト! そばを離れねえように!」

「はい!」

「う、うん。……あ、な、なんか来るよ、あっちから」


 キトの耳がぴくりと跳ねた。

 オライオンを抱えたまま、真後ろへ振り返る。

 ほぼ同時だった。

 ユイークもまた顔を上げ、勢いよく振り返る。

 二人の視線が向いた先は、大隧道路の入口方向。


銀圧反応(ぎんあつはんのう)あり……? 武器じゃなくて……乗り物? うげ! やばいよ! 兄貴! エンブラの白騎士野郎だ!」

「マジか! 間に合うか! ジア!」

「えええ、まままだ、ももももちょっとだけまって」


 大隧道路の奥から、重く震える排気音が地鳴りのように響き始める。

 直後。

 白い装甲車を先頭にした車列が、大隧道路の奥から姿を現した。

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