第39話:年度が変わったので会議に入れなかった件
四月一日。
新年度一発目の朝は、だいたいロクなことが起きない。
メールは多い。
チャットはうるさい。
人は妙に前向きな顔をしている。
そして、システムは何も前向きではない。
「おはようございます」
俺はコーヒー片手に席へ着き、PCを立ち上げた。
今日の最初の予定は、九時からの年度変更会議だった。
年度変更会議。
名前からして重い。
だが実態は、前年度の名前を今年度に置き換えて、みんなで「今年度もよろしくお願いします」と言うだけの儀式である。
こういう会議は、内容ではなく出席したという事実が重要だ。
つまり、入室さえできれば勝ちだ。
「俺くん」
背後から、落ち着いた声が飛んできた。
うちの上司だった。
赤いジャケット。短い髪。
普段はわりと緩いのに、仕事になると急に圧が出るタイプ。
それを俺は知っている。
知っているが、毎回ちゃんと警戒できるほど人間は賢くない。
「今日の年度変更会議、URL確認しといて」
「え?」
「念のため」
俺はカレンダーを開いて、予定に貼られている会議URLを一瞥した。
「入ってますよ」
「今年度版?」
「会議URLなんて普通、そんな頻繁に変わらないでしょう」
上司は無表情のまま俺のモニターを見た。
「“普通”で運用が回る会社なら、そもそも年度変更会議なんてやってないと思うけど」
「まあでも、定例会議ですよ? 毎月やってるやつですし」
「年度をまたいでる」
「それでURL変える方が面倒じゃないですか」
「面倒でもやる人はいる」
「でも、そんなの当たり前すぎて、誰かが確認してるでしょう」
上司は一瞬だけ目を細めた。
嫌な予感がするときの顔だ。
「その“誰か”が誰なのか、私は毎回気になるんだよね」
「大丈夫です。仮に変わるなら案内来てますって」
「来てないから嫌な予感がするんだけど」
「来てないなら変わってないです」
「その理屈、運用事故の前日にだけ元気だよね」
言われたが、俺は気にしなかった。
年度変更会議ごときで世界は滅びない。
少なくとも、俺の認識では。
九時二分前。
俺は余裕を持って会議URLをクリックした。
画面に表示されたのは、見慣れた待機画面ではなかった。
『この会議は利用できません』
「……ん?」
再読み込み。
同じ表示。
もう一回クリック。
同じ表示。
「どうしたの」
上司が来た。
「いや、ちょっと入れないですね」
「入れない?」
「一時的なやつかもしれません」
上司も自分のPCでURLを開いた。
数秒後、無言になった。
「入れないね」
「ですね」
「新年度一発目から?」
「ですね」
その瞬間、部内チャットが騒がしくなった。
『会議ってこれで合ってます?』
『入れないんですが』
『待機室とかあります?』
『URL無効っぽいです』
『私だけでしょうか』
俺は画面を見ながら、静かにコーヒーを置いた。
「……みんな入れてないですね」
「見ればわかる」
「逆に言うと、俺だけの問題ではないです」
「安心材料の向きが違う」
さらにチャットが流れる。
『主催の方いらっしゃいますか?』
『旧年度のURLでは?』
『今年度版の案内あります?』
『すみません私も把握できてません』
俺は思った。
ああ、これは障害ではない。
運用だ。
そして運用のミスは、障害よりも顔が赤くなる。
「俺くん」
「はい」
「さっき何て言ったっけ」
「会議URLは普通変わらない、と」
「その前」
「誰かが確認してる、と」
「で、その誰かは?」
俺はチャット欄を見た。
誰も知らなかった。
「……存在しなかったみたいです」
「正解」
九時ちょうど。
会議の開始時刻になった。
だが誰も会議に入れていない。
会議が始まらない会議。
年度変更会議としては、ある意味もっとも年度変更らしい。
別部署の人から個別チャットが飛んできた。
『お世話になっております。こちらも入れません』
知らんがな。
こっちも入れてない。
主催側らしき人からようやくメッセージが来た。
『申し訳ありません、確認します』
確認します。
その言葉は便利だ。
何も進んでいないことを丁寧に表現できる。
上司が小さくため息をついた。
「はい、じゃあ“誰かが確認してる”の結果がこれです」
「でもまあ、全員同条件なら、俺だけ悪いわけでは」
「個人の責任回避を組織事故の中でやるんじゃないよ」
「すみません」
「しかも朝言ったよね。確認しといてって」
「はい」
「で?」
「不要です、って言いました」
「元気よく言ってたね」
「今思うと不要じゃなかったですね」
「今思うと、じゃなくて今起きてる」
そのとき、全体チャットに新しい通知が落ちた。
『失礼しました。今年度の会議URLが別で発行されておりました。こちらからご参加ください』
新URL。
俺は数秒それを見つめた。
年度が変わったから、会議URLも変わっていた。
理屈としては、わからなくもない。
だが、だったら最初から言え。
「来ましたね」
「来たね」
「新URL」
「新URLだね」
「普通に考えたら事前に出しておくべきでは?」
「そうだね」
「誰も当日まで気づいてなかったんですかね」
「たぶん、みんな“誰かが確認してる”と思ってたんじゃない?」
俺は黙った。
そのブーメランは、よく刺さる。
新URLをクリックすると、今度はちゃんと会議室につながった。
参加者一覧に、次々と人が流れ込んでくる。
誰もが少しだけ気まずそうで、でも何事もなかった顔をしている。
これが社会人の強さだ。
問題を解決するのではなく、解決後に無かったことにする能力が高い。
『おはようございます、少々開始が遅れて申し訳ありません』
会議主催者が、穏やかな声でそう言った。
少々。
便利な言葉だ。
内容次第では、かなりのことを薄められる。
上司はマイクをミュートにしたまま、俺にだけ聞こえる声で言った。
「ほら」
「はい」
「新年度になっても、人類は確認しない」
「名言っぽく言わないでください」
「俺くん」
「はい」
「来年も同じこと起きると思う?」
俺は少し考えた。
そして、正直に答えた。
「かなりの確率で起きます」
「だろうね」
「むしろ再発防止策が“気をつけます”で終わる可能性が高いです」
「そこまで読めるのに、なんで朝確認しなかったの」
「自分は巻き込まれない側だと思っていたからです」
「運用事故に一番向いてない思想だね」
会議は、その後何事もなく進んだ。
来年度方針。
体制変更。
運用見直し。
連携強化。
人は、会議で言うことだけは立派である。
終了後、上司が椅子を回してこちらを見た。
「で、今日の学びは?」
「“当たり前”ほど誰も確認しない、です」
「もう一個」
「年度が変わると、人類は会議URLすら信用できない」
「うん、まあそれでもいい」
「あと、誰かがやってるだろうは、だいたい誰もやってない」
「それが一番大事」
上司はそこで少しだけ笑った。
「朝、念のため確認しといてって言ったよね」
「はい」
「次からは?」
「確認します」
「ちゃんと?」
「ちゃんと」
「“不要です”って言わない?」
「たぶん言いません」
「たぶん?」
「……言いません」
「よろしい」
俺は静かにカレンダーを開き、来月の定例会議を見た。
そこに貼られたURLを見て、少しだけ身構える。
人類は学ばない。
だが、俺は今日ほんの少しだけ学んだ。
会議の本質は、議題ではない。
まず入室できることだ。
そして上司の嫌な予感は、だいたい当たる。




