第1章 第5話: 激辛ほうとうと種あり巨峰。令和に蘇る川中島の睨み合い
川中島の戦い(役員たちへのプレゼン)前哨戦が始まった…。
貸切予約1日目。午前10時。
長野県某所。
県内全域に絶大な影響力を持つ地域密着型カフェチェーン、『カフェ・ド・川中島』を巡る、日ノ本商事の社内コンペ(代理戦争)がいよいよ幕を開けた。
「……完全に、歴史の教科書で見た『川中島の戦い(第4次)』の布陣だ……」
私は、店舗のテラス席から外を眺め、呆然と呟いた。
私たちが陣取るのは、大通りに面した『茶臼本店』。
そして、目の前に走る片側二車線の大きな県道―
―『千曲通り』を挟んだ向かい側の少し小高い丘の上には、洋館風の造りをした『妻女山支店』が建っている。
妻女山支店の大きなガラス窓からは、真っ白なオーダースーツを着た上杉支社長が、腕を組みながら冷徹な視線でこちらを見下ろしているのがハッキリと見えた。
距離にしてわずか数百メートル。両者、一歩も譲らないバチバチの睨み合いである。
「草場チャン! ぼーっとしてる暇はないよ、明日の役員コンペに向けた資料作りと、試作品の仕込みだ!」
眼帯をした昭和の軍師・山本さんに急かされ、私は慌てて厨房へと向かった。
今回のコンペのテーマは『新メニューとマンネリ解消の起爆剤』。
窓越しに見える越後支社(上杉陣営)のテーブルには、すでに最新の薄型ノートパソコンが何台も並び、プロジェクターに映し出されたスマートなプレゼン資料が次々と最適化されているのが見える。
さらに、カフェのコンセプトにぴったりな、洗練されたお洒落なスイーツの試作品――粉雪のように美しいティラミスや色鮮やかなマカロン――がいくつも用意されていた。
一方、我が甲斐支社(武田陣営)の厨房では。
「オラァ! もっとニンニクをすり下ろせ!! 豆板醤は丸ごと一瓶ぶち込め!!」
「押忍! 刺激こそが至高! 胃粘膜を焼き尽くす覚悟で煮込みます!!」
「よし! ハバネロパウダーも追加だ!! 風林火山の『火』を具現化するぞ!!」
赤ジャージの営業部員たちが、巨大な寸胴鍋で真っ赤なドロドロの液体をグツグツと煮立たせている。むせ返るようなカプサイシンの刺激臭で、厨房はもはやサウナか地獄の釜のような有様だ。
「や、山本さん! これ何作ってるんですか!? カフェのコンペですよね!?」
「決まってるだろう、甲州名物『ほうとう』さ! カフェのマンネリをぶち壊すには、奇をてらった『超・激辛ニンニクほうとう』の一本槍でいく! もちろん、プレゼン資料は私の手書き(毛筆)だ!」
ドヤ顔で極太の筆ペンを握る山本さん。その傍らには、和紙に達筆で書かれた『気合』『根性』『激辛』という、およそプレゼン資料とは思えない精神論の羅列があった。
(……終わった。お洒落なカフェのコンペに、激辛ニンニクほうとうと毛筆の紙ペラで挑むとか、絶対に負けるやつだ!! 私の脳内歴史データベースが、かつてないほどの音量で非常ベルを鳴らしてる!!)
スマートな最新スイーツ(越後) VS 精神論の激辛ほうとう(甲斐)。
誰がどう見ても勝負は見えていた。しかし、武田陣営は誰一人として負けるなど微塵も思っておらず、汗だくで気合と根性だけでひたすら鍋をかき混ぜている。
そのまま夜になり、日付が変わる深夜未明。
戦況が、動いた。
「……来るね。これは、間違いなく来る」
真っ暗な店内で、山本さんがふと、自身の膝をさすりながら窓の外を見つめた。
「山本さん?」
「私の持病である、変形性膝関節症がうずいている。この関節の軋み、気圧の変化、そして急激な寒暖差……。長年の経験が教えてくれる。あと1時間もすれば、この千曲通り一帯に『濃霧』が発生する」
(すごい……! ITリテラシーは皆無でLINEに驚くレベルなのに、昭和のおじさん特有の『肌感覚』で天候を完璧に予測した! ここはさすが伝説の軍師!)
「草場チャン、望月クン。作戦を伝える。……通称、『キツツキ戦法』だ」
山本さんはニヤリと笑い、恐るべき盤外戦術を口にした。
「間もなく発生する濃霧に乗じて、君たち二人で千曲通りを渡り、向かいの妻女山支店の裏口から潜入したまえ。そして、上杉が用意している明日の試作用スイーツに……山梨名産の『種あり巨峰』を大量にトッピングしてくるのだ!」
「……は?」
「奴らのスイーツは確かに美味い。だが、中に『種』が大量に入っていれば、審査する役員たちは食べにくくて必ず不機嫌になる! 完璧な嫌がらせ……いや、戦略だ!!」
(いや、作戦がセコすぎる!!)
歴史上のキツツキ戦法といえば、別働隊を背後に回して敵を本陣へ追い落とすというダイナミックな挟撃作戦だ。それが令和の世では、まさかの『スイーツに種ありぶどうを仕込んで食べにくくする』という、とてつもなくスケールの小さい物理的嫌がらせに成り下がっていた。
「あはっ、面白そう。いいわねその作戦」
しかし、コンプラ意識の欠如したくノ一・望月先輩は、セクシーな唇を舐めずりながらノリノリである。
「さあ草場ちゃん、一緒に行くわよ。霧の中の密着スパイミッション……敵に見つからないように、私の胸の中にすっぽり隠れて、手をギュッと握っててね?」
「いや無理です! どんなに色気を出されても、これは立派な器物破損(コンプラ違反)ですから!! 明智秘書にチクりますよ!?」
私たちが裏口で揉み合っていた、その時だった。
「がはははは! お前ら、夜遅くまでご苦労だったな!」
厨房から、武田支社長の豪快な声が響き渡った。
「夜食の時間だ! 腹が減っては戦ができぬ! 試作品の激辛ほうとうを、赤ジャージ全員分、ドカンと注文(作れ)だ!! 疲れを吹っ飛ばすためにニンニクもマシマシでいけ!!」
「「「うおおおお!! 押忍、ごっつぁんです!!!」」」
武田支社長の部下を思いやる優しさと、赤ジャージたちの熱気が爆発し、厨房の火力が一気に最大まで引き上げられた。
――ゴオォォォォォォッ!!
その瞬間。
茶臼本店の厨房の換気扇、そして屋上の煙突から、凄まじい勢いで『大量の湯気』と『強烈なニンニクと豆板醤の匂い』が噴き出したのだ。
「あっ……!」
私は絶望的な顔で夜空を見上げた。
発生し始めた濃霧の中、カプサイシンとニンニクの刺激臭を孕んだ真っ白な煙が、風に乗って向かいの丘――妻女山支店へと一直線に流れていく。
(あ、これ……絶対バレるやつだ……!)
◇◇◇
同じ頃。
千曲通りを挟んだ向かいの丘の上、妻女山支店のオフィス。
真っ白なオーダースーツを着た上杉支社長は、深夜にもかかわらず、ノートPCに向かって完璧な姿勢でプレゼン資料の最終調整を行っていた。
「……支社長。少し、休憩されては?」
側近の直江が、温かいハーブティーを差し出す。
「不要だ。明日のコンペ、義において我らが負けるわけにはいかんからな。武田のタヌキオヤジを、我らの洗練されたプレゼンで完膚なきまでに――」
その時。
上杉の鼻腔を、強烈な異臭がくすぐった。
「……む?」
上杉はスッと立ち上がり、大きなガラス窓へと歩み寄る。
眼下の千曲通りは深い霧に包まれつつあったが……その霧の中から、明らかに異常な量の『湯気』と『目や鼻を刺す強烈なニンニク臭』が立ち上ってきているではないか。
「……直江。あのタヌキオヤジの陣(茶臼本店)から、尋常ではない匂いがするぞ」
「はい。おそらく、夜食に何かを大量に煮込んでいるのかと。相変わらず品のない連中です」
直江は呆れたように眼鏡を押し上げた。
しかし、上杉の冷徹な瞳は、そのニンニクの煙の奥にある『武田の気配』を鋭く察知していた。
「いや……違う。あのタヌキオヤジのことだ、ただの夜食で終わるはずがない。腹ごしらえをしてから、濃霧に乗じて何か汚い手(盤外戦術)を仕掛けてくる気だ……!」
キツツキ戦法(巨峰混入作戦)のことまでは知らない上杉だが、長年のライバルとしての直感が、彼に強烈な危機を告げていた。
「直江! PCを閉じろ! 全社員に通達だ!!」
「は、はい!?」
上杉は、真っ白なスーツの裾を翻し、鋭い声で命じた。
「これより我が越後支社は、奴らの裏をかく! 誰にも悟られぬよう、キーボードのタイピング音すら消して荷物をまとめろ! 鞭声粛々(しゅくしゅく)、夜、千曲通りを渡るぞ!!」
「い、今から山(妻女山)を下るんですか!? っていうか、こんな真夜中に大移動したら明日寝不足でプレゼンに支障が……!」
「行くぞ!!」
直江の正論など耳に入らない。
こうして、激辛ほうとうの煙をキッカケに、越後の白き義将は自ら山を下り、武田の本陣へと忍び寄っていく。
令和の川中島の戦いは、誰も予想しないドタバタの乱戦へと突入しようとしていた。
(第7話・了)
読んでいただきありがとうございます!
激戦と言われる第4次川中島の戦いのパロディです。
次回は啄木鳥を見破られた武田の防御と上杉の猛攻です。あの有名な二つの陣形が登場します!
どうやって現代アレンジするかお楽しみに!




