表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺の上司が凄すぎて自称天才エンジニアの俺がポンコツに見える件  作者: 慧梓
第3章 東都の日常②

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

42/66

幕間: 〜トイレから帰ったら世界が終わっていた件〜

 俺は別に、サボっていたわけではない。


 そこはまず最初に言っておきたい。


 ただ、イベント対応の合間にトイレへ行っただけだ。

 人類には排泄という基本機能がある。

 それを怠ると社会人以前に生物として終わる。


 だから俺は、ごく自然にトイレへ行った。


 ごく自然に用を足し、

 ごく自然に手を洗い、

 ごく自然に作業部屋へ戻った。


 そして扉を開けた瞬間、俺は思った。


「……あれ?」


 誰もいなかった。


 本当に、誰もいなかった。


 さっきまで人がいたはずの作業部屋には、

 見事なくらい人の気配が消えていた。


 荷物もない。

 声もしない。

 空気だけが妙に静かだった。


「……え、終わった?」


 俺は一瞬、自分が異世界転移でもしたのかと思った。


 だが残念ながら、そこは異世界ではなく現実だった。

 しかもかなり間の悪い現実だ。


 数秒だけ思考を巡らせる。


 連絡はない。

 呼び戻されてもいない。

 全員いない。

 つまり、たぶん、帰った。


「……じゃあ、もういっか」


 そう判断して俺も帰った。

正直夕会も引き継ぎももう終わってる。

つまり俺が留まっていてもやれることはほぼ無い…筈だ。


 今思えば、この時点で負けていたのかもしれない。


    ◇


 家に着いてしばらくしてから、スマホが鳴った。


 嫌な予感がした。


 こういう時の嫌な予感は、大体当たる。

 エンジニアの勘というやつだ。

 障害予兆検知と同じで、当たってほしくない時ほど当たる。


 画面を見る。


 上司だった。


「うわ」


 思わず声が出た。


 メッセージを開く。


『控え室行ったら誰もいなかったんですが?wwwww』


「いや、それはこっちの台詞なんですが?」


 思わず即返した。


『トイレ行って帰ってきたら全員帰ってたので、

引き継ぎも終わってたし、もういっかってなって

なって帰りました』


 事実である。

 盛ってない。

 一切盛ってない。


 すると上司からすぐ返ってきた。


『人生はままならないものですね……w』


「いや、他人事みたいに言わないでくださいよ」


 こっちはちょっと被害者なのだ。


 トイレから帰還したら世界が終了していた。

 あれはもう個人の努力でどうにかなる領域ではない。


 だが上司はそこを責めなかった。

 責めなかった代わりに、面白がった。


 それが一番タチが悪い。


    ◇


 翌日。


 俺は仕事の合間に、改めてやり取りを見返していた。


「いやでも、普通だよな……?」


 トイレから戻ったら全員いない。

 確認できる相手もいない。

引き継ぎも終わってる。

 だったら帰る。

 自然だ。極めて自然だ。


 俺は自分の正当性を再確認し、静かに頷いた。


 そこへ、上司が来た。


「何を難しい顔してるの?」


「難しくはないです。昨日の件、やっぱり俺普通だよなって確認してました」


「あー、あれ」


 上司は一秒で理解した顔をした。


「普通だと思うよ?」


「ですよね?」


「うん。普通」


 勝った、と思った。


 が、次の一言で俺は負けた。


「でも面白かったから、つい」


「そこなんですよ」


 俺は即座に抗議した。


「俺、別に悪くないですよね?」


「悪くないね」


「じゃあ被害者じゃないですか」


「被害者だね」


「なのにネタにされたんですよ?」


「だって綺麗だったし」


「何がですか」


「トイレ行って帰ってきたら全員帰ってて、じゃあもういっかって帰る流れ」


「綺麗か?」


「綺麗」


 上司は断言した。


 なんなんだこの人は。


 普通なら、こういう時は多少なりとも注意とか反省とか、そういう方向へ行くはずなのだ。

 だがこの人は違う。


 責めない。

 怒らない。

 ただ面白がる。


 しかもその態度が妙に自然だから困る。


「いや、でも防ぎようなくないですか?」


「うん、防ぎようはない」


「だったら俺の勝ちでは?」


「社会人的には勝ちかもね」


「ほら」


「でも会話では負けてるね」


「なんでですか」


「だって面白かったし」


「その理屈おかしいでしょ」


「おかしいかな」


 上司は首を傾げた。

 こっちは傾げたい。


「俺、一応それなりに偉い立場なんですけど。

管理者ですし。」


「知ってるよ」


「なのに扱いが軽くないですか?」


「それはそう」


「認めるんですか」


「だって面白い部類だし」


「ひどい」


 上司は小さく笑った。


「でもさ」


「はい」


「それで怒られてないんだから、いいじゃない」


「まあ……それは、そうですけど」


「でしょ?」


 この人はこういうところが強い。


 正論で押し潰すわけじゃない。

 圧で黙らせるわけでもない。

 ふわっと軽く言う。


 なのに、なぜか最終的にこっちが「まあそうか……」となる。


 理不尽だ。


 いや、理不尽ではない。

 たぶん正しい。

 正しいのが余計に腹立たしい。


「納得いかない顔してる」


「納得してないので」


「でも反論は弱い」


「ぐっ……」


「ほらね」


 上司は楽しそうだった。

 この人、絶対今のやり取りを遊んでいる。


 しかも厄介なことに、仕事ができる人間がこの温度で遊んでくると妙に強い。


 雑談なのに主導権を握る。

 責めてないから反撃しづらい。

 でも最後は勝って帰る。


 ずるいだろ、それは。


    ◇


 昼休み、俺は一人でコーヒーを飲みながら思った。


 やはり強い。


 俺も別に無能ではない。

 少なくとも自分ではそう思っている。

 判断もするし、現場も回すし、人に指示も出す。


 だが、その上にいるこの人は、なんというか、強さの種類が違う。


 仕事ができるだけじゃない。

 会話が軽い。

 空気が柔らかい。

 なのに、気付けば相手のペースになっている。


「勝てねぇな……」


 思わず呟いた、その時。


「何に?」


 後ろから声がした。


 振り向くと、上司だった。


「うわ、いた」


「いたよ。さっきから」


「怖いんですが」


「で、何に勝てないの?」


 俺は一瞬迷ったが、まあいいかと思って正直に言った。


「上司にです」


「へえ」


「いや、なんか普通に強いんで」


「何それ」


「仕事もそうですけど、雑談の処理能力が高すぎるんですよ」


「褒めてる?」


「半分くらいは」


「半分かぁ」


 上司は少しだけ笑って、それから言った。


「別に勝たなくていいんじゃない?」


「え?」


「勝とうとするから疲れるんでしょ」


「それは……まあ」


「たまに一発返せれば十分じゃない?」


「いや、でも毎回やられっぱなしは悔しいんですが」


「じゃあ頑張って」


 軽い。


 軽いのに、妙に雑ではない。

 その温度感がずるい。


「今の、励ましてます?」


「応援してる」


「本当に?」


「本当に」


「全然信用できない」


「失礼だなあ」


 そう言いながら、上司は笑った。


 その顔を見て、俺は理解する。


 ああ、たぶん当分勝てない。


 正面から行っても無理だ。

 たぶんこの人相手には、勝つんじゃない。

 食らいつくのが正解だ。


 たまに一矢報いて、

 でも最後は向こうが一枚上。

 そんな感じで、少しずつ距離を詰めていくしかない。


 前途多難である。


 だがまあ、悪くない。


 少なくとも――


「トイレから帰ったら全員帰ってた件は、俺悪くないですよね?」


「まだ言ってる」


「大事なことなので」


「悪くないよ」


「よし」


「でも面白い」


「そこですよ!」


 やっぱり勝てる気がしなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ