↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/9

偉い人映像化して・るろうに剣心3日露戦争編

明治三十七年、冬。世界は二十世紀という新しき世紀の幕開けを迎えたが、その歪みは「日露戦争」という未曾有の総力戦となって暴発していた。

凍てつく満洲・長嶺子(ちょうれいし)駅のホームに、満洲軍総参謀長・児玉源太郎大将と並んで降り立った一人の青年がいた。

名は、緋村剣路。二十四歳。陸軍の特製軍服の上から、比古清十郎譲りの白マントを不敵になびかせるその瞳は、冷徹な傲慢さに満ちていた。

十四歳で比古の元へ押しかけ、過酷な修業の末に飛天御剣流のすべて、そして最高奥義『天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)』をも完全に掌中に収めた、恐るべき天才剣士。

しかし彼の胸にくすぶっていたのは、父親――かつて「人斬り抜刀斎」と恐れられ、今はただの大人しい流浪人となった緋村剣心への、激しい反発と憎悪であった。

「時代遅れの『不殺』などという生ぬるい妄想に囚われ、表舞台から消えていった男だ。僕はあんな影に隠れて生きるつもりはない。

僕の飛天御剣流は、国家の敵を鏖殺し、この不落の旅順要塞を一瞬で切り裂くためにある」

陸軍の絶対権力者となった山県有朋からの極秘の特令を受け、児玉大将の「切り札」たる特別遊撃剣士として旅順へ乗り込んだ剣路。

彼は第3軍司令部にて、かつて父の戦友であった総大将・乃木希典大将と面会する。


乃木希典。かつて下関の夜に剣心に語った「高杉さんのような大将になる」という夢を現実のものとし、この旅順攻囲戦の最高指揮を執っていた。

しかし、遅れる永久要塞の攻略と、連日「決死隊の白いたすき」を血で真っ赤に染めて死んでいく数万の若者たちの重責に、乃木の魂は限界まで削り取られていた。

「生きて国に報いるのが本当の『報国』だと、かつて君の父親に教わったというのに……私はまた、この地で多くの命を散らせ続けている……」

乃木は、この旅順の激戦(南山・二百三高地など)で相次いで戦死した自身の二人の愛息、勝典(かつすけ)と保典(やすのり)の姿を、同年代の剣路に重ね、悲痛な面持ちで語りかける。

「私自身はまだ、こうしておめおめと生き延びているが……我が子を二人とも無残に死なせてしまった。君は、生きてくれよ。生き延びてくれ、剣路君」

しかし、剣路は冷たく吐き捨てるように言った。「死ぬわけないじゃないですか。僕はただ、この世界に『最強』を証明しに来ただけです」

己の神速への絶対的な自負。それだけを抱き、二十四歳の天才は、ロシア軍のマキシム機関銃が死の雨を降らせ、コンクリートの塹壕が立ち並ぶ二百三高地の最前線へと、その身を投じた。


十二月五日。満洲軍総参謀長・児玉源太郎大将が実質的な指揮権を握り、本土から急送された二十八サンチ榴弾砲が天を揺るがす地鳴りを響かせるなか、二百三高地への運命の総攻撃が始まった。

ロシア軍が誇るコンクリートの永久要塞。一分間に数百発の弾丸を吐き出すマキシム機関銃の嵐。

突撃する第七師団(旭川)の兵士たちが次々と肉片と化していく地獄の塹壕戦へ、剣路の白マントが神速で躍り出た。

「我が飛天御剣流の神速の前には、機関銃の弾道すら止まって見える!」超神速の歩法『縮地』に比肩する身のこなしで死の弾雨をすり抜け、爆煙を突いて天高く宙を舞う。

「飛天御剣流――九頭龍閃(くずりゅうせん)っ!!」神速の九つの斬撃が同時に炸裂し、強固な機関銃座のロシア兵を一瞬にして一刀両断、鉄の怪物を完全に破壊してみせた。

その手に握られているのは、父が持っていた不殺の逆刃刀などではない。敵を容赦なく断ち切るために研ぎ澄まされた、鋭利なる真剣であった。

しかし、無限に湧き出るロシア兵の怒号と、大地を削る砲撃の嵐は、いくら飛天御剣流の天才といえども、たった一人の剣技で容易く蹴散らせるものではなかった。

次々と降り注ぐ手榴弾の爆風を浴び、コンクリートの塹壕に身を寄せながら息を切らす剣路。

「なるほどな……。乃木殿がこれほど苦戦するわけだ」


己の傲慢さが一瞬揺らいだその時、すぐ隣の泥塗れの塹壕から、地獄の底を焦がすような凄まじい咆哮が轟いた。

「うおおおおおおお!!! 俺は不死身の、杉元だあああああああああ!!」

顔に深い傷を負い、銃弾を何発浴びようとも怯まず、狂戦士の如き形相で銃剣を突き立ててロシア兵を屠っていく一人の二等兵。

「フン……。日本軍(うち)の死体の山の上に、まだこんな元気が残っていたか」極限の戦場で、剣路の唇に再び不敵な笑みが戻った。

先駆けの栄誉をその男に譲る気など微塵もない。剣路は白マントを翻すと、鬼神の如く暴れ回る杉元を飛び越えるようにして、さらに敵陣の深奥へと斬り込んでいった。

真剣の神速が鉄を裂き、不死身の執念が肉を砕く。相容れない二人の圧倒的な破壊力が戦場で重なったその日、

不落と謳われた二百三高地の第一線は、わずか一日で完全に陥落への決定打を迎えた。

山頂に掲げられた日の丸の旗の向こう、旅順の海に浮かぶロシア国境艦隊の姿を、ついに日本軍は眼下に捉えられたのである。


十二月十五日、東鶏冠山(とうけいかんざん)の決戦。二百三高地での泥塗れの共闘を経て、

かつての驕り高ぶるエリートから、真の「戦士」の眼差しをその瞳に宿した剣路は、次なる最前線『東鶏冠山北堡塁』の、暗く冷たいコンクリートの最深部へと突入していた。

唸りを上げる高圧電流の鉄条網と側防窖室(カポニエール)の機関銃座を神速で切り裂き、血煙を突いて剣路が立ちはだかったのは、

ロシア軍の精神的支柱であり、旅順要塞の防衛総指揮官――ロマン・コンドラチェンコ陸軍少将の眼前であった。

「……お前が、この要塞を支える将か」名将コンドラチェンコは、突如闇から現れた東洋の若きサムライの気迫に驚愕しながらも、ロシア帝国の誇りを懸けて重厚なサーベルを限界まで振り下ろす。

だが、極限の戦場で「生きる執念」を学んだ二十四歳のキレ味は、すでに人間の領域を超越していた。

最強ではなく『生』を求める意志がその左足を一歩前へ。

ここに飛天御剣流最高奥義が真の完成を見せる。

「――天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)っっっ!!!」

超神速の抜刀術が狭い地下要塞の中で炸裂し、発生した凄まじい真真空の衝撃波が、名将の重厚なサーベルを粉々に打ち砕いた。

そして、その肉体を真っ向から切り裂いたのである。

のちの史実には「日本軍の二十八サンチ榴弾砲の直撃による戦死」と記録された、コンドラチェンコ少将の最期。

しかしその真実は、砲弾より強烈な緋村剣路の一撃だった。

総指揮官を失ったロシア軍は激しく動揺し、不落と謳われた東鶏冠山堡塁は、ついに陥落の時を迎えることとなる。


十二月二十八日、猛吹雪のなかで二竜山(にりゅうざん)堡塁を占領。

そして明治三十七年、大正月を目前に控えた大晦日――十二月三十一日。旅順東部戦線の最後の砦、松樹山(しょうじゅさん)堡塁。

剣路の神速の剣風と、杉元の「不死身の突撃」が、防衛線を突破してロシア軍の残党を瞬く間に制圧し、ついに要塞の本丸へと突き抜けた。

ロシア軍が退却の白旗を掲げ、急速に静まり返る松樹山の山頂。

新しい世紀を迎える除夜の鐘の音の代わりに、凍てつく満洲の星空を見上げ、二十四歳の剣路は、返り血に汚れた真剣をそっと鞘へと収めた。

その頬を、夜空から舞い降りる冷たい雪が静かに濡らしていく。

一月一日。ロシア軍、全面降伏。旅順攻囲戦は、ついに終わった。しかし、明けた新年の美しい朝日が白銀の大地に照らし出したのは、勝利の栄光などでは決してなかった。

赤土と泥の中に、幾重にも折り重なり、凍りついて物言わぬ肉塊と化した、数万の「敵味方の死体の山」であった。

血の臭いと硝煙が立ち込めるその惨状の前に、剣路は思わず膝を突き、ただ呆然と己の両手を見つめた。

(親父も……あの幕末の京都で、これと全く同じ『地獄の光景』を見たんだ。

だからこそ……誰もが笑って暮らせる新時代のために、刀を置いて、あの『不殺の誓い』を立てたのか……)

父の思いを理解した息子の姿がそこにはあった。


一月五日。旅順の水師営(すいしえい)にある小さな農家にて、第3軍司令官・乃木希典大将と、ロシア軍司令官・アナトリー・ステッセル中将の歴史的な会見が行われた。

乃木大将は敗軍の将から屈辱的な武器の没収を行わず、国のために全力を尽くして戦った名将の誇りを称え、特例として「帯剣」を許した。

極めて紳士的に、対等な武人として戦後処理に臨んだのである。

「敵将とはいえ、国のために尽くした者に違いはない。戦争が終われば、互いに称え合うべきだ」

そう語る乃木の脳裏には、二十八年前――明治十年の鹿児島・城山の爆煙の中で、西郷隆盛の遺体をその背に背負い、

「即刻の終戦を宣言してくだされ。それがあなたの最後の『正義』でござらんか!」と涙ながらに叫んだ、あの日の緋村剣心の姿と、

西郷の遺体を前に軍帽を脱ぎ、万感の思いで深々と頭を垂れ、敵将に哀悼の意を示す山県の姿があった。

そして即刻の終戦を宣言し、西南戦争を即座に終結させた山県と剣心。そして西郷の雄姿を、乃木は一度たりとも忘れた日はなかった。

幕末の長州から始まり、西南戦争の城山を経て、この極寒の旅順・水師営へと時を超えて受け継がれた、一筋の「光のバトン」。

それを見届けた剣路の瞳には、かつて父への反発で歪んでいた暗い影は、もうどこにもなかった。


明治三十八年、一月七日。凍てつく長嶺子(ちょうれいし)駅のホームに、白煙を吐き出す蒸気機関車が佇んでいた。

水師営での歴史的な会見からわずか二日。満洲軍総参謀長・児玉源太郎大将は、息をつく間もなく北方の総司令部へと引き返す汽車に乗り込もうとしていた。

その後ろ姿を、総大将・乃木希典大将と、白マントを羽織った緋村剣路が静かに見送っていた。

「文蔵、お前の命は今回も俺が預かっておく。死にたければ、俺より先に出世しろと言ったろう」

児玉は不敵に笑い、乃木の肩をバシッと叩いた。

あの西南戦争の天幕の時と、全く同じ熱さがそこにあった。

「ああ。......行ってくれ、源太郎。旅順の二十八サンチ榴弾砲は、すぐにでも北方へ送り出す」

児玉を乗せた汽車が、雪煙を上げて闇の彼方へと消えていく。乃木は隣に立つ二十四歳の天才剣士。

「剣路君。山県閣下からの特令、旅順の後始末(戦後処理)を、もうしばらく手伝ってはくれまいか」

「乃木大将。......親父がかつて、幕末や西南戦争の後始末でどんな影を背負ったのか。僕もこの目で見届ける所存です」

一月半ば。旅順の地で、敵味方の数万の英霊を弔う合同慰霊祭が、凍てつく空の下で静かに行われた。

剣路は軍政庁の書類仕事や捕虜の送還手続きを黙々とこなし、戦争が遺す「圧倒的なむなしさ」を、その魂に刻み込んでいった。

一方、第七師団は、二〇三高地での傷も癒えぬまま、第3軍の主力としてさらなる極寒の北方へと進軍を開始していた。

二月下旬、日露の両軍合わせて六十万が激突する、陸戦最後の歴史的大決戦「奉天(ほうてん)会戦」の火蓋が切られた。

三月十日、激しい雪が舞い散る奉天の戦場で、再びあの男の咆哮を聞いた。

「うおおおおおおお!!! 俺は不死身の、杉元だあああああああああ!!」

第七師団がロシアの防衛線を切り裂き、奉天の街に日の丸の旗が掲げられた。


明治三十八年、九月五日。ポーツマス条約が締結され晴れて日露戦争は終結した。

全てのお役目を終えた剣路は、山県への最終報告書を懐に抱き、軍の高速伝令船に乗り込んだ。

秋風冷たく吹き込む船内であの男が目に留まる。

「さすが不死身の杉元。無事生きてたんだな」

「ああ!あんたは旅順で凄かった剣士の兄ちゃん!え~と・・名は?」

「俺は緋村剣路・・いや、15代目比古清十郎だ」

「なんだそりゃあ!?軍の新しい秘密組織か!?」日本へと向かう戦場でお互いを語り合う若き二人。

窓の外には、激しい吹雪の向こうに、新しい世紀の夜明けが白々と広がっていた。

一人は金塊の運命が待ち受ける極寒の北海道へ。一人は家族が待つ神谷道場へと、

それぞれの新しき路へ向かって、二人の若者は力強く歩み出すのであった。


広島港に着き、汽車に乗り東京へ向かう道中の剣路。

車窓からは京の山々がみえる。その山々を眺め、剣路は明治三十六年の秋、京の山奥であの日のことを思い返していた。

「師匠。僕を日露の戦場へ行かせてください。旅順要塞を切り裂くための『切り札』として、山県閣下から参戦の要請が来ました」

陸軍からの極秘書状を握りしめ、己の才気への絶対的な傲慢さを瞳に宿した緋村剣路が立っていた。

庵の濡れ縁で徳利を傾けていた十三代目比古清十郎は、弟子に視線すら向けず冷ややかに鼻で笑った。

「ふん......。あの強欲の山県が、ついに飛天の力を国家の兵器として欲しがりおったか。

ガキに大義名分を吹き込み、戦場へ放り込もうとは、相変わらず悪趣味な男だ」

「大義名分なんてどうでもいい! 僕はただ、世界最強の要塞をこの手で叩き壊し、世界に『最強』を証明したいだけだ!」

比古はゆっくりと徳利を置き、その底知れぬ眼光を弟子へと向けた。

「だが剣路、未だ貴様の飛天は、ただの『張り子の天才』だ。神速のキレ味こそあれ、中身は空っぽだ。

そんな歪んだ刃のままで下山すれば、貴様もまた、かつての父親のように時代という狂気に使い潰されるだけだぞ」

「なら、中身を詰め込んでください!

飛天御剣流最高奥義――『天翔龍閃(あまかけるりゅうのひらめき)』を、僕に授けてくれ!!」剣路は真剣を真っ直ぐに突き付けた。


剣路の鋭い視線に、かつて長州へ下りると言って聞かなかったあの「お人好しの馬鹿弟子」の面影を重ね合わせ、重い溜息を吐き出した。

「いいだろう。そこまで言うなら、お前が本当にその奥義を背負える器かどうか、この俺が直々に品定めしてやる。」

比古は重い素振りの木刀を二本掴み、一本を剣路に渡す。

「……木刀…ですか、俺を殺人鬼にしないための配慮ですか?」

「俺が死んでもお前が死んでも後々面倒臭いんだよ。奥義を体得させてやろうっていうんだ、四の五の言わずにとっとと構えろ!」

白マントが風に翻り、圧倒的な威圧感が空気を一瞬にして氷結させる。

「いくぞ、剣路! 『九頭龍閃(くずりゅうせん)』ッ!!」

人間の動体視力を遥かに超越した九つの光の帯が、同時に剣路の五体を圧殺せんと襲いかかる。

(親父を超える......! 僕は、世界で最強になるんだ――ッ!!)

恐怖を傲慢さでねじ伏せ、剣路は死線を潜り抜けるように左足を一歩前へ踏み込んだ。

大地が爆ぜ、九つの光の隙間をすり抜ける。踏み込んだ足の加速のまま放たれた超神速の抜刀術

――木刀の切っ先が、比古の完璧な九頭龍閃を打ち破り、その鳩尾へと真っ直ぐに突き刺さった。

凄まじい衝撃波が紅葉を一斉に吹き飛ばす。比古の巨躯が数メートルも後方へと弾き飛ばされ、岩壁に叩きつけられた。

「はぁ、はぁ、はぁ......っ!」剣路が激しく息を切らす中、比古はドッと口から鮮血を吐き出し、泥を這うようにして、しかし不敵な笑みを浮かべて上半身を起こした。

「形は......完璧だ。だが剣路。今の貴様の『天翔龍閃』には、まだ本物の魂(真真空の衝撃)が宿っていない。

貴様にはまだ、死への本当の恐怖も、そこから這い上がる『生への絶対的な執念』も足りんのだ。

伝承者の証はくれてやる。だが十五代目を名乗るかどうかは自分で決めろ」剣路は無言で白マントを肩へと羽織る。

「師匠。俺が旅順を落としたその時は、堂々と『十五代目比古清十郎』を名乗らせてもらいますよ」

「フン、近代戦の人間屠殺場と呼ばれる圧倒的な死体の山の上で、貴様が一体どんな『答え』を掴むのやら・・

......さあ、行け、クソガキ。次に戻ってきた時は、俺の肋骨を折った詫びに極上の酒を持ってくるんだな」

「......行ってきます、師匠」剣路は振り返ることなく、白マントの裾を秋風になびかせながら、満洲の戦火へと向かって静かに山を下りていくのであった。


回想を終えた剣路は、あの山のどこかにいるであろう師匠に向けつぶやく。

「俺は堂々と十五代目を名乗らせていただきますよ」




明治三十九年、一月十四日。剣路と乃木が満洲から日本(東京・新橋駅)に降り立った。

駅の前には、旅順を落とした「凱旋将軍」を一目見ようと、日の丸の旗を持った数万の群衆が押し寄せ、熱狂的な歓声が地鳴りを起こしていた。

だが出迎えの列にいた山県の目には英雄と称えられていながら顔は青白く、まるで罪人のようにうつむき、軍服の袖を震わせている乃木の姿が映っていた。

乃木は「数万の部下と二人の息子を死なせてしまった自分が、なぜ生きて英雄などと騒がれねばならんのか」と、心の中で血の涙を流していたのだ。


そして翌1月15日、乃木は宮中(皇居)へ参内し、明治天皇の御前で、山県や伊藤ら政府高官(元老)が居並ぶなか、旅順攻囲戦の戦闘報告(復命書)を読み上げた。

乃木は、自分が犯した戦術の誤り、それによって失われた数万の若き命、そして我が子たちの戦死の経緯を、震える声で淡々と読み上げていった。

だが、報告の途中でついに感情が決壊し、「この老いさらばえた希典、今すぐこの場で割腹し、陛下と国民に罪をお詫びしたく存じます!」

と、大粒の涙を流してその場に崩れ落ち、大哭したのだ。


その姿を前に、明治天皇は深く胸を痛めた。そして厳かに、慈愛に満ちた言葉を掛けた。

「乃木の心はよく分かっている。だが、いまは死ぬべき時ではない。もしどうしても死にたいと言うのなら、私が世を去ってからにしなさい」

聖上からのこの上ない「生きて国に尽くせ」というお言葉に、

乃木は涙を拭い、再び「生きて報国する」覚悟を決めたのだ。


宮中での張り詰めた儀式がすべて終わったその日の夜、山県は乃木を、東京の目白にある邸宅「椿山荘」へと密かに招いた。

政治家や軍人としてではなく、かつて下関で共に戦った長州の「狂介」と「文蔵」として、二人きりで話すためだ。

静まり返った椿山荘の庭園を望む奥座敷。温かい茶を淹れて乃木の前に置いた。

「......文蔵。聖上にあそこまで言わせるとは、お前という男は、いくつになっても周囲をヒヤヒヤさせるな」


乃木は懐から1本の撥を取り出し、山県の前に置いた。

「この撥は、四境戦争の折、小倉口の戦いの戦利品の太鼓を高杉さんや坂本さんに促され、緋村と共に叩いたときの撥です。

あの頃の緋村は、人斬りとしての影を帯びていましたが、あの太鼓を叩いた日、高杉さんと坂本さんの光を浴びて生きる希望を得たのです」


「高杉さんに坂本さんか。確かにあの二人は日本に夜明けをもたらす太陽であったな」


「そして、戊辰戦争の折、怪我で出陣できず絶望していた私の下に見舞いに来てくれたのが緋村でした。

旧時代を終わらす影は俺が引き受ける、お前は新時代の光となれと言って、この撥を届けてくれたのです」


「そんなことがあったのか。実に緋村らしい励ましだな」


「………しかし私は、あの西南戦争で、軍旗を失った面目から前線で死に急いでいました。

そんなの私を止めてくれたのも緋村でした。

敵も味方も死ぬことでしか武士の義を示せなかったあの時代。

長府報国隊の解散式で隊長達が叫んだ『生きて報国する』という言葉を私に思い起こしてくれたのです。

そして下関で語ったあの日のように立派な大将になれと言って去っていきました」


乃木は撥をそっと撫で、目に熱いものをこみ上げ言葉を紡ぐ。

「……この度の聖上によるもったいなきお言葉は、あの光景を呼び戻すものでした……」


山県は庭園に流れる川の水音を聞きながら、静かに語る。

「水師営でのお前の振る舞いは、もはや世界中に知らぬ者はいない偉大な大将の姿だ。

お前は本当に......高杉さんのような、いや、それ以上の『本物の大将』になったよ」

山県はそう言って彼の肩を、あの下関の夜と同じように強く叩いたのだ。


明治三十九年、冬。満洲の厳しい冬が去り、優しく暖かな春風が吹き抜ける東京・神谷道場の門前。

「剣路……! よく……よく無事に戻ってきてくれた……っ!」

薫が声を激しく震わせ、大粒の涙を流しながら、軍服に身を包んで帰ってきた我が子を迎える。

その母親の向こう、道場の門の脇で、ただ静かに佇む一人の男――父親である緋村剣心の姿があった。

剣路はゆっくり剣心の視線を真っ向から合わせた。

かつての刺々しい、反発に満ちた瞳は完全に消え去っていた。

そこには深く、静かで、どこまでも優しい「まことの戦士の光」が宿っている。

剣心は、その息子の瞳の変化をひと目で全て察した。そして、ただ静かに、父親としての確かな慈愛を込めて問いかけた。

「……剣路。お主の赴いたあの地獄の戦場で、お主自身の『正義』は、しかと示せたでござるか」

剣路は、一瞬だけ照れくさそうに視線を外した。

そして、通り抜ける春の風の中に消えてしまいそうなほど小さな、

しかし、剣心の胸の奥底へ深く響き渡る声で、静かにつぶやいた。

「……親父は、間違ってなかったよ」

「おろ」剣心がその言葉の感傷に浸る間もなく、剣路は、「これ、乃木大将が『長年返しそびれてたから返しといてくれ』ってさ」

と言って、軍嚢から一筋の白い布を取り出し、手渡した。

それは――二十八年前、西南戦争の人吉で、死に取り憑かれていた乃木希典の止血に使った、あの巴のショールであった。


泥にまみれ、血に染まったはずのその布は、乃木の手によって大切に、大切に保管されていたのだろう。

剣心がそれを両手で受け取った瞬間、微かな春の香りと共に、かつて共に新時代を夢見た者たちの気配が、一気に蘇った。

巴殿の穏やかな微笑み。

高杉殿の不敵な熱量。

坂本殿の眩しい無血の光。

桂さんの国を想う執念。

西郷殿の命を懸けた最後の誓い。

そして文蔵が世界に示した武士道。

それら全ての思いが、還ってきたショールを通じて、剣心の身体を、

そして新時代を歩む緋村の血脈を、温かく、どこまでも優しく包み込んでいくのであった。

「あ、あと乃木大将が太鼓がどうの言ってたけど、後でいいや。母さん腹減った飯くれ~」

「あんたのために御馳走用意して待ってたのよ!」

新しき世紀の青空の下、玄関をくぐる家族の背中を見つめる流浪人の頬の十字傷は、

もう二度と疼くことはない。




後日、「椿山荘」にて行われた日露戦争の祝勝パーティーにて

山県が下関から持ってきた大太鼓を乃木と共に叩く剣心の姿があった。

幕末から日露戦争の英霊の魂が宿る太鼓の音が響く。


「素晴らしい」

その響きに脳汁を溢れ出す鶴見中尉であった。


『日露戦争編』――終幕。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。