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俺の上司が凄すぎて自称天才エンジニアの俺がポンコツに見える件  作者: 慧梓
第5章 東都の日常③

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第51話:振る気はなかったのに、振ってしまった

上司回です。

私は、自称天才エンジニアだと思っている可愛い後輩の上司だよ。


理論は完璧。

ロジックは美しい。

想定外は――想定済み。


……なんてね。


そういうのに限って、足元すくわれるの。

それがわからないと、この現場の上には立てないよ。


こんな濃い連中まとめるの、楽じゃないんだから。


……はぁ。

有給、欲しいな。


月曜の朝は、だいたい人を雑にします。


 眠いし、だるいし、メールは多いし、会議は最初から入ってるし、

 何なら出社した時点で半分くらい今日の体力を使っている。


 だから私は、その件について触れないつもりだった。


 休日に部下が自分の声を録音し、

 何かよく分からない形で育成し、

 しかも「俺だけど俺じゃない感じがいい」などと言っていた件について。


 触れない。

 触れないつもりだった。

 つもりだったのだ。


「おはようございます」


 朝一、俺くんがいつもの調子で席に着く。

 顔色は普通。

 テンションも普通。

 少なくとも、徹夜明けの変な目はしていない。


 私はその時点で少し安心した。


「おはよ。ちゃんと寝た?」


「寝ました」


「へえ、珍しく健康的」


「失礼ですね」


「休日に“ばびぶべぼ”やってる人に言われたくないんだけど」


 言った瞬間、しまった、と思った。


 俺くんの手が止まる。


「……」


「あ」


 ゆっくり、こっちを見る。


「覚えてたんですね」


「いや、違うの。今のは事故」


「どのへんがです?」


「全部」


 遅かった。


 俺くんの目に、あの嫌な光が入る。

 仕事のスイッチではない。

 趣味の話を“聞いてもらえるかもしれない”時の光だ。


 まずい。


「いや、ほんとに話さなくていいからね?」


「別に長くは話しません」


「信用できないのよ、その前置き」


「誤解です」


「誤解じゃないの、今までの実績で言ってるの」


 だが、時すでに遅しだった。


 俺くんは椅子をわずかにこちらへ向けた。

 声量は抑えめ。

 しかし熱量は隠せていない。


「今回やったのは、単純に読み上げじゃなくて、学習しやすいように音を揃えたんです」


「うん、もうそこから怪しい」


「50音をベースにして、破裂音も入れてます」


「ばびぶべぼって言ってたやつね」


「そうです。あと、ただ平坦に読むんじゃなくて、少し音程も意識して」


「……何で?」


「歌わせる前提だからです」


 朝から聞く説明じゃなかった。


 私は片手で額を押さえる。

 隣の席のSLが、露骨に聞き耳を立てているのが見えた。

 やめてほしい。

 こっちは止めたい側だ。


「で?」


「で、結果として、本人に寄りすぎない、でも元の癖は残る感じになって」


「ふんふん」


「“俺だけど俺じゃない”が一番しっくりきたんですよ」


 言い切った。

 朝から真顔で。


 SLが吹き出しそうになっている。


「……ねえ」


「はい」


「その話、自分でちょっと変だなって思わない?」


「思いますよ」


「思うんだ」


「でも、変だから面白いんです」


 ああ、だめだ。

 これは本人の中で完全に筋が通っている顔だ。


 私はため息をついた。


「ちなみに、そこで終わったの?」


 聞かなきゃよかった。

 でももう流れで聞いてしまった。


 俺くんは一瞬だけ視線を泳がせた。

 嫌な予感しかしない。


「……いや」


「いや?」


「次は連続音寄りにしたらどうなるか、ちょっと気になってます」


「でしょうね」


「あと、子音と母音を分けた時にどこまで差が出るかも」


「でしょうね!」


 声が少し大きくなった。


 隣の席のSLが肩を震わせている。

 笑うな。

 いや、私も少し面白いけど。


「何でそこで試そうと思うのよ」


「昔の経験則です」


「何の」


「そういう音声系の」


 そのへんはもう察していた。

 察していたからこそ、触れたくなかった。


 俺くんは続ける。


「要するに、入力素材の思想でどこまで人格が変わるか見たいんです」


「待って、“人格”って言った?」


「表現上の話です」


「表現でも怖いのよ」


「でも実際、滑らかさ重視と発音重視で結構変わる可能性あるじゃないですか」


「その“じゃないですか”で当然みたいに言うのやめて」


「普通は気になりますよね」


「ならないの。少なくとも多数派ではない」


 俺くんは少し考えたあと、控えめに言った。


「……少数派なのは認めます」


「そこは認めるんだ」


「ただ、有効性はあります」


「その言い方がもう仕事なのよ」


 SLがついに耐えきれず、口を挟んだ。


「でも、ちょっと聞いてみたいです。どんな感じになったんですか?」


 私は心の中で叫んだ。


 やめろ。

 開けるな。

 その扉は、たぶん長い。


 だが俺くんは、その一言で完全に起動した。


「元の声より少し整ってるんですけど、癖の残り方が絶妙で」


「うん」


「本人再現じゃなくて、演者化した自分みたいな感じで」


「うん?」


「そのままだと生っぽいけど、少しズレることで素材として使いやすくなるというか」


「おお……」


「しかも今回、かなり雑にやったわけじゃなくて、ある程度狙って」


「待って、まだ続くの?」


「ここ重要なんですけど」


 重要らしい。

 朝九時前に。


「単純な偶然当たりじゃなくて、最初から音の分布を考えて――」


「はい、そこまで」


 私は手を上げて制した。


 俺くんがぴたりと止まる。


「今ので分かった」


「何がです?」


「あなたが元気なのは分かった」


「それは何よりです」


「あと、月曜の朝に振る話題じゃなかったのも分かった」


「それはそうかもしれません」


「かもしれないじゃなくて、そうなの」


 俺くんは少しだけ不満そうな顔をした。

 本当に少しだけだが、もっと話せたのにという空気が出ている。

 危なかった。


 私は椅子にもたれたまま、半眼で言う。


「で、結局その趣味、仕事に持ち込まないんでしょうね」


「今のところは」


「“今のところ”が怖いのよ」


「でも、ナレーション用途なら案外――」


「持ち込む気あるじゃない」


「検証の結果次第です」


「仕事みたいに言うな」


 SLが笑いながら言った。


「でも、上司さん、ちょっと楽しそうですね」


「全然」


「いや、ちょっとは」


「……まあ」


 否定しきれなかった。


 変な話だとは思う。

 かなり変だ。

 正直、朝から聞かされるには重い。


 でも、嫌いではない。


 どうでもいいことにここまで本気になれるのは、

 少しだけ羨ましくもある。


 俺くんは画面に向き直りながら、何でもないように言った。


「ちなみに、もし次やって精度が上がったら、比較用に一回だけ聞いてもらってもいいですか」


「嫌」


「即答ですね」


「嫌に決まってるでしょ。聞いたら最後、感想を求められるのが見えてるもの」


「参考意見は重要です」


「業務外です」


「でも上司の評価軸は有用で――」


「業務外!」


 今度は少し強めに言うと、俺くんはようやく黙った。


「……分かりました」


「ほんとに?」


「たぶん」


「たぶんをやめなさい」


 周囲で小さく笑いが起こる。

 朝の空気が、少しだけ和らいだ。


 私はコーヒーに手を伸ばしながら思う。


 やっぱり、振るべきじゃなかった。

 でも、少しだけ面白かったのも事実だ。


 そしてたぶん、こいつはまたやる。

 連続音だの分離音だの、もっと妙な方向へ進むに決まっている。


「……まあ、ほどほどにね」


 ぼそっとそう言うと、俺くんは画面を見たまま返した。


「趣味にほどほどは難しいですね」


「知ってる」


 それを一番知っているのは、

 たぶん、部下を見ているこっちの方だ。

部下の趣味を聞いて後悔することはままあります。それが特にヲタク特化の趣味とかですと

どう反応したらいいか困ります。

こういう時、どういう顔をしたらいいかわからないんだ…

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