第1章 第8話:痛み分けの握手と、勃発する第二次川中島(トイレ合戦)
ここで登場村上オーナー。「この人を出すかぁ!」と膝を叩いて納得してくれると嬉しいです。
ガキィィィィンッッ!!!
早朝の『カフェ・ド・川中島 茶臼本店』に、高級デザートフォークとお洒落な木製トレーが激突する、なんとも低次元な音が響き渡った。
「ええい、よこせタヌキオヤジ! その巨峰は私のものだ!」
「やかましい! ワシの陣地にあるものはワシのフルーツじゃ!!」
キャスター付きのビジネスチェアに跨り、フォークを突き出す越後支社の上杉支社長。
それを木製トレーで必死にガードする、甲斐支社の武田支社長。
日本のビジネス界を牽引する大企業の支社長二人による、あまりにも大人気ない巨峰の奪い合いである。
「ちょっと、いい加減にしてください!」
見かねた甲斐支社の望月先輩が、乱入した。
彼女は、上杉支社長が跨っているビジネスチェアの背もたれを背後からガシッと掴むと、ヒールで床を踏みしめ、強引に武田支社長から引き剥がした。
「あっ! ちょっ、やめっ……!」
バッ! と上杉支社長の体が後方へ引っ張られる。
しかし、さすがは日ノ本商事の役員クラスが愛用する高級ビジネスチェアである。そのキャスターの『静音性』と『滑らかさ』は、尋常ではなかった。
――スーッ……。
一切の摩擦音を立てることなく。
上杉支社長は椅子に座ったままの姿勢で、氷上を滑るフィギュアスケーターのごとく、呆然と立ち尽くす私の目の前を横切っていった。
(……え?)
スーッ、と私の前を通り過ぎていく、ほんの一瞬。
私はハッキリと見てしまった。
冷徹な義将として恐れられるあのツンデレおじさんが、引き剥がされる直前のドサクサに紛れて、武田の陣地から巨峰を『一粒だけ』ちゃっかり掠め取っていたのを。
そして上杉支社長は、流れるような動作でその一粒をポンッと口に放り込み、私の前を滑り抜けながら、この世の全てを手に入れたかのような『無邪気で嬉しそうなドヤ顔』を一瞬だけ浮かべたのだ。
(いや、一粒取れただけでめちゃくちゃ嬉しそうにしてる!! 静音キャスターのせいでシュールすぎるんですけど!!)
私の心の中のツッコミが追いつかないうちに、上杉支社長はススス……と越後陣営の奥深くまで滑っていき、何事もなかったかのようにコホンと咳払いをして腕を組んだ。
両陣営とも、すでに『車懸かりの高速プレゼン』と『激辛ほうとうの強引な試食』により、体力もプレゼン資料(矢弾)も完全に尽き果てていた。
赤ジャージ軍団も、白スーツ軍団も、床にへたり込んで肩で息をしている。
死屍累々となったカフェの店内で、全社員の視線が、ただ一箇所へと集まった。
「……ふむ」
審査員席の奥。
騒動の渦中に巻き込まれ、すっかり魂が抜けていた『カフェ・ド・川中島』の経営トップ、村上オーナーが、重い口を開いた。
「両者の言い分、そして試作品の数々、しかと見届けさせてもらった」
村上オーナーが顎を撫でる。
歴史上、武田と上杉の間で翻弄され続けた信濃の豪族・村上義清の現代版である彼が、令和の川中島の勝敗を決めるのだ。
「まず、越後支社。君たちの用意したプレゼン資料の完成度、そして洗練されたスイーツの数々は……私共の『お洒落で落ち着くカフェ』というコンセプトに、ピッタリと合致している。素晴らしい出来だ」
「フッ……」
上杉支社長が、勝ったとばかりに口角を上げ、武田に向けて見下すような視線を送った。越後陣営から歓声が上がりかける。
しかし。
「だがな」
村上オーナーの鋭い一言が、それを制した。
「甲斐支社の、あの下品極まりない『激辛ニンニク豆板醤ほうとう』……。カフェには絶対にそぐわない最悪のメニューだ。……しかし」
オーナーは、自分の前に置かれた空っぽのスイーツの皿と、ほうとうの丼を交互に見つめた。
「あの甘々なスイーツを、我々が最後まで胃もたれせずに全て平らげることができたのは……ほうとうの強烈な『塩気』と『辛味』があったからこそだ。しょっぱいものを食べると、甘いものが欲しくなる。そして甘いものを食べると、またしょっぱいものが欲しくなる……! この無限ループこそが、飲食業界の真理!! マンネリ解消の起爆剤としては、両方を組み合わせるのが最高かもしれない!!」
「「「なっ……!?」」」
両陣営から、驚愕の声が上がる。
「よって、今回の勝負。越後の洗練されたスイーツと、甲斐のパンチの効いたほうとうをセットにした『コラボメニューの開発』として……両者、引き分け(共同経営)とする!!」
まさかの痛み分け。
しかし、それは両者の強みを最大限に活かした、ビジネスとしてこれ以上ない最高の裁定だった。
「がははははは!!」
静寂を破り、武田支社長が豪快に笑い声を上げた。
「聞いたか上杉! 見事な痛み分けだな! まったく、お前という奴はどこまでも食えない男よ!」
武田はズカズカと歩み寄ると、上杉に向かって丸太のように太い腕を突き出し、握手を求めた。
上杉支社長は一瞬ためらったものの、フイッとそっぽを向きながら、その大きな手をガシッと握り返した。
「……勘違いするな、タヌキオヤジ。これはあくまで、カフェの未来という『義』のためだ。決して、貴様と協力するためではないからな!」
完璧なツンデレ台詞。
朝日が差し込むカフェの中で、長年の宿敵同士がガッチリと手を結ぶ。
まさに、胸が熱くなる歴史的名シーン。この熾烈な社内コンペは、大団円を迎える。
…はずだった。
――ギュルルルルルルルルゥゥゥゥゥッッ!!!
感動的な握手を交わした、その直後。
店内の静寂を切り裂くように、両大将を含めた全社員の腹の底から、一斉にこの世の終わりを告げるような不穏な爆音が鳴り響いた。
「……ッ!?」
武田と上杉の顔から、一瞬にして血の気が引く。
無理もない。
連日の徹夜による極度の疲労。長野特有の朝晩の寒暖差。
そこに、キンキンに冷えた甘いスイーツの過剰摂取と、胃粘膜を焼き尽くす油っこい激辛ニンニクほうとうの暴飲暴食。
これらが社員たちの限界を迎えた胃腸内で最悪の化学反応を起こし、かつてない規模の腹痛クーデターを引き起こしたのだ。
「う、うおおおおお!! 漏れるゥゥゥゥッ!!!」
「どけえええ!! 俺が先だ! トイレを明け渡せ!!」
「越後の軟弱な胃袋どもに負けるな! 個室を占拠しろォォ!!」
美しい握手の余韻は、コンマ一秒で消え去った。
腹を抱え、脂汗を流す両陣営の社員たちが、我先に茶臼本店の限られた個室トイレへと殺到していく。
ここに、血で血を洗う、最も過酷で醜悪な合戦。
『第二次川中島の戦い(トイレの奪い合い)』が勃発したのである。
「ワシは……もう、ダメだ……」
凄惨なトイレ争奪戦が繰り広げられる中。
床に這いつくばる一人の男がいた。昭和の軍師、山本勘助である。
徹夜での手書き資料作成、スイーツのヤケ食い、そして加齢による胃腸の弱さというトリプルパンチを受けた彼の肉体は、完全に限界を迎えていた。
「支社長……これを……」
山本は、プルプルと震える手で、懐から一枚の封筒を取り出し、トイレの順番待ちで悶絶している武田支社長に向けて差し出した。
「なっ……山本、お前、それは……!」
「『早期退職願』です……。私はもう、令和のスピードには……いや、この会社の無茶苦茶な胃腸の強さについていけません……。ハワイにでも行って、余生を過ごします……ガクッ」
「やまもとォォォォォッ!!」
トイレのドアの前で、武田の悲痛な叫びが響き渡る。
こうして、甲斐支社を知能で支え続けた伝説のアナログ軍師は、便意と共に静かに戦線(会社)を離脱していった。
◇◇◇
数十分後。
戦場を駆け抜けた嵐が去り、荒れ果てた店舗と、トイレで燃え尽きて白く灰になった社員たちの残骸が転がる店内。
「……はぁ」
「……ええ、本当に」
大きくため息をつきながら、散乱した椅子を直し、カフェの経営陣に平謝りしている二人の姿があった。
常に一歩引いて俯瞰していたため、ほうとうの試食を免れた越後支社のナンバー2・直江。
そして、「深夜の暴食は肌に悪いから」という理由で、ちゃっかり自分だけ被害を回避していた甲斐支社のナンバー2・望月先輩である。
「うちの上司の独断専行には、本当に胃が痛くなりますよ」
「わかるわ。うちの脳筋支社長も、勢いだけで後先考えないんだもの。……お互い、苦労するわね」
実務担当者(しりぬぐい要員)同士の、奇妙な連帯感。
私と優奈葉は、そんな二人の背中を見つめながら、この『日ノ本商事』という会社で生きていくことの過酷さを、改めて痛感していたのだった。
(第10話・了)
読んでいただきありがとうございます!
川中島の戦いは両者痛み分けで終わるという史実を面白く再現してみました!予想は当たってましたか?
村上オーナーを出したのは個人的にファインプレーかと思います!
サブエピソード4.5話で描いたno.2の悲哀がまたしても次話で描かれます。
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