第44話:娘が「パソコン追加して」と言うから、俺は普通に現実の話だと思った
娘が真顔で言った。
「パパ、パソコン追加して」
俺はキーボードを打つ手を止めた。
時刻は夜。
ようやく少しだけ自分の作業に戻れそうだと思ったタイミングだった。
創作、分析、投稿、調整。
今日も今日とてやることは山ほどある。
だが、家庭内で「パパ」と呼ばれた瞬間、全タスクは一時停止する。これは仕様だ。
「……追加?」
俺は椅子を半回転させて娘を見る。
「うん」
「パソコンを?」
「うん」
「どこに?」
「そこは今から決める」
嫌な予感がした。
要件がふわっとしている。
この時点で危険信号は点灯している。
業務で最も恐ろしいのは、無茶な要求ではない。
「要求者本人も何をしたいのか言語化できていない案件」だ。
俺は一度深呼吸した。
「確認するけど、現実の話?」
娘は一瞬だけ「何言ってるのこの人」みたいな顔をしたあと、言った。
「ちがうよ?」
ですよね。
「マイクラだよ?」
知るか。
いや、知るわけがない。
『パソコン追加して』で、最初からマイクラを前提共有しているのは身内特有の雑さだ。
家庭内会話に要件定義書は存在しない。
「最初に言え」
「わかるでしょ」
「わからん」
即答した。
ここは譲れない。
要求の前提が抜けたまま進めると、後で必ず炎上する。
俺はノートPCを閉じた。
今日は創作時間が削られる。
だが、ここで投げると被害は拡大する。
ならば最短で片付けるしかない。
「じゃあ聞くけど、何がしたいの」
「パソコン置きたい」
「置いてどうしたい?」
「んー」
娘は少し考えてから言った。
「かわいいおうちにしたい」
ほう。
「あと、家具ほしい」
「うん」
「あと、学校みたいなのもいい」
増えたな。
「あと、パソコンあったらうれしい」
優先度が下がった。
俺の頭の中で要件整理が始まる。
最初の依頼は『パソコン追加』。
しかし真の要求は違う。
「かわいい部屋がほしい。家具がほしい。生活感がほしい。その中にパソコンもあればうれしい。場合によっては学校っぽい世界もほしい。」
なるほど。
これはもう“PC追加案件”ではない。
「生活空間拡張プロジェクト」だ。
「……つまり、パソコンだけじゃなくて、家具全体を増やしたいってこと?」
「そう!」
娘の顔が明るくなった。
当たった。
要件定義成功である。
やはり大事なのは、言われた言葉をそのまま実装することではない。
「相手が本当にやりたいことを掘ること」だ。
これができないやつは、会議で『その機能、要ります?』を一生やる羽目になる。
「じゃあ無料のやつ探すか……」
そう口にしかけて、俺はやめた。
無料。
その響きは魅力的だ。
だが知っている。
こういう時の無料は、たいてい高くつく。
探す。
試す。
入らない。
対応してない。
見た目が微妙。
Switchで動かない。
Xboxでズレる。
スマホだけできる。
そして一時間が消える。
その横で娘は言う。
「まだー?」
……見える。未来が見える。
俺は最短ルートを選ぶことにした。
「マーケットプレイスで探すか」
「やった!」
娘のテンションが一段上がる。
この時点で、もう勝敗は価格次第だった。
調べる。
見る。
候補を比較する。
かわいさ。家具量。生活感。パソコンの有無。
最初は『PCがあるか』ばかり見ていたが、途中で気づく。
違う。
大事なのはそこだけじゃない。
「かわいさも大事?」
「大事!」
ですよね。
さらに見ていくうちに、学校っぽいワールドまで候補に入り始めた。
「これ学校じゃん!」
「え、ほんと!?」
「しかもパソコンありそう」
「それがいい!」
なるほど。
家具から学校へ飛ぶのは、普通に考えれば意味不明だ。
だが要求者が満足するなら、それが正解になる。
最終的に俺たちは、**学校っぽい街ワールド**にたどり着いた。
見た目よし。
生活感あり。
学校感あり。
そして、紹介動画にはちゃんとパソコンらしきものも映っていた。
「これだな……」
「これ!」
値段を見る。
思ったより高くない。
いや、安くもない。
だが、無料探しで一時間溶かす未来よりは圧倒的に安い。
俺は購入した。
数分後、娘のテンションは爆発した。
「うわああああ! すご! 学校! パソコンある! かわいい!」
その反応を見て、俺は静かに思った。
今日の創作時間は、死んだ。
綺麗さっぱり、消えた。
だが、これはこれで悪くない。
目の前で、娘が全力で喜んでいる。
しかも俺は、ただ言われた通りに動いたわけじゃない。
ちゃんと聞いて、整理して、最短で正解に着地した。
うん。
これは仕事としてはかなり良い。
娘はキラキラした目で俺を見た。
「パパすごい!」
俺は頷いた。
「まあな」
少し間を置いて、続ける。
「で、満足したなら寝ろ」
「やだ!」
知ってた。
結局その夜、俺の創作は一文字も進まなかった。
だがまあいい。
こういう日もある。
「創作時間はゼロ。だが父としては、たぶん満点だった。」
子供というのは時に理不尽なものです。だが、可愛い。
可愛さの前では全て撃沈する。
しょうがないよね。




