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俺の上司が凄すぎて自称天才エンジニアの俺がポンコツに見える件  作者: 慧梓
第5章 東都の日常③

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第63話: 暑かったので全員にアイスを奢ろうとしたら、俺の脳があまりにも正直だった話

世の中には一瞬で人の名前を忘れることがある

いや滅多には無いですが

暑かった。


ただ暑いだけではない。

じわじわと集中力を削り、やる気を溶かし、何なら人間性まで少しずつ蒸発させていくタイプの暑さだった。


こういう日は、現場の空気も少し緩む。

集中力が削られるのは俺だけではないし、全員どこかしら動きが重い。とはいえ、忙しい時に「暑いですね」で終わらせても何の解決にもならない。


なので俺は、現場リーダーとして極めて真っ当な判断をした。


「暑いし、全員にアイス奢ろう」


その瞬間、空気が少しだけ明るくなった。


「やったー」

「マジすか」

「神じゃないですか」


など、各々好き勝手言っているが、こういう小さな報酬は地味に効く。

現金でも賞与でも昇給でもない。ただのアイスだ。だが、こういう「今この場が少しだけマシになるもの」は、案外ばかにならない。


しかも今回は全員に配る。

贔屓なし。差別なし。

平等。公平。実に素晴らしい。


うん。現場リーダーとして満点に近い判断である。


少なくとも、この時点では俺も本気でそう思っていた。


問題が起きたのは、その直後だった。


誰が何を食べるか確認しようとして、順番に声をかけていた時のことである。


「皮肉屋は何がいい?」

「俺チョコ系すね」

「限界ヲタクSLは?」

「僕はバニラっす!」

「クール女子は?」

「私はさっぱり系がいいです」


ここまではよかった。


問題は次だ。


「で、えーと……」


そこで俺の言葉が止まった。


一人、名前が出てこない。


いや、存在を忘れていたわけではない。

顔も分かる。立ち位置も分かる。何なら性格も分かる。

ついさっきまで普通に話題に出ていた。五分前まで覚えていた。そこは間違いない。


なのに、いざ「何々くんは何のアイスがいい?」と個別に聞こうとした瞬間、肝心の“何々”が綺麗に消えた。


「えっと……」


ほぼ同時に「あっ」と察した。


皮肉屋SE。

限界ヲタクSL。

クール女子。

ついでにクール後輩まで。


全員が、俺を見た。


その視線には、非難も怒りもなかった。

代わりにあったのは、あまりにも完成された理解だった。


――ああ、これ、名前が出てこなくなってるやつだ。


そういう、慣れた観測者の目である。


すると限界ヲタクSLが、実に自然な流れで言った。


「ドヤ顔後輩さんですよ。俺さん」


「ああ、そうだそうだ」


俺は何事もなかったかのように頷いた。


内心では、しまった、とは思っていた。

思ってはいたのだが、周囲のフォローがあまりにも自然すぎて、逆にそのまま流されてしまった。


「じゃ、買い出しはクール女子と俺と限界ヲタクSLで行ってくるね」


そう言って、俺たちは廊下に出た。


出た瞬間、当然のように笑われた。


「さっきまでドヤ顔後輩さんの話題してたのに、何で点呼の時に名前忘れてんすかwww」


限界ヲタクSLがニヤニヤしながら言う。


やっぱり気づいていたか。


「……あ、やっぱ気づいた?」


「皆気づいてましたよwww」


クール女子が即答した。


そりゃそうだろうなと思う。

むしろ気づかれない方が怖い。


限界ヲタクSLはなおも楽しそうだった。


「五分前まで何なら、ドヤ顔後輩さん、ポンコツ後輩女子のヒヤリハットに巻き込まれてカワイソスって言ってたじゃないですか。なのに一年以上もいるのに俺さんに忘れられるの面白すぎますwww」


「いや……うん」


否定しようと思えばできた。

暑さで一瞬飛んだとか、疲れていたとか、いくらでも言い訳は作れる。だが、そういう問題ではない気がしていた。


なぜなら、今回は単なる物忘れではないと、俺自身がなんとなく分かっていたからだ。


本当に記憶が飛んだだけなら、もっと自然に出てくるはずだった。

少なくとも、五分前まで普通に会話していた相手の名前が、あそこまで綺麗に消えるのは少し不自然だ。


では何が起きたのか。


たぶん、俺の脳が正直すぎたのである。


理性では分かっている。

現場リーダーたるもの、全員に平等であるべきだ。

報酬に差をつけるのはよくない。

暑い日にアイスを奢るなら、そこに私情を挟んではいけない。


その理解は、本当にある。


だが、理性の下にある脳みそまで常に従順かと言われると、別問題だ。


つまり俺の脳は、全員に奢るという建前を理解した上で、一人ひとりを順番に処理していたのだろう。


皮肉屋。

限界ヲタクSL。

クール女子。

ここまでは問題ない。


だが、ドヤ顔後輩のところで、俺の脳は一瞬だけこう考えた可能性がある。


――いや、こいつにまで奢るのか?


最低である。


我ながら最低だとは思う。

だが、否定しきれないのも事実だった。


彼は別に悪人ではない。

繊細でもない。

多少雑に扱われても折れない。

その辺の耐久値は高い。そこはよく分かっている。


ただし、仕事面に関して言えば話は別だ。


そもそも彼は、ポンコツ三人衆の一角である。

しかも新参ではない。

ポンコツ後輩女子という新星が現れるまでの約一年間、Tier1を守り続けた男だ。


一年である。


たまたま一回やらかしたとかではない。

継続だ。実績だ。積み重ねだ。

一時の不調では到達できない領域に、彼は堂々と立っていた。


もはや個人名よりカテゴリ名の方が先に立つ。


ドヤ顔後輩。

ポンコツ三人衆の一角。

巻き込まれ属性あり。

たまにかわいそう。

でも耐久値は高い。

そういう記号が先に保存されていて、肝心の名前だけ後回しになっている。


ひどい話だが、実態としてはそうだった。


クール女子が、冷たいようでいて妙に的確なことを言った。


「でも絶対、アイスの好みは当てられますよね?」


「いや、まさか……」


そう言いつつ、俺は売り場の前で少し考えた。


色々種類はある。

さっぱり系、濃厚系、王道、変化球。

選択肢は十分にある。


だがその中に、一つだけ異様に“彼が選びそうなやつ”があった。


俺はそれを取った。


限界ヲタクSLが横から笑う。


「買うんすか、それw」


「いや、まあ……一応」


「絶対それっすよ」


クール女子まで自信満々だった。


なんなんだこいつらは。

いや、俺も同じ判断をしているので人のことは言えないのだが、全員が同じ像を見ているのは少し怖い。


買い出しを終えて戻り、順番にアイスを配っていく。


そして最後、ドヤ顔後輩の番になった。


「じゃ。選んで」


「え、あ、ありがとうございます。……あ、これにします」


即決だった。

そして美味しそうに食べ始めるドヤ顔後輩。


「ご馳走様でした。それじゃ交代してきますね」


「お、おう……」


彼が立ち去った後、俺と限界ヲタクSLは同時に言った。


「まさか他に選択肢いっぱいあるのにマジでそれ選ぶなんて……」


クール女子は、予想通りとでも言いたげな顔で小さくドヤった。


「でしょ?」


限界ヲタクSLは心底おかしそうに笑っていた。


「いや流石っすわー……」


ひどい。


本当にひどい話である。


名前は出てこなかったのに、選ぶアイスだけは当たる。

しかもその精度に全員が納得している。


つまり俺は彼を忘れていたわけではない。

むしろ逆だ。

名前以外の部分を、妙に正確に把握していたのである。


性格も分かる。

仕事の出来も分かる。

巻き込まれ体質なことも分かる。

雑に扱っても致命傷にならないことも分かる。

選ぶアイスまで分かる。


ただ、個人名だけが抜け落ちていた。


人として見ていないわけではない。

むしろ性質はよく分かっている。

だが人格より先に“属性”として職場に定着してしまった結果、名前だけが不要ファイル扱いになっていたのだと思う。


で、もっとひどいのは、俺だけではなかったことだ。


あの場にいた全員が、俺の忘却を一瞬で察し、

しかもドヤ顔後輩という記号を共有し、

その上でアイスの選択まで同じように読んでいた。


つまり今回表に出たのは、俺の失礼さだけではない。


この職場における彼の位置づけが、全員の間でだいたい一致しているという事実そのものだった。


かわいそうだとは思う。

本当に思う。


少し前まで、ポンコツ後輩女子のヒヤリハットの尻ぬぐいに巻き込まれていて、普通にかわいそうな目にも遭っていた。

にもかかわらず、その数分後にはアイス点呼で名前を忘れられるのである。


ひどい上司だなと思う。


いや、現場リーダーだが。


そしてもっと正確に言えば、俺なのだが。


ただ、そこまで考えてもなお、罪悪感が綺麗に育ち切らないのはたぶん、彼がそういうことで本気で傷つくタイプではないと知っているからだろう。


仮に傷ついていたとしても、表には出さない。

そういう雑な強さがある。

そこまで把握しているのに、名前だけ出てこないのだから、我ながら人間の認識としてだいぶ終わっている気はする。


それでも一応、言い訳だけはしておきたい。


俺は全員に平等であるべきだと思っている。

贔屓はよくない。

報酬に私情を挟むのは、現場を預かる側として健全ではない。


その理屈は、ちゃんと分かっている。


だが、いざ個別に声をかけようとした瞬間、俺の脳はそこまで従順ではなかった。


上に立つ側の理性は正しかった。

でも、その下にいる現場の脳みそは、驚くほど正直だったのである。


たぶん今回起きたのは、単なる物忘れではない。

公平性の理念と、日頃の業務評価が、脳内で真正面から衝突した結果だ。


そして最悪なことに、その一瞬を周囲の全員に観測された。


……まあ、でも。


アイスはちゃんと全員に配った。

そこだけは事実だ。


だからたぶん、現場リーダーとしてはギリギリセーフだと思いたい。


ただし俺の脳が、ドヤ顔後輩に対して何を思っているかは、たぶんもう全員にバレた。

そしてさらにひどいことに、たぶん全員だいたい同じことを思っている。


それが一番救いがない気がする。

人名アンカーが外れるってこういう時だと思います。多分


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