第61話:自宅スタジオ完備なのに最終的に車で録音することになった件
趣味とは自己犠牲を貫いてでも続けるものである。
当たりの曲を引いた。
こういう時だけは分かる。
あ、これAIに投げるより自分で歌った方が早いな、と。
別に俺は、歌えないからAIを使っているわけじゃない。
単純にコスパの問題だ。
毎回自分で歌って録って修正していたら、工数が重すぎる。
だから普段はAIで回す。
ただし、たまにある。
「これは自分でやった方が強いな」という当たり曲が。
俺
当たり引いたんで、これ自分で歌おうかと思ってるんすよね
クール後輩
え、自分で歌えるんですか?
俺
普通に歌えるよ
別に歌えないからAI使ってる訳じゃなくて、コスパ悪いからやってないだけ
限界ヲタクSL
かっけぇ……
じゃあ本気曲は自力ボーカル行けるんですね!
俺
行けるよ
多少ズレてもDAWでどうとでもなるし
あの辺は昔から魔法だから
これは別に誇張ではない。
世の中には「音痴でもDAWで何とかなる」という雑な言い方を嫌う人もいるが、実際かなり何とかなる。
少なくとも、作品に寄せることはできる。
だから問題はそこじゃない。
本当の問題は、もっと現実的で、もっとしょうもない場所にある。
クール後輩
じゃあ最強じゃないですか
部屋で録ればいいだけですよね?
俺
……理論上はな
限界ヲタクSL
あっ
クール後輩
何かあるんですか
俺
あるよ
俺の部屋、マイクあるしポップガードあるし
Boseもあるし、設備だけ見たら割とちゃんとしてんのよ
クール後輩
じゃあ尚更いいじゃないですか
俺
俺が歌い始めるだろ?
限界ヲタクSL
はい
俺
家族に100%言われる
「うるさい」って
限界ヲタクSL
悲しすぎる……
クール後輩
設備関係なくて草
そう。
問題は、技術でも機材でもない。
家庭内運用である。
自室には機材がある。
ちゃんと使えば、それなりに戦える。
なのに現実には、その環境を起動する前に家庭内アラートが飛ぶ。
創作に必要なのは才能とか努力とか情熱とか、そういう綺麗な話だけではない。
単純に、家族に怒られない時間帯と場所が必要なのだ。
上司
で、どうするの?
俺
スマホ持って車行きます
上司
思ったより哀愁が強いな
俺
自室にちゃんとしたマイクあるのに
最終的にスマホ片手にトボトボと駐車場向かうんすよ
意味分かんないでしょ
我ながら意味は分からない。
機材はある。
環境もある。
だが俺が手にしているのはスマホ一本。
この時点で、だいぶ悲しい。
さらに悲しいのは、車内が妙に優秀なことである。
限界ヲタクSL
でも車の中って、意外と静かじゃないですか?
俺
そこがまた最悪なんだよ
無駄に防音性能高いんだよあいつ
クール後輩
車、有能で草
俺
草じゃねぇんだよ
移動手段のくせに簡易防音ブースみたいな顔しやがって
上司
じゃあ録音環境としては正解なんだ
俺
そうなんすよ
ギャグみたいな見た目してるのに
やってることは割と合理的なんすよ
これが一番悲しい。
ただのネタならまだ救いがある。
しかし車録音は、見た目こそ間抜けでも、実務的にはかなり正しい。
狭い。
多少静か。
一人になれる。
エンジンを切れば余計な騒音も減る。
つまり下手な部屋より、案外録音に向いている。
だから否定しづらい。
否定しづらいから余計に悲しい。
限界ヲタクSL
悲しい合理性だ……
俺
高性能マイク持ってる男が
最終的にエンジン切った車でスマホ録音ですよ?
クール後輩
敗因、何ですか?
俺
技術不足じゃない
家庭内騒音制御です
たぶん創作の現場というのは、もっと華やかなものとして語られるべきなんだと思う。
愛用機材。
こだわりの録音環境。
作品に懸ける魂。
そういうキラキラした言葉で飾られるべきなんだろう。
でも現実は違う。
高性能マイクを持つ男が、
家族に怒られないためだけにスマホを握り、
エンジンのかかっていない車へトボトボ歩いていく。
敗因は技術不足ではない。
家庭内騒音制御である。
そしてその解決策として車が普通に優秀なのが、
何より悲しかった。
そんなわけあるかい!普通に悲しいわ。




