1-70.爪牙の女戦士①
ロロカは椅子へ腰掛けたまま、挑戦者を見上げた。
仁王立ちしたデラダンが、ズボンのポケットから一万ギン札を取り出し、丸テーブルへ叩きつける。
「おうおうおう! このデラダン様が格の違いを見せてやるぜ! 勝負しやがれ!」
「はあ? アタシは積まれた金が手に入りゃ、ザコに興味ないよ。それに……あ」
ロロカは冷めた双眸でデラダンを見上げていたが、不意に人垣の一角へ視線を止めた。
その先には、グエンがいる。
「ん?」
目が合ったグエンが小さく首を傾げた。
その様子に、デラダンも気づく。
「なんでえ。おめえ、アニキの知り合いか?」
「アニキィ? つるっぱけ二号、お前、あの赤毛の仲間かい?」
「だ、誰がつるっぱけ二号だ! こっちが一号だ! この! 白黒目が! てめえ!」
「だって、さっきのビビりデブヤローと同じつるっぱげだし。んでさ、あそこに立っている赤毛男の仲間かって聞いてんだろ」
「おうよ! 仲間も何も、グエンのアニキは、このデラダン様のアニキだぜ!」
「ふーん……? いいや。じゃ、気が変わった。遊んでやろっか」
「へっ! でけえ口叩けんのも今の内だぜ!」
デラダンは勢いよく椅子へ腰を下ろした。
ロロカはテーブルへ肘を置き、白いポンチョの袖から小さな手を差し出す。
その華奢な手を、グローブじみたデラダンの大きな手が包み込んだ。
組み合った両手を挟み、二人が真正面から睨み合う。
「確かによ、小さすぎて組みづれえぜ。しかも、ネイルってやつか? 爪が長すぎんだよ、おめえ。けど……こりゃつええな……」
「お、おお? なんだ。ビビりデブより強そうじゃんか。見せかけじゃなかったねえ」
「へっ、よーくわかってんじゃねえか!」
組み合った手から、互いの力量を読み取っていた。
その空気を察した見物客たちも、激戦を予感して熱を帯びる。
歓声が飛び交い、甲高い指笛が響いた。
ロロカは口内で飴玉を転がす。
頬の内側がころりと膨らみ、口の隙間から小さく乾いた音が漏れていた。
彼女は舌なめずりをしながら、正面のデラダンから視線を滑らせ、離れた位置に立つグエンへ言い放つ。
「どうせならさ、あんた合図しなよ。さっきのデブは、地味に始まってすぐに終わってつまんなかっただろうし。盛り上げてこうじゃない」
「おい! てめえアニキに向かって生意気な口叩くんじゃねえ! けど、そりゃいい案だぜ。アニキ! 頼んますぜ! レディ、ゴー!ってやつっす!」
「あ? 俺か? いいぜ」
グエンは腕を組んだまま静観していた。
ゆっくりと腕を解き、丸テーブルの脇へ歩み寄る。
デラダンとロロカが組み合った手へ、右手を重ねた。
二人の顔を交互に見渡す。
「準備はいいか? 合図はレディ、ゴーでいいんだな」
「うっす!」
「ちょっと待ちなよ。その合図のどこで始まるんだい?」
「ああ? レディで準備して、ゴー!の部分でドカンと力を入れるんじゃねえか。知らねえのか?」
「ふんっ。アタシは戦士だ。そんなお遊びの決まりは知らないね。けど、覚えたよ」
「……よし、じゃあいいか?」
「頼んます!」
「あいよ」
グエンを見返すロロカ。
今にでも飛びかかってきそうな目だった。
白いはずの強膜は深い黒に染まり、灯りを映した金色の瞳には、猛禽めいた獰猛さが滲んでいる。
その眼差しを受け、グエンの脳裏に、とある異種族の特徴が蘇った。
(白い髪と獣のような爪牙。で、白目がなく、黒と金の獰猛な目の、怪力、女。いや、女戦士……。まさか……あのシュゴ族か?)
ロロカは視線を外し、デラダンを睨み据える。
デラダンもまた、気合十分に真正面から睨み返した。
周囲を取り囲む分厚い人垣から、歓声と指笛が雨のように降り注ぎ、勝負を急かしてくる。
グエンは喉元まで出かけた疑問を呑み込んだ。
「レディ……ゴー!」
グエンが手を離した瞬間、両者が同時に動く。
肩を瞬発的に巻き込み、組み合った腕へ爆発的な力が伝達された。
木製の丸テーブルが、悲鳴のような軋みを上げる。
両腕は動かない。
完全な均衡――そう見えた。
だが、わずかに。ほんのわずかに、デラダンの腕が押している。
「へっ! ちっこい割にとんでもねえ力じゃねえか!」
「……はんっ。やるじゃん、つるっぱけ」
「強がりも、ここまでだぜ!」
デラダンがさらに押し込む。
ロロカは両足を広げ、床を踏み締めた。
右足。
足指から伸びた、成人男性の指よりも大きな猫科の爪が、床へ食い込んでいく。
メリメリと嫌な音を立てながら、爪が深々と突き刺さった。
「やるじゃん。なら、本気だしてやるよ」
押し返し切れない流れの中で、ロロカはむしろ笑みを深めた。
口内で転がしていた飴玉を奥歯で挟む。
そして、一気に噛み砕いた。
パアンッ!
爆裂音じみた破裂音が、店内を貫いた。
その場にいた全員の肩がびくりと震え、視線が一斉にロロカへ集まる。
「うおっ! 耳がいてえじゃねえか! おい! なんだ! 爆竹でも食ったのか!」
デラダンも驚愕に目を剥き、思わず声を荒げた。
辛うじて組んだ手こそ離さなかったものの、一瞬だけ力が抜ける。
ロロカの口から、氷塊でも噛み砕くような音が響いた。
彼女は咀嚼を繰り返しながら、飴玉を粉々に砕き、飲み下していく。
右の口角を吊り上げて笑うその口元から、大きな牙が覗いた。
「人間の男相手に、重銀玉を食うとは思わなかったよ」
「重銀、だま? 飴を食ったぐれえで、お、お、お、おお!」
デラダンの表情が狼狽に染まる。
組み合った手から、“異変”が伝わってきていた。
少女の華奢な手が、徐々に膨らみ始めていた。
床へ刺さった爪も一回り太くなり、穿たれた穴が音を立てて割れていく。
足が。
太腿が。
肩が。
全身が、ひと回り大きく膨れ上がっていた。
さらに、全身の肌を覆うように薄桃色の産毛がびっしりと生え始める。
その体毛には、黒い隈取り模様が至る箇所へ浮かび上がっていた。
顔には特にはっきりと濃い隈取りが現れ、まるで戦化粧の刺青めいて見える。
「な、なんだ、おめえ、そりゃ」
「こっから本気で遊ぶんだ。そら!」
「うお!」
デラダンの腕が、一気に押し返された。
2m15cm、145kgの巨躯が、一瞬宙へ浮く。
崩れた体勢を立て直そうと、持ち上がった両足を慌てて踏み込むデラダン。
タンクトップの下では、隆起した筋肉が紅潮し、汗が滲んでいた。
スキンヘッドへ刻まれたハートの刺青には、太い血管が浮き上がっている。




