第50話:俺は悪くないのに家庭内説明会が開催された
娘の様子がおかしい時は、だいたい二種類ある。
一つは、明らかに眠いのを気合いで押し切っている時。
もう一つは、ゲームの進捗に何かが起きた時だ。
この日の後者は、かなり深刻だった。
「パパ、ロブロックス入れない」
夕方、ソファの上で端末を握った娘が、普段より半音低い声でそう言った。
これはまずい。
このトーンは“ちょっと見て”ではない。“早く何とかして”だ。
「どれ」
端末を受け取る。
画面には無慈悲な文言が出ていた。
**権限がありません。**
嫌な予感しかしなかった。
俺は一瞬で、面倒な単語の一覧を脳内に並べた。
アカウント制限、年齢設定、親権限、端末側制御、アプリ不具合、運営側エラー。
そして、そのどれであっても、最終的に俺の作業になる未来だけは確定していた。
「まぁまぁ。まずは落ち着け。こういうのは大体、切り分ければ何とかなる」
「進んでたのに」
「うん」
「いっぱい進んでたのに」
「……うん」
重い。
小学生の“いっぱい進んでたのに”は、下手な障害報告より重い。
俺はスマホだけでは判断できないと見て、PCを立ち上げた。
ブラウザからログインし、設定画面に潜る。
アカウント情報を確認しようとした、その時だった。
妙なエラーが出た。
不明なエラーが発生しました。
ホームも安定して読み込めない。
おまけに設定の一部表示も怪しい。
……嫌な感じが強まってきたな。
さらに調べる。
ブラウザを変え、表示を追い、ログのようなものまで覗き込んで、ようやくそれらしい一文に辿り着いた。
**User is moderated**
見つけた瞬間、思わず天を仰いだ。
「何それ」
隣から娘が聞いてくる。
「要するに……向こう都合で止められてる可能性が高い」
「パパがやったの?」
「やってない」
「ほんとに?」
「ほんとに」
即答した。
ここは一秒でも迷ってはいけない場面だ。
父親の信用は、こういう時のコンマ数秒で削れる。
俺は説明した。
端末が悪いだけではなさそうなこと。
こっちで勝手に年齢を変えたり、変な設定をしたわけではないこと。
今、問い合わせをしていること。
最悪の場合に備えて、別アカウントで避難先も用意すること。
我ながら、かなり誠実な初動だったと思う。
しかし、世の中というのは、こちらが誠実であることと、平和に済むことがまるで一致しない。
「えー……でも、それじゃいや」
娘が頬を膨らませる。
当然だ。進捗があるのだ。
俺だって自分のデータが消えたら普通に嫌だ。
だが、その“当然”は時として、父親を説明責任の祭壇に立たせる。
「だから今、戻せるように動いてるだろ。まだ確定じゃないから」
「でも前も急に変わった」
痛いところを突かれた。
そう。
以前、子供用アカウント周りの流れの中で、こっちも完全に無傷ではなかった。
あれはあれで事情があった。事情はあったんだが、子供側から見た事実だけを並べれば“急に変わった”である。
そこで、横から静かな声が刺さった。
「自分がやってるゲームで、進捗変わったら嫌でしょ?」
嫁だった。
その一言は、理屈として完璧だった。
しかも、家庭内において最も強いタイプの正論だった。
ぐうの音も出ない、という表現がある。
あれはたぶん、こういう時のために生まれた。
「……はい」
俺は素直に認めた。
認めたうえで思う。
俺は悪くない。
悪くないのだが、なぜかこの家では、障害が起きるとまず俺が一次受けになる。
外部システム起因。
原因不明。
ユーザー影響大。
しかも問い合わせ対応中。
完全に仕事じゃないか。
「だから、戻るようにちゃんとお願いしてるよ」
俺は娘に向き直った。
「もし戻れば、そのまま進捗は残る。戻らなかったら、避難先で遊べるようにする。どっちにしても、何もしないでは終わらせない」
娘は少しだけ考えて、それから小さくうなずいた。
「……パパのせいじゃないの?」
「今回は違う」
「ほんと?」
「ほんと」
「じゃあ、しょうがないか」
許された。
いや、正確には完全な無罪放免ではない。
“今回は保留付きで理解された”くらいが正しい。
だがそれでも十分だった。
俺はすぐに問い合わせ文を整えた。
必要事項を確認し、送信する。
ついでに、今遊べる避難先アカウントも整える。
ここまでやって、ようやく一息ついた。
ソファに背を預けた俺に、嫁が言う。
「まぁでも、復旧しないならしないで、そのまま子供アカウントに移しやすいでしょ」
「それはそう」
「じゃ、どっちに転んでも詰みではないね」
「仕事できる人みたいなまとめ方するなぁ……」
「あなたが毎回、仕事みたいな顔してるからでしょ」
否定できなかった。
娘は新しい方の端末で遊び始めていた。
完全に切り替わったわけではないが、とりあえず今日の平和は守られたらしい。
それを見届けながら、俺は天井を見上げる。
俺は何もしていない。
いや、正確には何も悪いことはしていない。
ただ、外部要因で燃えた案件に対し、最速で切り分け、原因を特定し、代替案を提示し、顧客説明までやっただけだ。
なのに疲れている。
理不尽だ。
とはいえ、最後に娘が言った
**「今回はパパのせいじゃないね」**
の一言で、だいぶ報われた気もする。
父親業というのは、たぶんこういうものなんだろう。
無実でも出動し、善意でも疑われ、最後に少しだけ名誉が回復する。
それでも、泣かれるよりは百倍いい。
俺は立ち上がり、飲みかけのコーヒーを口にした。
もう完全に冷めていた。
「で、結局どうするの?」
嫁が聞く。
「復旧できるなら復旧はする」
「うん」
「でも無理なら、無理で運用を切り替える」
「うん」
「要するに」
俺はカップを置いて、静かに言った。
「俺は悪くないのに、今日も最終責任者みたいな顔してるってことだ」
嫁は笑った。
娘はもう次のゲーム画面を見ていた。
たぶん、それでいいのだと思う。
少なくとも今日は、家が燃えなかった。
それだけで十分、勝ちだった。




