第3話 一人の時間
短編集『あなたのとなり』
第3話 「一人の時間」
釣り好きな私が、ただ釣りをするだけの物語
私は釣りをするのが好きだ。ただ糸を垂らし、魚の生命に耳を傾け、水の囁きに心洗われる。
それは、海でも湖でも、川であっても同じだ。管理釣り場でも同じだが、人が多いところではゆっくりはできない。
釣り方は何でもいい。ルアーでも、ウキでも、毛鉤でもいい。自然というものに触れ合うのが目的である。私の気持ちを落ち着かせるのが目的だからだ。
今日、私は山形県の赤川に足を運んだ。今日の目当てはサクラマスだった。ちなみに、ほとんどの川には漁業権というものがある。鮭や鮎など、漁協が管理している魚を釣るには、遊漁券が必要なのだ。
道具を揃えポイントへ向かう。草木をかき分けると、眼前に雄大な河川が広がった。この景色をみるために釣り場に来ていると言っても過言ではない…が、目当ての魚も釣りたい。それが釣り人というものだと私は感じている。
周りをみると、岸に広がる雑草の間から、竿先がいくつか揺れている。私と同じ、サクラマスを狙う釣り人だろう。
良識のある釣り人は、決して相手のエリアに入りはしない。一定の距離を置いて自分の釣り座を確保する。それは、ポイントを移動するときも同じだ。
今日はどんなルアーがいいのだろうか。川の濁り、流れ、空気、水温、気温、潮の満ち引き、時間帯、周りの環境。それらすべてを考慮し、最適解を導いていく。それでも釣れないときは釣れない。魚の機嫌もあるのかもしれない。
リールのベイルを上げ、軽快な音を響かせルアーを投げ入れる。
着水。
一時の静寂の後、アクションを入れながらリールを巻いていく。ルアーが命を宿すようにイメージすることが大切だ。イメージできなければ、目当ての魚が食いつくことはない。私はそう思っている。
釣りというのは不思議な物で、釣りたい欲があると釣れないことが多い。おそらくだが、その欲が竿先から釣り糸に伝わり、魚が勘づいているのではないか?と思うことがある。
だから私は、釣りをする時は欲を出さないようにしている。目当ての魚を決めるときや、釣り場に向かうときは欲丸出しだが、なぜか釣り場に着き、揺れる水面をみると気持ちが落ち着いていくのだ。
妻は私のこの時間を大切にしてくれる。
結婚して25年。子供も巣立ち、妻と二人で過ごす時間も増えた。
そして妻は、私が家族と過ごす時間を確保するために、大好きな釣りを我慢していることも知っていた。
「こんなに隣にいるのに、わからないわけないでしょ?」
妻はこう言って私を送り出してくれた。しかも、手作り弁当まで作ってくれていた。できた妻を持って幸せである。自分にはもったいないと、何度思ったことか。
私は、そんな妻に恩返しできるだろうか?
できるなら、おいしい魚を釣って、二人で晩酌を楽しみたい。一人の時間を作ってくれた妻に感謝し、魚料理を振る舞いたい。そう思いながら、私は竿を振り続けた。
結局、サクラマスは釣れなかった。しかし、私は満足していた。
自然と触れ合い、大切な一人の時間を満喫した。
そして私は妻の隣へ帰っていく。鮮魚店で買った魚をお土産にして。
短編集『あなたのとなり』は思いついた時、不定期に更新する短編として投稿していきます。
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