偉い人映像化して・るろうに剣心2 西南戦争編
明治十年、五月二十六日。武士の世は終わり、四民平等の新時代が訪れたはずだった。
しかし、その歪みに取り残され、特権を奪われた士族たちの怒りは全国で爆発。
かつての維新の英雄・西郷隆盛を擁した「西南戦争」という、未曾有の内乱へと発展していた。京都の薄暗い病室。
新政府の重職にありながら、かつての盟友・西郷と戦わねばならぬ苦悩に身を削られた内務卿・木戸孝允(桂小五郎)が、今まさに息を引き取ろうとしていた。
その枕元に、不殺を誓い、流浪人となった緋村剣心が静かに姿を現す。
「……緋村。よく、来てくれた」最後の力を振り絞り、木戸が掠れた声を出す。
「桂さん…」木戸の手を握り、思わず昔の名を発する剣心。
病魔に冒され、混濁していく意識のなか、『桂』と呼ばれた木戸の脳裏には、かつて「桂小五郎」として駆け抜けた、あの熱き幕末の記憶が蘇っていた。
「薩長同盟……。あの日、日本の未来を決定づけるあの盟約に至るまで十日、長い……本当に長い意地の張り合いをしておった……。
だが、最後に西郷は、日本の未来のために頭を下げてくれたのだ。あの男は、誰よりもこの国のことを想っておる……。
あの時の感動を、私は今も昨日のことのように覚えているのだよ……」
かつての熱い記憶に頬を濡らしたのも束の間、木戸の顔はすぐに、冷徹な現実がもたらす深い絶望と苦悶に歪んだ。
「それほどの男が、なぜ……! かつてお前に人斬りをさせてまで創ったこの新時代が、なぜまた血を流さねばならんのだ……!
西郷……西郷に、もう大概にせんかと、伝えてはくれまいか……?」
かすむ視界のなかで、木戸はかつての「影の主」として、そして一人の先駆者として、目の前に佇む剣心を見つめる。
「坂本や高杉がいない今、あの男の魂の叫びを受け止められるのは、お前しかいない。
逆刃刀を持つお前の力で、この国の礎となる若者たちを、これ以上の不毛な戦火から守ってくれ……」
それが、かつての主の、命を削り出した最後の遺言であった。
木戸の手が力なくベッドへ落ち、その激動の生涯に幕が下りる。
かつて強いた人斬りの任務ではなく、人を守ってくれと託された桂の思いを胸に、
剣心は戦火に包まれた九州――西南戦争の最前線へと向かう。
戦雲の熊本城を望む、新政府軍の本陣。
かつて長州奇兵隊で共に戦った陸軍卿・山県有朋の前に、剣心は吸い込まれる影のように、音もなく姿を現した。
「山県さん。桂……木戸さんの、最後の言葉を伝えに参ったでござる」山県は手にした前線の戦況図から目を離し、深く息を吐いて、複雑な表情で応じた。
「お前の顔を見ると、嫌でも昔を思い出すな……。前原ら俺たちの戦友も萩の乱で反乱を起こし、江藤も佐賀で散った。そして今は、ここ熊本だ」
前線から地響きのように響く山砲の音を背に、山県は冷徹な政治の現実を口にする。
「だがな、緋村。もうこれは西郷さん個人の問題ではない。特権を奪われ、新時代に適合できん不平士族という『過去の遺物』が、最後の悪あがきで牙を剥いた戦さなのだ。
……どうしても前線へ行くと言うなら勝手にしろ。政府軍はお前を関知せん」
「かたじけない」山県にただ一礼し、前線へ向かおうとする剣心。
その背に「緋村さん!」と、焦燥に駆られた切迫した声が掛けられた。
振り返ると、そこには軍服の袖を血で汚した、参謀を務める児玉源太郎の姿があった。
長州の支藩である徳山藩の出身であり、幕末を共に過ごした同年代の仲間である。
「ちょっと、乃木のことで相談が……」
「文蔵!?どうかしたのでござるか?」
下関で共に過ごした幼馴染の名を聞いて思わず声を上げる剣心。
児玉は周囲を気にしながら、声を潜めて悲痛な事実を打ち明けた。
聞けば、乃木は薩摩軍との激戦の中で、聖上(天皇)より授かった連隊の命たる『軍旗』を奪われ、その武人としての致命的な負い目から、完全に死に急いでいるという。
「二度の銃弾を浴びて重傷を負っても、奴は病院を抜け出し、包帯を血で染め、引きずる足で前線へ赴いているのだ。
自ら敵の銃座の矢面に立ち、死に場所を探しているようにしか見えん……! このままでは文蔵は死ぬ!」
児玉の悲痛な訴えを聞き、剣心は腰の逆刃刀の柄に、そっと掌を添えた。
脳裏に、かつて下関の嚴島神社で、キラキラとした瞳で「高杉さんのような大将になりたい」と語っていた友の姿が、鮮明に蘇る。
「……話は分かったでござる。桂さんの遺言のためにも、これ以上、新時代を担う若者の命を戦火に散らせるわけにはいかぬ。……文蔵殿は、拙者が必ず生きて連れ戻す」
戦雲が低く垂れ込める九州山地の彼方を見つめ、剣心は疾風となって戦場へと地を蹴った。
六月上旬。九州の山々を閉ざす梅雨の長雨は、爆煙と混じり合って、漆黒の泥水を戦場に降らせていた。
人吉へと続く、ぬかるんだ峻険な山道。そこに、ただ死に場所だけを求める一人の陸軍中佐がいた。
「……突撃ィ! 引くな! 薩摩の示現流など恐るるに足りん! 続けェ!!」硝煙の向こうから響くのは、二十七歳になった乃木希典の、喉を引き裂くような怒号であった。
二月に薩摩軍に軍旗を奪われた恥辱。生きて大将になるというかつての眩しい夢は消え、今の彼にあるのは「栄誉ある戦死」という妄想だけだった。
肉体は満身創痍、左足を引きずりながら、ただ死に取り憑かれた鬼のように突き進んでいた。
「乃木中佐! 無茶です、これ以上は突出が過ぎます! 退却を!」部下の必死の制止を振り切り、乃木はさらに泥を蹴った。
その時、雨幕を切り裂いて、薩摩兵の精鋭三人が凄まじい雄叫びと共に躍り出た。一撃で太刀ごと叩き斬る、恐怖の示現流。
左足の効かない乃木の体勢は完全に崩れ、濡れた切っ先が彼の喉元へと迫る。死を覚悟し、乃木がガチリと目を瞑ったその瞬間――。
風を切る音すらない、神速の「影」が二人の間に割り込んだ。
ガキィィィンッ!!!
激しい金属音が響き、薩摩兵の剛剣が火花を散らして弾き飛ばされる。
驚愕する薩摩兵の視界に映ったのは、燃えるような赤い髪に、頬の十字傷。そして、峰と刃が逆になった奇妙な刀を構える、小柄な流浪人の姿であった。
「すまぬが……これ以上の命のやり取りは、拙者が預かるでござる!」言葉が終わるや否や、剣心の身体が静かに沈み込む。
逆刃刀の「柄頭」で一人の鳩尾を突き、悶絶したもう一人の顎を「鞘」で跳ね上げる。
最後の一人は、神速の身のこなしで背後に回り込み、膝裏を軽く叩いて地面に転がした。
一瞬にして、三人から命を奪うことなく、戦闘能力だけを完全に奪い去ったのである。
「はぁ、はぁ……お、お前は……」泥の中にへたり込んだ乃木が、信じられないものを見る目で流浪人を見上げた。
剣心はゆっくりと振り返り、雨に濡れた逆刃刀を鋭く鞘に収めると、真っ直ぐに乃木の瞳を見つめた。
「……久しぶりでござるな、文蔵。いや、今は乃木中佐、でござるか」
「緋村……なぜ、お前がここに……!」乃木はよろめきながら立ち上がろうとするが、傷口が開いた激痛に顔を歪めて再び膝をつく。
その軍服の胸ぐらを、剣心は迷うことなく掴み、激しく引き寄せた。
「文蔵! その目は、かつて人斬りと呼ばれた拙者が、毎夜地獄の底で鏡に映していた『死人の目』でござる!
己の死に場所を探すためだけに、未来ある部下を率いて特攻するなど……拙者が絶対に許さんッ!!」
「放せ! お前に何がわかる!」乃木は雨水に血と涙を交えながら、狂ったようにもがいた。
「私は陛下から授かった軍旗を奪われたのだ! 魂を失った軍人に、生きる価値などない! 私はここで死なねばならんのだ!!」
剣心は掴んだ胸ぐらに、さらに力を込めて言う。
「よく聞け文蔵!この西南戦のように、かつて奇兵隊が解散を巡って反乱の泥沼に荒れた時、お主のいた報国隊もまた、同じ岐路に立たされていたはず!
あの時、長府藩報国隊の隊長らは、残された隊士たちが食い扶持に困らぬよう、自ら頭を下げ、泥を這うようにして次の職業を斡旋し、彼らの生きる道を創った。
お主たちが奇兵隊や西郷軍のような反乱に走らせなかったのは……、彼らが『生きて国に報いることこそが、本当の報国だ』と、固く信じていたからではないのか!」
「っ……!」その言葉は、死の妄想に囚われていた乃木の脳裏に、かつて下関で泥にまみれながらも隊士たちの命を守ろうとしていた、誇り高き長府の先輩たちの背中を鮮烈に蘇らせた。
「軍旗という布の形に囚われ、生きる意味を見失うな。生きて、その命を使い、未だ新時代の歪みに苦悶する九州の現状を、少しでも良くするために尽くすこと……
それこそが、お主が本当に果たすべき、真の『報国』でござる、文蔵――!」
激しく降りしきる雨の中、乃木の瞳から死に急ぐ狂気の闇が、すっと消えていった。
代わりに溢れ出したのは、張り詰めていた糸が切れたかのような、静かで、しかし熱い涙であった。乃木は雨の中に声を上げて慟哭し、その場に崩れ落ちた。
剣心は無言で膝をつくと、長い間巴の形見としてその胸に抱き続けていた白きショールを取り出し、乃木の血まみれの傷口へと優しく、きつく巻きつけて止血した。
その止血の最中、乃木の懐にしまっていた撥に気づく。
「文蔵……。立派な大将になるでござるよ。」
その温かい言葉を遺し、剣心は後軍として追いついてきた新政府軍の兵たちに乃木を預け、自らは再び、雨の煙る戦場へと姿を消していった。
九月二十四日。鹿児島、城山。
そこが、すべての因縁が収束する最終決戦の地であった。
夜明け前の静寂を切り裂き、剣心はついにその男の前へと辿り着いた。
数多の銃創と砲撃の傷を負いながらも、岩山のごとく、泰山のごとく佇む巨躯。
維新の奇跡を成し遂げた最後の巨頭――西郷隆盛である。
西郷は近づく足音にゆっくりと目を向け、声音を響かせた。
「おはんは……長州の、緋村どん、か」
剣心は真っ直ぐにその大いなる瞳を見つめた。
「西郷殿……。もう、十分でござる。拙者は、桂さんの最期の言葉を、お主に伝えるためにここまで参ったでござる」
「ほう…、『桂』どんの遺言か」
「桂さんは死の間際まで、お主のことを『誰よりもこの国を想っている男だ』と信じておられた。
だからこそ……あなたの命を、武士の幕引きのためだけにここで散らせてはならぬ。『新時代を生きる者達』に、日本を創る道を示してくだされ!」
剣心の、魂を削り出すような訴え。
それを聞いた西郷は、ふっと慈愛に満ちた細い目をさらに細めて、どこか懐かしむように微笑んだ。
「はは……桂どんとの意地の張り合いは、坂本どんのおかげで十日で済んだが……、
今回の国を相手にした意地の張り合いは、半年も掛かってしもうたなあ。
……緋村どん。おはんの言う通りじゃ。おいが、すべての責任を背負おう」
西郷はゆっくりと立ち上がった。
その背中には、もはや死を待つ将の影はなく、かつて維新を率いた英雄の威光が満ちていた。
彼は、泥と血に塗れながらも立ち尽くす、生き残った薩摩兵たちの前へと歩み出る。
「皆、よう聞いてくれ!」西郷の地鳴りのような大音声が、城山に響き渡る。
「おはんたちの武士の誇りは、この西郷が、そして国中が十分に知っておる! じゃが、ここで全員が死んでしまっては、新しか日本は一体誰が守るとよ!
……これ以上、おはんたちの尊い命を散らすわけにはいかん! 本日を以て、我が軍を解散する! 生きて、新しき時代を創る礎となれ!」
西郷の解散命令に全軍は激しくどよめいた。
「承服できん!」「今さら引けるか!」「最後まで戦いましょう!」
長年培った新政府への不満から、激しい怒号を上げる兵士たち。
その混沌の中、これ以上の血を流させまいと剣心が必死に説得して回る。
そのとき、西郷はこれ以上の終戦への反論を一切許さぬため、そして全軍の解散を決定づけるため、静かに自らの腹へと深く刃を突き立てた。
「西郷殿――ッ!!」剣心はなりふり構わず泥を蹴って駆け寄り、崩れ落ちるその巨躯を強く抱き起こした。
ドッと溢れ出る鮮血。薄れゆく意識のなか、西郷は血塗れの手で剣心の青い着物を強く掴み、最後の遺言を遺す。
「緋村どん……。生き残った彼らが、新政府に無駄に処刑されんよう……どうか、おはんのその逆刃刀で、彼らの盾になってやってくいやせ……。彼らを、頼んだぞ……」
「拙者の命に代えても、彼らの命、必ずや守り抜いてみせるでござる!!」
その誓いをしかと聞き届け、維新の最後の巨星は、静かに、そして穏やかに息を引き切った。
剣心は西郷の遺体を自らの背に背負い、政府軍の本陣へと堂々と歩いて入っていった。
剣心は堂々と歩を進め、総攻撃の指揮を執っていた陸軍卿・山県有朋の真ん前に、西郷の遺体を静かに横たえた。
「山県殿……西郷殿は、自らの命を以て全軍の解散を決定づけられた。これ以上、いったい誰の血を流す必要があるというのでござるか!
今すぐ、即刻の終戦を宣言してくだされ。それが、新時代を背負うあなたの、最後の『正義』でござらんか!」
剣心の魂の叫び、そして、横たわる西郷の亡骸を前に、山県の脳裏には萩の乱で散った盟友前原、顔なじみの奇兵隊の姿が重なる。
山県の目から、大粒の涙が溢れ落ちる。
「……全軍に通達! 直ちに戦闘を中止し、即刻の終戦を宣言せよ……っ!」
山県の一喝により、城山への総攻撃は中止された。
西南戦争は、これ以上の無慈悲な虐殺を行うことなく、本当の終幕を迎えたのである。
巨星の魂を包むように戦火の煙が薄れ、にわかに静まり返った本陣の天幕。
西郷の遺体の前に跪き、ただ呆然とそれを見つめている男がいた。
車椅子に深く腰掛け、包帯に身を包んだ乃木希典であった。
「西郷さん……。あなたほどの御仁が、自ら腹を召して、武士の世の幕を引かれたというのに……」
乃木の震える声は、消え入りそうなほどに脆かった。その視線は、なおも昏い死の誘惑を彷徨っている。
「やはり、私のような、軍旗を奪われた不忠の者も……戦場で華々しく散るべきだったのでは……」そう言って俯く乃木の肩を、横から荒々しく、しかし温かい力で叩く男がいた。
参謀・児玉源太郎である。
「バカ言え。お前を中佐に昇進させ、お前がこれ以上死に急がんようにおれの目の届く位置に置いたのは、この俺だぞ」
「源太郎……」
「お前の命は、この俺が預かっておく。――これは命令だ」
「っ……」
「上官の命令は絶対だ! 死にたかったら、早く出世して俺より上の階級になるんだな! がはははは!」
天幕の重苦しい空気を吹き飛ばすような、児玉の豪快な笑い声。その不器用で、どこまでも一途な優しさに、乃木は呆れたように、しかし心の底から救われたような表情で微かに笑った。
そんな二人のやり取りを、天幕の隅の暗がりから、緋村剣心と山県有朋が静かに見守っていた。
「……良い部下をお持ちでござるな、山県さん」
剣心が優しく目を細めて呟くと、山県は腕を組んだまま、小さく鼻を鳴らした。
「フン、死に急ぐ大馬鹿者と、それを生かそうとする大うつけだ。
だが……これからの陸軍を、いや、この国を背負っていくのは、まぎれもなくあの男たちだ。
もっと精進してもらわんと、こっちが困る!」
山県なりの優しい激を飛ばし、剣心に向き直る。
「緋村。西郷さんの遺言通り、お前はあいつらの『盾』となるためこのまま軍に残れ」
「拙者は軍ではなく一人の流浪人として彼らを……新しい時代を生きる人たちを守るつもりでござるよ」
「そうか……」少し寂しそうな表情をする山県。
「しかし戦後処理の問題は山積みだ。後始末は手伝ってもらうぞ抜刀斎」
「御意にござる」山県と共に東京へ向かう剣心であった。
一方そのころ。
西南戦勝に従軍し、鹿児島の町を巡回する藤田五郎(斎藤一)の姿があった。
秋の冷たい風が、焼き払われた民家の跡を吹き抜けていく。斎藤が人気のない路地を歩いていると、
煤けた着物を纏った一人の女が、路地裏から静かに姿を現した。
その目は絶望に沈みながらも、武家の女としての強い気品を失っていなかった。
「……警視庁のお役人様とお見受けいたします」斎藤はその声に足を止める。
「私は、薩軍五番大隊小隊長・村田三介の妻にございます。」
村田三介。三月の植木向坂の戦いにおいて、政府軍の歩兵第十四連隊を撃破し、あの乃木希典少佐から「連隊旗」を奪い取った薩摩の猛将である。
彼はその後、三月十一日の鍋田の戦闘で、すでに銃撃を受け戦死していた
「これは夫の遺品から見つけました。しかし私どもには有り余るもの。ご返却いたしたく思います」
そう言って彼女が手渡した物、それはまぎれもなく乃木が奪われた十四連隊の軍旗であった。
その錦の御旗を目にし、斎藤の脳裏に鳥羽伏見での光景が蘇る。
昨日まで国を護っていたはずの新選組と幕府軍が、突如として敵陣に翻った錦の御旗で、一夜にして「賊軍」へと形を変えられた。
戦況は一気に変わり、斎藤も敗走を余儀なくされた。その時の苦い記憶が喉を焼く。
(こんな布切れ一枚に官軍だの賊軍だのと馬鹿馬鹿しい)
「確かに、こんなゴミを見ていても胸糞が悪いだけだろうな。」
「……!!」
女性にしてみれば、反乱軍の妻という立場になった以上、その旗は戦利品とうより夫を死に追いやった元凶の一部でしかなかった。
目に熱いものが浮かぶ村田の妻に斎藤は静かに語る。
「女。今回の戦に勝者も敗者もない。鹿児島の連中以上に政府の連中のほうが今後塗炭の苦しみを味わうだろうよ」
西郷軍へ斎藤なりの賛辞を込めた一言であった。そして桂と西郷という二大巨頭を失った薩長の首脳陣の今後の苦難を見透かす。
村田の妻は斎藤の言葉の意を汲み、深々と礼をしてその場を去った。
渡された錦の御旗を切り刻んでやろうかと思ったが、この軍旗喪失で怪我を負いながら何度も病院を抜け出し戦線に戻ったという乃木の噂は斎藤の耳にも入っていた。
「確かに『誠』の御旗を敵軍に奪われたとあっては、切腹だけでは償いきれんよな、副長。
…生きて死ぬ以上の苦しみを味わうがいいさ」
そして、明治十一年。
山県の執務机の上には、数日前に警視庁の藤田五郎(斎藤一)が「落とし物だ」と吐き捨てて置いていった十四連隊の軍旗が置かれていた。
「よかったな文蔵」剣心が優しく目を細めて呟くと、乃木は大粒の涙を流しその連隊旗を抱き寄せた。
「フン、元新選組に大きな借りができてしまったわい」皮肉を言いつつホッとした笑みを浮かべて乃木を見つめる山県。
軍旗が乃木の元へと無事に戻ったこと、西郷軍の助命嘆願が功をなしたことを見届け、剣心はようやく肩の荷が下りるのを感じていた。
十二年後にはなるが、鹿児島の地に南洲墓地ができ、西郷や村田はここで安らかに眠ることになる。
「これで皆、前を向いて生きられるでござるな」安堵の表情を浮かべる剣心であった。
(高杉さん、坂本さん、桂さん、西郷さん、……。あなたたちが命を懸けて切り開いたこの日本の未来、今度こそ拙者が、この不殺の刀で守り抜いてみせるでござる――)
新たな決意を胸に、彼は軍の総本山・陸軍省を後にし、再びただの「流浪人」として、夕暮れの東京の下町を歩き始めた。
そんな剣心の背後から、勝気な少女の声が響き渡った。
「人斬り抜刀斎!!」
その声に振り返ると、一本の木刀を構え、真っ直ぐな瞳で自分を睨みつける、一人の少女が立っていた。
「はて……拙者に、何か御用でござるか?」
「とうとう見つけたわ!二か月に及ぶ辻斬り凶行も今夜でお終いよ!覚悟なさい!!」
「お、おろ……!?」
本編に続く。
『西南戦争編』―――終幕




