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俺の上司が凄すぎて自称天才エンジニアの俺がポンコツに見える件  作者: 慧梓
第6章結城家帰省編

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幕間:知ったかぶりは、ログに弱い

 会議室には、微妙な空気が流れていた。


 原因は、顧客側の年配担当者だった。


 年齢はたぶん、かなり上。

 話し方は穏やか。

 ただし、情報の精度が終わっていた。


「いやあ、昔のシステムはね。サーバー室に担当者が住み込みで管理してたんですよ」


 俺は、手元のノートPCから顔を上げた。


 住み込み。


 サーバー室に。


 人が。


 ……何を言っているんだ、この人は。


「夜中もね、そこで寝泊まりして。異常が出たら、その場でガチャンと再起動してたんです」


 顧客側の若手が、へえ、と感心したように頷いた。


 やめろ。

 その顔で受け入れるな。

 今、社内に新しい妖怪が生まれようとしている。


 妖怪、サーバー室住み込みおじさん。


 存在しないのに、なぜか語り継がれるタイプのやつだ。


 俺は静かに資料を確認した。


 該当する運用履歴。

 当時の体制表。

 夜間監視の委託契約。

 障害対応フロー。


 あった。


 住み込みではなかった。


 普通に、別拠点の監視センターから一次切り分けしていた。


 俺は一度、上司を見た。


 上司は笑顔だった。


 ただし、目が言っていた。


 ――俺くん、燃やしすぎないでね。


 俺は小さく頷いた。


 大丈夫です。

 今日は加減します。


「すみません」


 俺はできるだけ柔らかい声で言った。


「当時の資料を見る限り、サーバー室に住み込みの担当者はいなかったみたいです。夜間対応は、別拠点の監視センターですね」


 年配担当者が、きょとんとした顔をした。


「あら、そう? でも、昔はそういうのあったんじゃない?」


 出た。


 “あらそう? でも”である。


 人類が間違いを認めたくない時に発する、最小単位の呪文。


 俺は続けた。


「少なくとも、この案件ではなかったですね」


「でもねえ、昔は今と違って、人力でねえ」


「それはそうですね。今より人力比率は高かったと思います」


 俺はそこで止めた。


 正確には、止めたかった。


 しかし、俺の中の小さいSEが、椅子を蹴って立ち上がっていた。


 違う。

 人力だったことと、サーバー室に住んでいたことは違う。

 手作業が多かったことと、居住実態があったことは違う。

 昔は大変だった、という感想と、そこに人が住んでいた、という事実は別物だ。


 だが、俺は大人だった。


 社会人だった。


 会議中だった。


 つまり、殴ってはいけなかった。


 言葉で。


 いや、言葉でも。


 上司が、横からさらっと入った。


「昔話って、ログが残っていると急に弱くなりますね」


 会議室が一瞬、静かになった。


 俺は下を向いた。


 笑ってはいけない。

 今笑ったら、俺が犯人になる。


 年配担当者は、少し気まずそうに咳払いをした。


「まあ、細かいところはね。記憶違いもあるから」


 そう。


 それでいい。


 最初からその温度で来てくれればいいのだ。


 “そういう話を聞いたことがある”なら、まだいい。

 “自分の記憶ではそうだった気がする”でもいい。

 “間違ってるかもしれないけど”なら、なおいい。


 だが、人間はなぜか、曖昧な記憶ほど断定したがる。


 そして断定された曖昧な記憶は、若手の脳に保存される。


 その若手が数年後、別の会議でこう言うのだ。


「昔はサーバー室に人が住んでたらしいですよ」


 やめろ。


 怪談を増やすな。


 俺たちはシステムを保守しているのであって、都市伝説を運用しているわけではない。


 会議が終わった後、上司がコーヒー片手に俺の席へ来た。


「俺くん」


「はい」


「よく我慢したね」


「かなり頑張りました」


「顔は全然我慢できてなかったけど」


「顔はログ対象外です」


「対象です」


 上司は即答した。


「表情ログ、全部残ってました」


 やめてほしい。


 人間関係にまで監査ログを残さないでほしい。


 俺はため息をついた。


「でも、ああいうの困るんですよ。若手が信じるじゃないですか」


「まあね」


「昔話はいいんです。経験談もいいんです。でも、知らないことを知ってる風に言うのがダメなんです」


「俺くん、そういうの本当に嫌いだよね」


「はい」


 嫌いだった。


 かなり嫌いだった。


 間違えるのはいい。


 知らないのもいい。


 忘れるのもいい。


 だが、知らないなら知らないと言えばいい。


 記憶が曖昧なら、曖昧だと言えばいい。


 それだけで、世界のバグはかなり減る。


 上司は少し笑って、俺の画面を見た。


「で、さっき何調べてたの?」


「当時の運用資料と障害対応フローです」


「早いね」


「今は三秒で確認できますから」


「便利な時代だ」


「はい」


 便利な時代になった。


 昔は、声の大きい人が勝った。


 年上が言えば、なんとなく正しそうに聞こえた。


 経験者っぽい顔で語れば、周囲は頷いた。


 だが今は違う。


 資料がある。


 ログがある。


 検索窓がある。


 そして、AIもある。


 人間の曖昧な記憶は、三秒で現実に殴られる。


 もちろん、殴りすぎてはいけない。


 相手にも面子がある。

 場にも空気がある。

 会議には目的がある。


 だから俺は、最低限だけ訂正する。


 必要な事実だけ置く。


 それ以上は追わない。


 社会人だから。


 大人だから。


 上司がいるから。


「俺くん」


「はい」


「今、心の中でだいぶ追撃してたでしょ」


「してません」


「ログ出す?」


「やめてください」


 上司は満足そうに笑って、自席へ戻っていった。


 俺は画面に残った当時の運用資料を見ながら、静かに思った。


 知ったかぶりは、ログに弱い。


 だが、人間関係はもっと弱い。


 だから今日も俺は、事実だけを置いて、あとは黙る。


 ただし、心の中では叫んでいる。


 知らないなら。


 せめて。


 断定するな。


 そして俺は、チャット欄に小さく打った。


『サーバー室に人は住んでいません』


 数秒後、上司から返信が来た。


『妖怪ならいるかも』


 俺は思った。


 この職場、やっぱりログより怪談の方が強いかもしれない。

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