1-71.爪牙の女戦士②
「ぐおおおおお!」
全身を震わせ、デラダンが耐える。
しかし、ロロカがさらに力を込めた、その瞬間――
バギィンッ!
破裂音が店内へ炸裂した。
デラダンの巨体が強引に薙ぎ倒され、床を転がる。
同時に、丸テーブルが真っ二つに裂け、砕けた木片を撒き散らしながら崩れ落ちた。
「デラダン!」
グエンは咄嗟に手を伸ばし、しゃがみかける。
その瞬間。
右側から、空気を裂く鋭い音が迫った。
反射的に身を左へ捻る。
耳元を轟音が掠めた。
切り裂かれた赤髪が数本、ゆっくりと宙を舞い、床へ落ちていく。
「へえ、今ので殺したと思ったのに。勘が良いんだねえ」
声の主――ロロカが、ナイフのように伸びた人差し指の爪を舐め、愉快そうに笑った。
黒い双眸の奥で輝く金色の瞳が、無垢な殺意に爛々と光っている。
(キトくらいの背丈が、エリィくらいまで伸びたか? 変身、ってことは、やっぱり、こいつはシュゴ族だな)
グエンは軍刀の柄へ手を掛け、半身に構えた。
「うら若き腕相撲チャンプが、次は殺し屋にでも転職か? シュゴ族のお嬢さん」
「へえ! こんな僻地に住んでるくせに、よく知ってるねえ。こっちに同族はいないはずだけど……。ま、こっちが本職さあ。赤毛! 死んでもらうよ!」
ロロカが一足飛びに襲い掛かる。
大きく口を開き、牙を剥き出しにしながら、左手の爪を振りかぶっていた。
対するグエンは軍刀を抜きかけ――不意に動きを止める。
地面から巨大な影がせり上がってきたからだ。
「おおらぁッ!」
デラダンのショルダータックルが、無防備なロロカの胴へ直撃した。
まるで自動車に撥ね飛ばされたように、ロロカの身体が宙を舞う。
勢いよく吹き飛ばされた小柄な身体は、三メートル半はある天井へ一直線に突っ込んでいった。
激突する――そう思われた直前。
ロロカは猫科の獣じみたしなやかさで空中反転する。
真横へ走る太い梁へ爪を突き立て、そのままぶら下がった。
見物していた客たちが、天井のロロカを見上げる。
「人間じゃねえのか! あいつ!」
「見ろ! やっぱり普通じゃなかったんだ! 通りで!」
「顔まで全部毛だらけだ。まるで……ケモノだ」
「か、かわいい猫ちゃん……」
そのまま残り見守る者、走り逃げ出すもの様々だ。
上下逆さになったまま、ロロカはケラケラと笑う。
「あははは! 筋肉ハゲ! お前! 頑丈だな! 気に入ったよ!」
「かーっ! 小さえくせになんて重てえんだ! 天井ぶち抜くつもりでブチかましたってえのにのよ!」
梁へ四肢を絡ませたロロカは、獣そのものの姿勢で身体を縮める。
木製の梁に、手足の爪が深々と突き刺さっていた。
今にも飛び掛からんとする姿は、まさに虎さながら。
グエンは敵から視線を外さぬまま、立ち上がったデラダンの背を掌で叩く。
「デラダン、下がってろ! あの爪、ズタズタにされるぞ! 素手は無理だ!」
「え、う、うっす!」
デラダンが後退する。
それと同時に、グエンが飛び出した。
ロロカもまた、梁から跳ぶ。
踏み込みと同時に、軍刀が引き抜かれた。
(くっ! 体が重い!)
激突する両者。
グエンの身体が弾き飛ばされる。
取り囲んでいた人垣を突き破り、入口脇の壁へ激突した。
レンガ造りの壁をぶち抜き、グエンの身体が店外へ投げ出される。
轟音と共にレンガ片が歩道へ飛び散った。
壁には人ひとり余裕で通れるほどの大穴が穿たれ、そこから店内の様子が丸見えになっている。
巻き込まれた数人の男たちが穴の近くへ倒れ込み、身体を押さえながら呻き声を漏らしていた。
デラダンは駆け出し、倒れた人々を飛び超える。
砕けた壁の縁へ手を掛け、外へ顔を出して叫んだ。
「アニキ!」
「おう。勢い余って外にでちまった。これじゃ、危うく食い逃げだぜ」
グエンは抜き身の軍刀【濡焔】を握り、石造りの歩道に立っていた。
ガラスのように透き通ったクリアブルーの刀身が、洞窟上部の照明を受け、濡れたような光沢を放つ。
左の頬から首にかけ、真紅に燃える炎の痣が浮かび上がっていた。
全身に熾火のような炎を纏い、紅の髪が熱気に揺れる。
「アニキ、でえじょうぶっすか? レンガの壁、ぶち抜いてやしたぜ!」
「ん、咄嗟に炎で守ったから、なんとかな。ただ、予想以上にあいつの動きが速かった」
グエンは軍刀を持ち上げ、柄を見る。
柄には護拳が施されていた。
濡焔の護拳は、鍔から伸びた一条の白銀が柄の頭に繋がり、柄を握る手を守るもの。
(ぶった斬るつもりだったが、刀身が届く前に柄を蹴られたのか。やつが速いのは確かだが、それ以上に俺の動きが悪いな……。エンブラどもに、リクセンとの連戦で消耗が激しいせいか……とはいえ、だ)
デラダンの背後に視線を移す。
壁穴の向こう側から、ロロカが歩いて来ているのが見えた。
「デラダン、皆を頼む。部屋にでも避難しといてくれ。血の気の多いお嬢さんは、俺にご執心だからな、カタをつけてから戻る」
「うっす! このデラダンに任せて下せえ!」
デラダンは、自身の分厚い胸板を叩くと、他には目もくれず駆け出す。
ロロカは、ゆっくりと壁穴に歩みを進める。
去っていくデラダンには興味を示さず、外で待ち受けるグエンをだけを見ていた。
外に出ると、白いポンチョを脱ぎ軒下の床に投げ捨てる。
その上半身には何も着ていなかった。
滑らかな曲線のシルエットはまさに女性だが、桃色の短い毛で覆われて肌は見えていない。
体毛には顔や手足に浮かんだのと同じ、黒い隈取り模様が伸びている。
ロロカは木製の柱に向かって左手を振るう。
ザリッと音を立て、グエンの太ももほどある柱が切断された。
切断面には荒い繊維が残り、力ずくで割かれたことを物語っている。
「なるほど、護拳で受けてなきゃ、こっちがそのいかつい爪でやられてたな」
「いいねえ、お前。あれで死なないなんてサイッコーじゃないか。嬉しくてさあ……ジュルッ……。あっと、変身すると、牙で口元がねえ」
ロロカは垂れる涎を手の甲で拭う。
上唇からは、人差し指ほどの牙が伸びていた。
薄桃色の短い体毛に描かれた黒い隈取りは、まさに獣人そのものだ。
しかし、その容姿は少女の面影が残っている。
グエンはロロカの姿をマジマジと観察する。
肉体が変容し一回り大きくなったとは言え、身長にして160cm程度。
決して大きいとはいえない。
しかし、肩や二の腕は明確に太い筋肉の筋が見え、全身を覆う体毛の上からは、割れた腹筋がはっきりと視認できた。
「俺が知っているシュゴ族ってのは、デラダン並みにでかくて、バッキバキのパワータイプ。で、誇り高い女戦士……と聞くが、どうもお前はイメージと違うな。流暢に言葉を話せるってのも、記憶と違う」
「あ~、そうだねえ。あたしはちょっと特別なのさ。小さい分、高性能なんだよ」
「はぐれシュゴ族か? じゃじゃ馬って言葉は、お前のために使うんだろうなあ。で、その家出娘はなんで俺を狙う。殺る気ありすぎだろ」
「あははは! あたしはさ、戦うのが好きなだけだよ! グダグダくっちゃべるのは好きじゃないねえ! ほら! 続きだ!」
彼女は地に伏せ、四足獣のように手足の爪で地面を蹴った。
顎がつくほどに低い体勢と機動。
対峙していたロロカの姿が一瞬、グエンの視界から消えた。
瞬時に視線を落としたグエンの目は、高速で動く影を捉えている。
(長くは戦えない。速攻で殺す!)
地を走る影に向け、軍刀を切り上げる。
柄から炎が伝わり、クリアブルーの刀身は紅蓮に染まった。
「おらっ!」
「すっとろいねぇっ!」
ロロカは石畳に爪を立て、急旋回し体をよじる。
顔面に迫る刃を割け、四つ足で再加速しようとした瞬間、炎に包まれ視界が真っ赤に染まった。
吹きあがる炎に体が巻き上げられ、宙を舞う。
「っ!」
熱と衝撃に声はかき消された。
空中できりもみ激しく流れる視界の中、高々と跳躍するグエンと、振り下ろされる紅蓮の刃がロロカの瞳に映る。




