第一話 落ちこぼれの聖女
王宮に併設された闘技訓練場。
そこでは刃と刃がぶつかり合う音と、騎士たちの雄叫びが反響しては空に消えている。
月に一度の模擬戦が行われているこの日の訓練場では、傷の浅い深いに関わらず絶え間なく怪我人が発生していた。
その騎士たちの治療をしているのが、聖女マナであった。
「それほど傷は深くないようですね。治療をしていきますので、動かないようにしてください」
聖女らしい笑みを浮かべ、負傷している騎士に治癒魔法をかけていく。
手のひらから発せられる治癒魔法が負傷した騎士の身体を包み込み、少しずつ傷を癒し始めた。
──この摸擬戦も、今日で六度目か……。
半年ほど前、マナは『大聖女ドロシアの娘』として王宮へ招かれた。
それ以来、聖女として怪我や病気を癒すという役目を負って王宮に仕えている。
だが彼女は、この摸擬戦の日だけは気が重くて仕方なかった。
なぜなら、自分の無力さと、騎士たちからの冷たい視線に耐え続ける日だったからだ。
「噂通り『落ちこぼれの聖女』だな。こんな傷くらいさっさと治したらどうだ?」
「『あの大聖女』の娘なら、数秒で傷の一つや二つ治せるんじゃないのか?」
「こんな聖女なら、いてもいなくても変わらないな」
治療を受けた騎士たちは、口々に似たような言葉をマナへ投げかける。
戦さながらの実技で騎士たちの闘気や殺気が高まっており、彼女への当たりもいつも以上に強いものになっていた。
──もう聞き慣れた……はずなのに。
平気なふりをしていても、繰り返し聞かされる冷ややかな言葉に心はじわじわと蝕まれていく。
「私の治癒魔法がなかったらどうするんですか? 治療をやめてもいいんですよ?」
なんて嫌味のひとつでも言ってやりたくなったが、実際には言葉にならず、浮かんではすぐにかき消されていった。
目の前にいる怪我人を見捨てられるような性分ではなかったし、これも母のような立派な大聖女になるためだと言い聞かせ、必死に耐えながら治癒を続けていた。
──だから模擬戦の日は嫌。
母と比較し、自分を蔑ろにしてくる騎士たち。
だが何より、マナは力のない自分と、何も言い返せない自分自身に腹が立っていた。
唯一救いだったのは、ちゃんと謝辞を述べてくれる騎士もいてくれることだった。
「マナ様、いつもありがとうございます」
「ご自愛しながら頑張ってくださいね」
「お母様のような大聖女になられることを、遠くから祈っています」
感謝されたくて治癒をしているわけではないが、やはり礼を言ってもらえるのは嬉しかった。
温かな言葉は、マナのなによりの原動力になる。だからつらくても、めげずに治療に専念できているのだ。こういった騎士たちの励ましがなかったら、きっと今頃は泣きながら治療をしていたに違いない。
治療を始めてから二時間。絶え間なく現れる怪我人に、真っ白な聖女服は砂埃と血痕でどんどんと汚れていった。
田舎育ちのマナにとっては、汚れなどまったく気にはならない。だが、肌に張り付くようなワンピースの聖女服は動きにくく、あまり好きではなかった。
それでも着ているのは、国王からの指示だったからだ。
もう一つ加えるなら、マナの見た目はどこにでもいる普遍的な十五歳の少女でしかなったので、誰から見ても『聖女』だとわかるようにするためでもあった。
茶色い長い髪と茶色い瞳、それに背も平均的。
でも、母譲りの茶色い瞳は好きだった。
「おい! 早くしろよ!」
次に回ってきた騎士の怒鳴り声が響く。
──そんなに怒鳴らなくても聞こえるのに……。
マナは内心でぼやきながらも、何を言われてもいいよう心の準備をして治療に入る。
「お前、あのドロシア=ウィンズレット様の娘なんだって?」
「はい」
「へぇ。その割に、陳腐な治癒魔法しか使えねえな。本当に大聖女の娘か?」
にやにやと右の口角だけ上げて、見下すようにこちらに視線を向けている。
──やっぱり、そうきたか。
心の準備をしておいて正解だったなと、また内心でため息をついた。
しかしそれが悟られないように、精いっぱいの作り笑顔で応じる。
「……申し訳ないです。今は亡きお母様に負けない聖女になれるよう、日々精進しております」
そう返したときだった。背後から、場を和ませる穏やかな声が聞こえてきた。
「まあまあ、マナの治癒魔法があるとないとでは大違いですよ。我が騎士団にとっても、彼女は必要な存在なんです。ねえ、マナ」
声のする方へと振り返ると、そこには優しい微笑みを浮かべている国王フェアラートが立っていた。
「……フェアラート様!」
動揺した騎士の顔がこわばっていく中、すぐに彼は落ち着きのある声で騎士に告げる。
「マナがいてくれるから、みな本気で剣を交えられるんです。貴方のその怪我も、本来なら跡が残ってしまうかもしれないんですよ」
「はっ……! 不躾な物言い、大変失礼いたしました」
騎士は慌てながらフェアラートに詫びる。治療も済んでいない内に「もういい!」と声を荒げ、この場から逃げるように歩き出した。
──謝るなら、私の方にじゃない?
情けなく立ち去っていく後ろ姿に、マナは不満を込めた視線を送ることしかできなかった。
「気を悪くしないでくれ。二十年前の悲劇を繰り返さないための模擬戦でもあり、みんな血の気が多くなっていてね。大切な家族を傷つけられた人たちばかりだから」
「……承知しております、フェアラート王。かばっていただき、ありがとうございます」
フェアラートの優しい声色に少しずつ気持ちがほぐれていく。すぐに彼は「とんでもない」と、微笑みを返してくれた。
フェアラートがネームルア国の王となったのは二年前。
先代の国王だったフェアラートの父が病に倒れ急逝すると、王位はただちに彼へと引き継がれた。
弱冠二十三歳で王となった彼の微笑みには、すでに国王としての貫禄と気品が漂っていた。
さらりと垂れた金髪は王冠を身につけたような輝きを放っていて、大きな目の奥に宿る透き通った淡褐色の瞳は、すべてを見透かしているようにさえ思える。
その上で、老若男女を魅了する中性的な顔立ちを持つ彼は、まさに『王子様』と呼ぶにふさわしい存在だった。
「引き続き、よろしく頼むよ」
フェアラートがまたにこりと微笑む。
王子様スマイル、とでも言うのだろうか。この笑顔に射られてしまった女がどれほどいるのだろうと、下世話な考えが頭をめぐる。
「はい、かしこまりました」
間違っても自分は射られないようにと、マナは気を引き締めて承った。
「今日も優しいお言葉をありがとうございます」
「いえいえ。くれぐれも無理せずに。マナが倒れてしまったら、みんな困ってしまうからね」
そう言って、木漏れ日のような暖かい笑顔を残し颯爽と去っていく。
常に彼の後ろにいる執事に憐れみのような微笑をされたが、そういうのには慣れていたので今さら気にすることはなかった。
フェアラートがこうして気にかけてくれるのは、これで何度目だろうか。
半年ほど前に王宮で仕えだした頃は、みんなからの期待や尊敬や、ちょっとの好奇心などで丁重に扱われていた。
それが二ヶ月経った頃。
怪我を治せる程度の聖力しかないとわかるや否や、誰が言い出したのか『落ちこぼれの聖女』というレッテルを貼られてしまい、今ではなんとも肩身の狭い王宮暮らし。
ドロシアの娘と聞いて『あの大聖女』のような力をお目にかかれると期待していた分、ただの普通の聖女でしかなったことに失望が大きかったんだろう。
実際、ドロシアのように特別な力もなければ、それを補い黙らせるような美しい見目形でもなかったマナは、『落ちこぼれ』を否定できずにいた。
そういった時に現れてくれたのが彼、フェアラートだった。
それこそ白馬に乗った王子様であるかのように姿を見せて、元気を与えてくれる存在。
彼に対して敬意こそあれ、好意という感情までには至れなかった。
もちろん素敵でかっこいい人だと思ったりもしたが、国王を好きになったところで田舎出身の娘が相手にされるはずもない。優しくしてくれるのも、きっと国王という立場上のもの。彼の人柄で、みんなに優しいのだろう。
諦めではないが、最初から「好意」というものに一歩距離を置いていたのかもしれない。
──好きって、どんな気持ちなのかな。
まだ恋を知らないマナにとって、『好き』という気持ちはどこか不透明なものであった。
それでも事実、彼の言葉には何度も救われていたし、かばってくれることがとても嬉しかった。
──この気持ちが大きくなったら、いつか恋になるのかな。
彼の暖かな言葉を胸にしまい、負傷者たちの治癒に精力を注ぎ続ける。
闘技訓練場が静まった後も、しばらくマナの仕事は終わらなかった。




