シュゼットの憂鬱
「…はぁ」
ギルドへの帰り道、シュゼットはため息を禁じえなかった。
ジーク達の手前、あの場では教会との交渉を引き受けたものの、正直気が重かった。アンネリーの言う事には一理ある。しかし教会側とて一筋縄で行く相手ではないのだ。そう簡単にこちらの思う通りには動いてはくれないだろうし、そもそも相手の懐に飛び込むような策には危険が付き物だ。シュゼットとしては不安感が拭えないのが最大の懸念ではあったが、とは言えそれ以外に良い策があるかと言えば、残念ながら無い。シュゼットは再度大きくため息をつくと、街へと続く階段を下った。
高台から視線を落とせば、シュゼットには街全体が見て取れた。まだ陽も高い時間帯のため、街には活気が溢れている。家々の間からは炊き出しの煙が立ち上り、人や動物が行きかう音が、ここまで響いてくるようだ。この街が、つい数年前までは数えるほどの巡礼者しか訪れるものもいない場所だったとは、到底考えられない光景だ。城壁の外にまで街が溢れている光景は、全てナルバの迷宮がもたらしたものだ。
しかし平穏な光景を視界に移しながらも、シュゼットは皮肉気に頬を歪めた。
(最古の信仰の地とも言われるこの場所で、まさか教会と相反する仲になるだなんて)
階段の麓には、教会の丸い屋根が見える。巡礼地でもある為、古いがよく手入れをされている。シュゼットはしかしその佇まいから、何人をも寄せ付けない、重い執念を感じた。
遅かれ早かれ教会とギルドとの仲がこじれる事は分かっていた。迷宮の所有権を巡った争いは、何もここナルバの地でのみ起こっているわけでは無い。むしろナルバを中心に、遠い王都での代理戦争が行われているような状態だ。
(今までその拮抗が平和的に保たれていたのは、一重にランドルフ大隊長とギルド長のお陰…。しかし此度派遣されてきたベルナール大隊長は、確実に大聖堂の意を汲んでいる。ここで彼らに主導権を握られてしまえば、お兄様達のご迷惑に――)
きゅっと眉根をしかめたその先に、ふと視線が目抜き通りの更に奥へと彷徨った。そこには家々の屋根に隠れて見えないが、アンネリーの工房がある辺りのはずだ。本人たちの預かり知らないところで、自分たちが政治の道具にされていると知ったら、あの苛烈な魔道具師は、どの様な反応を返すだろう。烈火のごとく怒りだしそうなと思う反面、しかしシュゼットは違うと思った。彼女と話していると、たまに全てを見透かされていると感じる時がある。此度の事も、全ての思惑を分かった上での言動とも、思わなくも無く考えてしまうところが、あの女魔道具師にはあった。
(それにしても、アンネリー殿はどうしてあれだけの技術を持ちながら、こんな片田舎に隠遁しているのかしら…)
ガントス達が抜け、火の車となったアンネリーの研究を手伝いだしたのは、何も善意だけが理由では無かった。体のいい研究員の監視の理由が出来たこともあるが、それ以上にシュゼット自身、アンネリーに興味があったからだ。アンネリーは早々にその事を察してなるべくシュゼットを研究に関する事柄には関わらせない様にしていたが、それでも学びと新たな発見は尽きることが無かった。
アーシェの言う通り、アンネリーが構築する魔道具の理論は、一風変わっていると言っても良い。しかし実際にはそれだけで、シュゼットの目からすれば型破りと言う程では無かった。あくまでも正当な理論を理解したうえで、その解釈を別方向からアプローチする。アンネリーが組み立てる魔道具とは、そういった物が多かった。
(アンネリー殿の魔道具を、一級品にしているのはその理論ではなく、彼女自身の正確な審美眼と、魔力の流れを詠む正確さ――)
初めてアンネリーの魔石に触れた時の衝撃は、未だによく覚えている。アンネリーは一つ一つの素材の特性や特質をよく理解したうえで、術式を組む時に調整を加えていくのだ。しっかりとした理論の積み重ねの上に、更に積み上げていく技術の数々。その微細な手の加え方は、いっそ芸術品と言っても良い。それゆえに、あのような精緻な魔石が完成するのだ。
(ですがアンネリー殿の魔道具を、あそこまでの品質にしているのは、それだけではない)
シュゼットの脳裏に、まだあどけなさの残る子どもの顔が浮かんだ。二年程前から住み込みで働きだしたというこの見習の子どもは、何のてらいも無くアンネリーの指示に的確に応えている。しかしそれは深い魔術の知識があって初めて応えられる物も多く、シュゼットはこの年端も行かない子どもの知識に、内心驚きを禁じ得なかった。
(いえ、知識だけではない。ある意味審美眼と言う意味では、アンネリー殿を上回るかも…)
アンネリーが理論派と言うならば、アーシェのそれは感覚だ。絶妙な加減で魔道具に刻み付ける技の強弱は、一見素人からはその意味すら見いだせないだろう。しかし玄人の目から見ればその細やかな細工が、そのまま魔道具自体の質へと繋がっていくのが見て取れる。
シュゼットは初めて、アーシェが魔石の加工を作業していた時を思い出し、小さく身震いをした。シュゼットからすれば贔屓目に見ても並み程度の原石が、アーシェの研磨一つで質を二段階は底上げされたのだ。それは魔導一家の末娘として申し分の無い環境で育てられてきたシュゼットからしてみても、魔導の奥深さを目の当たりにしたような、身震いする程の衝撃だった。
堅実な理論を実践するアンネリーと、それを支えるアーシェ。
アンネリーの魔道具は、この師弟二人の手によってこの世に生み出されていると言っても、過言ではない。
それがシュゼットの、ここ数日に及ぶ『調査』の結論であった。
(しかし不思議なのは、二人とも全く魔術を使われない事です…)
あれだけの理論と知識を持っているとするならば、通常であれば自身も魔術師であると考えるのが普通だ。元々魔術とは、目に見えない魔素の流れを加工する技術。それを道具に定着させる技術には、どうしても魔術師としての素質が、ある程度問われるものだ。
(アンネリー殿は中級程度の炎の魔術であれば、難なく行使できるだけの魔力を持っているはず。アーシェさんは…駄目ね。魔力の保有量が少なすぎて、属性すら分からない。でも…)
シュゼットの脳裏に浮かぶのは、次兄より送られてきた二つのメッセージ。
(凶鳥スペルマナとカタルスの賢人…。なぜかしら。あの二人を見ていると、どうしてもそれを思い出してしまう)
泥濘の海より空をつんざく凶声を上げて羽ばたく、漆黒の凶鳥スペルマナ。そして自身の魔導の技術全てを以てして、いかなる魔術をも阻む鉱石を作り上げた伝説上の賢人。
シュゼットは今日何度目かになるため息を、小さく漏らした。
気が付けば、すでにギルドは目の前に迫っていた。シュゼットは王命を帯びてこの街に来ている。彼女は王の目となって、見たこと聞いたことを報告する義務があるのだ。しかしアンネリーとアーシェの事になると、どうにも筆が進まない。
(何か…何か大きな見落としをしているような、見えるべきものが見えていないような、そんな落ち着かない気持ちになるのは、どうしてかしら)
王都への報告は、慎重を期す。シュゼットの報告一つで、大きく状況が動くこともあり得るのだ。しかしアンネリーとシュゼットの事を報告しようにも、不確定な部分が多すぎていつも書きぶりに困るのだ。
(いけない。こんな事で気弱になっては。何のために、一人この地に来たのですか)
先の動乱はカルローナ戦役で疲弊した王国を混沌の渦へと叩き込んだが、正当なる王がその位を奪取し、ついに待ち望んだ平安が訪れたかのように見える。しかしその体制は未だ盤石とは言えず、その最たる例が教会との確執だ。
(このまま教会が黙っているとは思えない。現王の手腕を疑うわけではありませんが、未だ安寧とは程遠い…。何としても、お兄様達の助けにならなくては…!)
シュゼットは漏れだしそうなため息をぐっとこらえ、今度こそしっかりと前を見据えて足早にギルドへと道を急いだ。




