第1章 第2話:突撃営業の洗礼と、お姉さんくノ一の特別指導
次々と現れる戦国時代の人物…。果たして優奈葉は秘密に気づけるのか…。
一睡もできないまま迎えた、山梨の朝。
目の下にうっすらとクマを作った私が、スマホの地図アプリを頼りに辿り着いた先。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
「……嘘でしょ。ビルごと真っ赤なんだけど……」
『日ノ本商事・甲斐支社』。
その5階建ての自社ビルは、外壁からエントランスの自動ドアのフレームに至るまで、文字通りの『赤備え(全身真っ赤に塗装)』だった。
周囲ののどかな風景から、完全にそこだけ浮き上がっている。
恐る恐る自動ドアを抜け、オフィスに一歩足を踏み入れた瞬間。
私は自分の目を、そして耳を疑った。
「オラァ! 昨日のテレアポの進捗はどうなってんだ!」
「風の如く、爆速で架電してます!!」
「よし、次は火の如く市場を焼き尽くせ!!」
フロアに響き渡る、怒号のような掛け合い。
デスクに並ぶ数十人の社員たちが、全員、昨夜見たあの『真っ赤なジャージ』を着て、凄まじい勢いで電話をかけたり、PCのキーボードを叩いたりしているのだ。
昭和の熱血スポ根サークルではない。
ここは、全国展開する一部上場の大企業の支社である。
(ヤバい……ヤバい会社に来ちゃった……!)
私が入り口で立ち尽くしていると、フロアの奥から地鳴りのような足音が近づいてきた。
「がはははは! お前が本社の新卒、草場か!!」
声の主は、まるで熊のようにガタイが良い、大柄な男だった。
胸元に『風林火山』と金色の極太文字で刺繍された、特注の赤ジャージを着ている。
男の胸で揺れる名札には、『甲斐支社長・武田』とあった。
「よく来たな! お前が、あの織田のバカ野郎に本社で啖呵を切ったと明智から聞いてるぞ! 今どき気骨のある新人が来てくれて、俺は嬉しい!!」
「ひぐっ!?」
ガシッ! と両肩を掴まれ、凄まじい力でハグされる。
全身の骨がミシミシと鳴った。
「我が甲斐支社の営業方針は、あの赤いカブを使った突撃対面営業だ!」
武田支社長は豪快に笑いながら、窓の外を指差した。
見下ろした先の駐車場には、昨夜峠を爆走していたあの『赤いスーパーカブ』が、数百台規模でズラリと整列している。
「草場! 我が社の営業方針は『風林火山』だ!」
「ふ、ふうりんかざん……?」
「そうだ! 風の如く競合より速くチャットを返し、林の如く顧客の理不尽な苦情には静かに耐え、火の如く怒涛のテレアポで市場を焼き尽くし、山の如く競合の値下げ圧力には動じない!!」
(それ、ただのブラック企業の精神論の詰め合わせですよね!? 完全に労基法をバイクの機動力でブッチぎってる顔だ!)
私は恐怖に震えながら、明智秘書に「助けて」とLINEを送ろうとスマホを取り出しかけた。
しかし、ふと壁に貼られたコルクボードの掲示物を見て、目が釘付けになった。
そこには、デカデカと『今月の給与・賞与実績(※なぜか全社員に公開されている)』という表が貼り出されていたのだ。
……【新卒初任給:手取り35万】。
……【夏季ボーナス実績:基本給の6ヶ月分】。
……【家賃補助:全額支給(※カブ通勤者に限る)】。
(……えっ?)
間違いない。本社の待遇を遥かに凌駕する、バグみたいな金額だ。
(……超絶ホワイト企業!? いや、給料が高いだけで仕事は激務だから、漆黒のブラックを札束でコーティングした企業!?)
困惑しつつも、手取り35万という数字に心が揺れ動く私。
そんな私を見て、武田支社長がガハハと笑いながら言った。
「よし草場、さっそくお前の教育係を紹介しよう。お前の苗字には『草』が入っているからな。ぴったりな奴を用意したぞ。……おい、望月!」
「はい、支社長」
オフィスの影から、スッと現れた人影があった。
ポニーテールにまとめた艶やかな黒髪。
他の社員のような赤ジャージではなく、彼女だけは胸元を少し開けた細身の『黒いジャージ』を色っぽく着こなしている、モデルのように美しい大人の女性だった。
名札には『営業部主任・望月』とある。
「あなたが、新卒の草場ちゃんね。……ふふっ、可愛い子。私、こういうウサギみたいに怯えてる女の子、大好きなのよ」
望月先輩は色っぽい流し目で私を見つめると、スッと距離を詰め、私の顎を指先で優しく持ち上げた。
ふわりと、高級な香水の甘い香りが漂う。
「ひゃっ……!?」
「これからよろしくね。草場ちゃんのこと、私が手取り足取り、たーっぷり可愛がってあげるわ」
(ちょっ!距離が近い! なんだこの大人の色気と、妙な百合オーラは!)
私の脳内歴史DBが、激しく警告音を鳴らした。
私の苗字の『草(間諜)』、そして望月という苗字。
間違いない、武田信玄お抱えの歩き巫女ネットワークの頭領、望月千代女の現代版だ。
「さあ草場ちゃん、さっそくマニュアルを共有するから、別室へ行きましょうか」
私は望月先輩の甘い香りと逆らえないオーラに引かれるまま、オフィスの奥にある、窓のない薄暗い『資料室』へと連行された。
ガチャリ。
望月先輩は部屋に入ると、パタンとドアを閉め、内側から鍵をかけた。
そして、机の上に怪しげな『ネイビーの清掃員作業着』と、いくつかの『特殊な工具』を並べ始めたのだ。
「……あの、望月先輩? これは事務職のマニュアルでしょうか?」
「ええ、我が甲斐支社の『特殊営業マニュアル』よ。あなたの最初の任務は、競合他社への潜入(清掃)だから」
望月先輩は、大人の余裕たっぷりの微笑みを浮かべながら、恐ろしいことを口にした。
「他社の機密情報を探るには、清掃員や接待ゴルフのキャディに扮するのが一番。……というわけで、まずはターゲットの懐に入り込むため、男が喜ぶ仕草を……」
「ま、枕営業なんてコンプラ違反です〜!!(涙)」
私は涙目で叫び、部屋の隅でギュッと身をすくませた。
「ふふっ、冗談よ(ウインク)」
望月先輩は、からかうようにペロッと舌を出してウインクをした。
……が。
その時、私は見てしまった。
(あれ……? 望月先輩、今『男が喜ぶ仕草』って言った時、一瞬だけ言葉に詰まって、耳の裏が真っ赤になってなかった……?)
私は、歴女ならではの鋭い洞察力で、目の前のセクシーなくノ一先輩を観察した。
大人の余裕。完璧な色気。
しかし、男性社員との物理的な距離は微妙に遠く、私(同性)にだけやたらとスキンシップが激しい。
(……もしかしてこの人。大人の余裕漂うお姉さんぶってるけど、実は『男性経験ゼロ』なんじゃ……!?)
私の視線に気づいたのか、望月先輩は「コホン」と少し照れ隠しのように咳払いをした。
「さ、さあ、変な妄想してないで、明日の未明には新潟の『越後支社』に潜入するから、今日はこれでワイヤーロックの解除手順を覚えてね!」
カチャリ、と。
赤くなった顔を誤魔化すように、プロ仕様のピッキングツールを私に押し付けてくる。
「いや、だからこれビジネススキルじゃなくて完全にビジネススパイ(犯罪)ですよねーーーー!?」
「いいえ、情報の近代化よ! ほら、さっさと鍵穴のピンの感覚を指先で覚える!」
(ダメだ! このお姉さん、可愛いポンコツの皮を被ったガチのくノ一(犯罪者)だ!!)
私の悲鳴は、分厚い資料室の壁に吸い込まれ、誰にも届くことはなかった。
こうして私は、百合の香りとコンプラ違反が入り混じる密室で、涙目でピッキングの練習をさせられながら社会人2日目の夜を迎えるのだった。
(第4話・了)
次回は8月21日投稿です!




