教会からの依頼
迷宮から帰還してからの数日間、アーシェ達はいつにも増して忙しくなった。ガントス達が抜けたため、その穴を埋める必要があったからだ。炎の巨鳥が解き放たれたことによる鏡面世界の変化の記録の他に、迷宮内の調査や宮殿区画の整備。更には調査のための魔道具の開発と、やる事は山積みだった。目まぐるしく作業に追われる日々の中、唯一助かったのがシュゼットの参戦だった。ギルドとの連携を全面的に引き受けてくれた上、迷宮内の探索などにも積極的に同行を申し出てくれる。ジーク達としても戦力の大幅増加は願っても無い事で、彼女のお陰で何とか調査を進められる状態を保てていた。
そんな忙しくも平穏な日々を過ごしていたある日、シュゼットが険しい顔をして宮殿区画へと現れた。
「あら、シュゼットちゃんじゃない?今日はこっちに来る日じゃ無かったわよね?」
『門』を潜ってきたところに調度居合わせたリーザが、驚いて声をかけてきた。シュゼットがアンネリーの手伝いができるのは、多くても週に三日程度。昨日来たばかりだったので、まさか連日で現れるとは思っていなかったのだ。
「こんにちは、リーザさん。アンネリー殿はどちらに?」
「アンネリーさんならいつもの研究室だけど…。どうしたの?様子がちょっと…」
しかしシュゼットは最後まで聞かず、一気に廊下を走り去った。リーザもただ事では無いと感じ、すぐさま後を追う。研究室の中ではアンネリーが、アーシェに魔道具の指南をしているところだった。ただならぬ様相で飛び込んできたシュゼットに、二人とも驚き手を止めた。
「シュゼット嬢。そんなに気色ばんで一体どうされた?」
「――アンネリー殿。今朝ギルドに、教会からとある魔道具に関する依頼がなされました」
「…魔道具?」
「はい。高濃度の魔素すらも中和する、貴女の魔道具です」
アンネリーは一瞬眉を顰めると、小さくため息をついて手に持っていた道具を机に置いた。
「ややこしい話になりそうだな。アーシェ。それの調整は後だ。会議室に皆を集めてくれ」
「わかりました」
アーシェはこくりと頷くと、ぱたぱたと宮殿区画へと走り去った。それを見届けアンネリーもシュゼットを伴って、外へと出る。そよ風でも吹きそうな景色ではあるが、宮殿区画に風は無い。しかし隣で体を固くしている少女を思うと、風でも吹けばよいのにとアンネリーは場違いな事を考えながら、皆が集まる部屋へと向かった。
「急に呼び出されるから何かと思ったら、シュゼットか。何かあったみたいだな?」
部屋に集まっていたのはアーシェの他はジークとリーザのみ。シリウスとデュークは今ナルバに買い出しに出かけている。
「厄介ごとの匂いがしたからな。面倒だったので、二人にも集まってもらったんだ。話は一度の方が良いだろう」
アンネリーはそういうと、手近な壁にゆったりと背を預けた。
「――ありがとうございます。今朝、教会からギルドに対して正式に魔道具の譲渡の依頼がありました。高濃度の魔素を中和し、更には長時間に渡る作業を可能にする、アンネリー殿の魔道具を、です」
アーシェは思わず目を剥いた。アンネリーは常と変わらない仏頂面だったが、瞳に宿る光が険しい。先を促すそのまなざしに、しかし先にジークが声を上げた。
「くそっ。遅かれ早かれこうなるとは思ってはいたが、譲渡とは大きく出たな」
ジークが嫌なものでも見るかのように、盛大に顔をしかめた。リーザも横で頷いているが、アーシェには今一状況がつかめなかった。
「本当に、その通りだと思います。流石にギルドとしてもこの様な無理は通せませんので、丁重にお断りさせていただきました。が、それでも引き下がる様子が無く、恐らくまた数日の内に圧力をかけてくるかと思います」
珍しく、シュゼットの物言いには険があった。余程腹に据えかねているらしい。
「成程な。それで警戒を強めた方が良いってことか」
「はい。…正直、使者の方もあまり感じの良い方ではありませんでした。恐らくあれは、ベルナール大隊長の一派の方でしょう。どの様な強硬手段に出るか分からない以上、警戒するに越したことは無いかと…」
「了解した。デュークたちが帰ったら、いつも以上に気を付けるよう、言っておくさ」
「ありがとうございます。それから教会の事なのですが――」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってください!」
どんどん進んでしまう話に、アーシェは慌てた。全くもって、話が見えないからだ。
「どうして急に教会が師匠の魔道具を欲しいなんて言ってくるんです?彼らにだって、魔素を中和する術があるはず。それに、魔道具を渡さなかった急に襲ってくるだなんて…。どうしてそんな物騒な話になるんですか?」
アーシェとしては最もな問いだったのだが、シュゼットは驚きに一瞬目を瞬かせると、ゆっくりと頷いた。
「そうですね、失礼いたしました。教会内の事情なんて、一般の方は知りえませんものね。アーシェさん、おっしゃる通り教会内にも魔素を中和する方法はあります。しかし、実際にはそう簡単なことでは無いのです」
シュゼットはアーシェに向き直ると、指を一本立てた。
「まず、魔素を中和する方法で一番主流なのが、魔術による結界です。しかしこの結界は設置型の魔術になりますので、広範囲の探索にはあまり向いてはいません。第二に、これは魔術師が良くとる方法になりますが、自分の周りの魔術の流れを、意図的に変えてしまう事です。しかし高濃度の魔素の中でも長時間、これができる魔術師はそうはいません」
アーシェはこくこくと頷くが、しかしそれが何故魔道具の譲渡に結びつくのか、理解していない様だった。シュゼットはふと嫌な予感がし、おずおずと問い返した。
「あのう…アーシェさんはどの程度、アンネリー殿の魔道具の特異性を理解されてらっしゃいますか…?」
「え?そりゃ術式の理論や組み方はちょっと普通とは違うかもしれないけど、特別そんな難しい事、してないですよ?魔術がうまくいかないなら、自分たちで魔道具作っちゃえば良いのに。だって教会の研究者って、その筋のエリートですよね?」
アーシェの言に、シュゼットは思わず頭を押さえてしまった。ジークとリーザは苦笑し、当のアンネリーはと言うと何食わぬ顔で変わらず壁にもたれている。アーシェは皆の反応の意味が分からず、目を白黒させた。
「アーシェさん…。残念ながら王都の魔道具師でも、正直難しいでしょう。アンネリー殿の魔道具が稀有なのは、これだけの機能を持った魔道具を、彼女が量産することが出来るからなのですよ?」
「ええ?!でも教会の研究者って…」
アーシェは思わずといった風に、アンネリーを見上げた。アーシェの知る限りでは、教会の人員とは精鋭揃いだ。少なくとも、田舎の弱小工房でできることが、彼らに出来ないとは到底考えられなかった。
「魔術師としての彼らの知識や技術は一流です。しかしそれはあくまでも魔術の話であって、魔道具の作成ではありません。また魔道具が普及すれば、魔術師自体の価値が下がるという不安もあるのでしょう。教会の魔術師たちは、殊更魔道具には手を出さないようにしていた。故に彼らには魔道具を作る技術が無いのです」
「で、その結果自分たちの力じゃどうにも神殿区画の調査が出来ないと分かったところで、恥知らずにも寄こせって言いやがったと」
「全く、随分と自分勝手で身勝手な話だわ!」
リーザが腰に手を当てて怒りを露わにした。教会も研究員の数が減って神殿区画の調査が滞っているとは聞いては居るが、言う事欠いて魔道具を寄こせとは、随分と横暴な物言いだった。
「残念ながらランドルフ大隊長の代わりに赴任された方は、元々ギルドに対しても良い印象を持っておりません。自分たち貴族のために民が居ると言って憚らない態度の方でしたので、致し方ないと言えばその通りですが」
いつもは温厚なシュゼットが、珍しく嫌悪を露わにして吐き捨てた。
「ともかく、そんな理屈は通りませんが、厄介ごとであることには変わりません。皆さんには――」
「シュゼット嬢。その話、受けようと思う」
「アンネリー殿?!」
「なんだって?!」
今まで一言も口を挟まなかったアンネリーが、唐突に場に割って入ってきた。
「アーシェの言う通り、別段私の技術は秘匿されるようなものでもない。魔素を中和する魔道具であれば、扱いも左程難しいものでもない。だがそんな技術でも、教会が有難がってくれると言うのなら、精々高く売りつけてしまえば良い」
「でも…!」
「もちろん、タダとは言わないさ。神殿区画の合同調査。これが条件だ」
剣呑なアンネリーの眼差しに、ひゅっと息を飲む音が聞こえた。
「なに、未来永劫ずっと調査させろと言う話じゃない。今回の調査の目的は一つ。神殿区画の魔素が、どこから供給されているか、だ。それさえわかれば長居する必要は無い。調査の回数も、左程必要は無いだろう」
「…成程、一理、あります…。ですが…」
未だ渋るシュゼットに、アンネリーはさらに言葉を重ねた。
「譲渡する魔道具は、試作機程度の能力の魔道具五機でどうだろう。それ位なら材料も左程難しいものではないし、多少調整すれば二時間は潜れる。その後教会が量産するもよし、改良するもよし。しかし私たちが神殿区画に入れるのは、この時だけだ」
「おっしゃっていることは分かりますが…」
シュゼットが盛大なため息をついた。よもやこの様に話が転がるとは、思ってもみなかったのだ。
「あはははは!いやー、アンネリー、あんた面白れぇよ!」
シュゼットの悩みなどどこ吹く風で笑い飛ばすジークに、シュゼットは更に嘆息した。しかし元々あの魔道具は彼女の物だ。部外者であるシュゼットが、とやかく言える物でもない。
「――分かりました。では精々高く売りつけるとしましょう。ナルバに戻り次第、教会と条件については詰めます。他にアンネリーさんの方で、条件はございますか?」
「そうだな…。新たに作る試作機の費用と、こちらからは私、アーシェ、それからジークとシリウスを合同調査のメンバーに入れたい。それ以外の条件については、そちらに任せる」
「了解いたしました。では引き渡しは一月後でよろしいでしょうか?」
「そうだな…アーシェ、どう思う?」
「…え?」
急に話を振られ、アーシェは目を白黒させた。
「何ぼさっとしているんだ。五機の試作機、お前が作るんだ」
「…ええええええええええ?!」
今日一番の絶叫が、和やかな宮殿に響き渡った。




