第45話:娘の要望を整理していたら、俺の家庭内案件だけ要件定義が本業すぎる件
娘は学校ワールドの中を走り回っていた。
「見て! 教室ある!」
「うん」
「こっち体育館!」
「うん」
「パソコンもある!」
「よかったな」
俺はソファに沈みながら、ようやく一息ついた。
夜。
創作時間は死んだ。
だが娘の満足度は高い。
家庭内プロジェクトとしては成功判定でいい。
そう思った、その時だった。
娘がまたこちらを振り返った。
「ねえパパ」
嫌な予感しかしない。
「今度はなに」
「この学校にさ」
「うん」
「もっとかわいい部屋ほしい」
始まった。
俺は天井を見た。
来ると思っていた。
案件というものは、一度通ると次が来る。
そして最初に満足度を出してしまうと、要求者は学ぶ。
“この人に言えば、なんとかなる”
非常に危険な学習である。
「学校なんだから、教室でよくないか?」
「だめ」
「なぜ」
「かわいくない」
強い。
反論の余地がない。
世界はいつだって、正論より感情で動く。
「じゃあ、どういうのが欲しいんだ」
娘は腕を組んで考え始めた。
「学校の中にー」
「うん」
「おうちみたいなところがあってー」
「うん」
「かわいくてー」
「うん」
「パソコンもあってー」
「うん」
「あと、お店もほしい」
増えた。
学校。
家。
かわいさ。
パソコン。
店。
もうテーマが定まっていない。
俺は一瞬、仕事で見た地獄の要件一覧を思い出した。
あれも似たようなものだった。
最初は「検索機能がほしい」だけだった。
最終的には「通知」「CSV出力」「権限管理」「分析ダッシュボード」「スマホ最適化」まで増えていた。
人類は何も変わらない。
規模が小さいだけで、本質は同じだ。
「確認するぞ」
俺は姿勢を正した。
「君が欲しいのは“学校”そのものじゃないんだな?」
「うん」
「“学校みたいな雰囲気のある、生活できそうな、かわいい街”みたいなものか?」
娘の目が光った。
「それ!」
出た。
要件定義成功である。
やはり最初の言葉をそのまま受け取ってはいけない。
“学校が欲しい”は、“学校だけ欲しい”ではない。
“その世界観の中で自分が遊んで楽しい空間が欲しい”なのだ。
娘はさらに続けた。
「あとね」
「まだあるのか」
「家具、増やせるなら増やしたい」
「……別ワールドに?」
「うん」
「学校の中にも?」
「うん」
「かわいいの?」
「うん」
フルセットだった。
俺は目を閉じた。
思考を整理する。
現状、学校ワールドは導入済み。
ここにさらに家具系要素を足したい。
ただし統合版。
しかもSwitch、スマホ、Xboxの混成部隊。
無料アドオン探索で事故る未来は既に見えている。
やるべきことはシンプルだ。
足せるか確認する。足せないなら割り切る。中途半端に夢を見せない。
これは業務でも家庭でも同じである。
「一応聞くけどさ」
俺は娘を見る。
「君の中で、優先順位はどれが一番高い?」
「え?」
「学校、かわいさ、家具、パソコン、お店。全部欲しいのは知ってる。でも一番は?」
娘は少し考えたあと、言った。
「楽しいやつ!」
ふわっとしている。
だが、逆に本質だった。
俺は思わず笑った。
「そうだな」
結局それなのだ。
機能一覧ではない。
詳細仕様でもない。
評価シートでもない。
使う人間が“楽しい”かどうか。
どれだけ整っていても、そこを外したら負ける。
「じゃあ、細かく全部揃えるより、今ある学校ワールドで楽しく遊べる工夫をした方がいいな」
「できる?」
「できる範囲でやる」
娘は満足そうにうなずいた。
たぶん本人は細かいことをそこまで気にしていない。
世界があって、部屋があって、ちょっと生活感があって、想像が広がればいいのだ。
そう考えると、俺の中で何かが少しだけほどけた。
俺はつい、完璧に揃えたくなる。
要件を漏れなく整理して、最適解に着地させたくなる。
だが相手が求めているのは、必ずしも“完成度100%の実装”ではない。
8割でも、楽しく遊べれば勝ち。
それでいいのだ。
娘はまた学校ワールドへ戻っていった。
「ここ、私の部屋にする!」
「どこだそれ」
「保健室のとなり!」
「だいぶ謎の選定だな」
「かわいいからいいの!」
強い。
設計思想が完全に自由だ。
だが、悪くない。
大人はすぐ合理性を求めるが、遊びの本質はたぶんこっちだ。
俺はようやくノートPCを開いた。
創作時間はもうほとんど残っていない。
だが、今日は少しだけ収穫があった気がする。
言われた通りのものを作るだけが、正解じゃない。
相手が本当に欲しいのは、たいていその奥にある。
仕事でも、家庭でも。
面倒だが、聞かなきゃわからない。
そしてわかった時、ようやく世界はちゃんと動く。
娘が遠くから叫んだ。
「パパー!」
「なんだ!」
「やっぱお店もいる!」
俺は静かにノートPCを閉じた。
……創作は、明日だな。




