帰還
さらに漆黒の世界を漂っていると、アーシェはふと視界の隅にちらちらと光る影を見つけた。
「…あれ?」
「どうした?」
じっくりと意識を凝らすと、わずかながらアーシェは魔素の気配を感じた。しかしそれは本当にごくごく微量の魔素で、アーシェも一瞬捕らえたかと思ったが、すぐにどこかへと見失ってしまった。前方の方向だが、そもそもかなり距離もある。アーシェの見間違いという事もあり得たのだが、その事を伝えるとジークは真剣な面持ちでその方角を睨んだ。
ジークはその方角に正対すると、おもむろに右腕を掲げた。手のひらを外に向けて突き出し、ゆっくりと上下左右へと動かしていく。
「さっきから良くそれやってるけど…。ジーク、何やってるの?」
「ん?あぁ、影ができないかと思ってな」
「影??」
一層意味が分からない。これだけ暗い世界だ。むしろ影しかないと言っても良い。小首を傾げて訝し気に問うてくるアーシェに、ジークは一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに合点がいったとばかりに頷いた。
「…あぁ、すまん。ずっと『視』ててくれてたんだもんな。一回解除して、普通に辺りを見回してみろ」
アーシェは訝しながらもゆっくりと目を閉じて、深呼吸する。そして再度瞼を開けたとき、飛び込んで来た視界は変わらぬ漆黒と、魔素が見えなくなったためくすんでしまったジークだった。
「お前、前に迷宮で、生きているものは大なり小なり魔素を内包していて、それは輝いて見えるって言ってただろ?だから気が付かなかったんだよ。――ここは完全な暗闇じゃない。光がある」
「…え…?」
アーシェは言葉の意味が分からず、目を瞬いた。そして、気が付いた。うっすらとではあるが、ジークが見えている事に。
「光源が本当になければ、ここは完全な暗闇だ。自分の手すら見えないはずだ。だけど俺はおぼろげながらもお前が見える。という事は、どこかに光源があるはずなんだ。そしてもしここが本当に鏡面世界なら、ガラス石の吸い込みにも耐えた光源ってのはーー」
「…!!転送球!!」
にやり、とジークが笑ったように見えた。確かに、あの光る台座は全てを飲み込んだ赤いガラス石の吸い込みにも耐え、変わらずあの場所に佇んでいたようだ。アーシェ自身はすぐに魔素の光を追う『眼』に切り替えてしまっていたが、ジークは魔素が見えない。それゆえ、純粋な光に反応していたのだ。
「今お前が指し示してくれた方角を少しずれるが、ほら、見てみろ」
無造作に突き出したジークの指の間に、うっすらと影が見える。
「取りあえず、こっちの方角に進むってのでどうだ?もちろん、他にいい案があれば、話は別だが…」
アーシェはふるふると頭を振った。現金なもので、俄然気持ちが上向く。
「だが急ぐぞ。お前が見たかもしれないっていう魔素が気になる。赤いガラス石が無くなった今、いつまでもこの空間が同じである保証はない。もしまたあの魔素嵐のような状態になっちまうとしたらーー」
それはあり得ないことでは、到底なかった。今は魔素が全くと言っていい程無いため、自分たちでも生きていられる。しかし鏡面世界特有の高濃度の魔素があふれ始めたら、生身の人間には無理だ。アンネリーから託されている魔道具も、ほぼ使い切ってしまっている。今は一刻も早く、宮殿区画に戻ることが大事だった。
「――行こう!もしかしたら、シリウス達とも合流できるかもしれない!」
ジークは力強く頷き返すと、アーシェの手を引いて暗闇へと踊りだした。時折『眼』と目を切り替えながら、ジークに引かれながら暗闇を進む。確かに、段々と明るさが増してきたような気がする。しかし同時に、魔素の量も増えてきた。
「…ジーク、まだ全然大丈夫な量なんだけど…。魔素が増えてきたよ」
「そうか…。やっぱり時間は無さそうだな」
「…多分。しかもね、その魔素って光だけじゃないくて、炎もなんだ」
「なんだって?!」
驚くジークに、アーシェは何とも言えない面持ちで頷いた。今まで、鏡面世界には光の魔素しか存在していなかった。それはナルバの迷宮全体を通して言えることで、宮殿区画も神殿区画も、存在するのは光の魔素だけだった。それが為に教会はナルバの迷宮自体を光の神レフトの遺構と見始めていたところ、この変化だ。ジークならずとも、紛争の種に歯噛みする。炎の魔素が現れ始めた原因は、恐らくあの巨鳥だろう。下手をすればあれを解放した自分たち冒険者ギルドに対して、言いがかりをつけかねられない。ジークは舌打ちすると、一層強く空を蹴り、段々と強くなる輝きに向かって加速した。
「取り合えず、厄介ごとは後回しだ。魔素の量が増えてきたってのは、まずい。後どのくらい持ちそうだ?」
「ムラがあるから何とも言えないけど、光源と魔素の濃度は比例してるみたいだよ」
「…つまり時間は無いって事だな」
今はまだ生身でも問題ない量でも、時間が経てばその濃度は人が耐えうる量を超える。その閾値を超える前に、アーシェたちは転送球にたどり着く必要があった。
「--!!みて!!」
遥か前方、他の魔素とは比べ物にもならない光が、暗闇の中灯っているの見て取れた。遠目にはくゆった光も、段々とその存在感を増してくる。ジークの目論見は当たった。転送球を見つけたのだ。
そしてアーシェは、その転送球の周りが一番魔素濃度が高い事に気付いた。今までは分からなかったが、こうも濃淡がはっきりしていれば一目瞭然だ。転送球がゆうるりと呼吸するかのように、魔素を吐き出しているのを、アーシェの『眼』は捉えた。吐き出された魔素の光は、キラキラと瞬きながら漆黒の世界に散らばっていく。その幻想的な風景に、アーシェは生命の息吹を想った。
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「――実に興味深い」
宮殿区画に無事帰還し事の次第を報告すると、アンネリーは眉間に皺を寄せて低く唸った。
シリウスとガントスたちは、ガラス石の崩壊の後、比較的転送球に近い地点に吹き飛ばされていたらしい。その為容易に宮殿区画にまで帰還でき、アーシェ達と再会を果たした。ガントスは重度の魔素酔いを起こしたトレルを連れて、ギルドの医務室へと向かっている。
「赤いガラス石といい、消えた巨鳥といい…。挙句の果てには炎の魔素と来たもんだ。これはどうやら、どえらいものを引き当てて来たな」
「そうなんです…。ちなみに炎の魔素は、今この宮殿区画にも存在してます。恐らく、俺たちが巨鳥を解放したことと何か関係があるかと…」
今、アーシェ達は応接室として改造した、宮殿の一角にいる。休みたいのは山々なのだが、事が事なだけにそういうわけにも行かなかった。
「話を聞く限り、恐らくそうだろう。どの様な関係性かは分らんが、無関係という事はないはずだ。だがそうするとその赤いガラス石だが…」
「妾らも幾度となく鏡面世界には飛んでおったが、あのような赤い魔石は、ついぞ見たことがないぞぇ。あれだけの大きさ。目立たぬはずが無いのじゃが…」
ネルが優雅なしぐさでため息をつき、アーシェはくすぐったさに身をよじった。
アーシェがジークとともに帰還すると、真っ先に駆けつけて来たのがネルだった。自分たちを助けに来てくれた恩人が、自分たちのせいで迷宮に取り残されたと半狂乱だったらしい。それ以来、ずっとアーシェに抱き着いて離れないのだ。いつもの事とは言え、流石のアーシェも今回だけは大目に見ることにした。少々胸の柔らかさに圧迫感を覚えるとはいえ、アーシェとしてもネルが無事だったことは心の底から嬉しかった。
「…あるいは急激に肥大化したか…。アーシェ。そう言えばお前、以前水で満たされた大きなガラス石を見たと、言ってたな?」
「はい。でもそれは大きいと言っても一抱え位の大きさで…。それに別に近づいても引っ張られるようなことはありませんでした」
「ふむ…そうか…」
アンネリーはそれきり、思案顔で黙りこくってしまった。状況を判断するには、まだあまりにも情報が足りなさ過ぎた。唐突に研究材料が増えた格好だが、情報も人手も足りない今、本音とすれば頭が痛いところだ。
「それにしても、光だけでなく炎の魔素も内包するようになったとなると、この宮殿区画の利用価値は飛躍的に伸びることになりますね」
「全くだな。それに変化があったのがここだけとも考え難い。教会と無用な争いにならなければ良いが…」
シリウスの指摘に、デュークが深々とため息をついた。下手にこの事実を公表すれば、どんな難癖をつけられるか分かったものではない。
「それについてはギルド長の判断に任せよう。私たちの手に負える話ではない」
アンネリーは首を振ると、毅然と言い切った。
「取りあえずアーシェ、ジーク、シリウス。三人は街に戻って休んでくれ。念のため、ギルドの医務室にも寄るように。皆無事で本当に良かった。明日、またここに戻ってきてくれ」
「了解した」
「ご心配おかけいたしました」
「ネルもガントス達に合流してくれ。トレルが心配だ。可能であれば、また調査依頼を受けてくれ」
「あい分かったぞぇ。ガントスらにも、そう伝えようぞ」
「デューク、リーザ。魔道具の調整を行いたい。このまま迷宮で手伝ってくれ」
「分かったわ」
それぞれに指示を出すと、ああそうだ、と言ってアンネリーが懐から魔石を幾つか取り出した。
「ネル、依頼の報酬とは別に、これを持っていってくれ。アーシェに渡したものに比べると少し質は落ちるが、炎の魔石だ。私の物だと言えば、ギルドもそれなりで買い取ってくれるはずだ」
「アンネリー殿…?しかしこれは…」
戸惑うネルに、アンネリーは押し付ける様に赤い魔石を握らせた。
「トレルが心配だ。――必要であれば、使ってくれ」
「ネル、ここは貰って?それでなくとも今回は大変だったんだから」
迷うネルを言い含めるかのように、アーシェも口添えた。
「…あい分かった。お心遣い、必ずトレルから礼を言わせようぞ」
ネルはしっかりと魔石を胸に抱くと、東方風の優雅な礼をもってアンネリーに応えた。
「ジーク。お前たちにはこれだ」
「うぉわっと…!…ってえ?!結構重いぞ?!」
無造作に投げ渡されたのは、お金の入った布袋だった。すかさず中身を確認すると、少なくない額が入っている。ジークは目を白黒させた。
「疲れているだろうから、今日は街でゆっくり過ごしてくれれば良い。あまり羽目を外しすぎるなよ?明日は朝から迷宮に潜ってもらうことになる」
ガントスたちの救出は、アンネリー達の保護とは違う。つまりギルドから報酬として支払われる様なものではない。ジーク達が報酬目当てで救助に向かったわけでは無い事は分かってはいるものの、雇い主として報わぬのはアンネリーの流儀に反した。
しかしアンネリーは決して、今回のガントス達の救出に対する謝礼だとは言わなかった。それでは、ネルに気を遣わせることになる。しかし言外のアンネリーの気持ちを汲み取り、ジークはにやりと笑って頷いた。
それぞれが『門』からナルバへと戻るため足を向けると、ふとアンネリーが呼び止めた。
「…そうだ、すまないがもしもここ数日、大物の魔物を倒した話が無いか、探っておいて貰えないか?」
「大物の魔物…?」
「そうだ。或いは派手な炎の魔術師でもよい。何かそういった、噂話を探ってくれ」
「炎の魔術師ですか…?」
「師匠、でもどうして?」
最もな問いにアンネリーは一瞬口ごもる。まだ考えあぐねている様子ではあったが、意を決して語り始めた。
「私は当初ここに派遣された時から、迷宮それ自体の成り立ちを探っていた。それが今ある謎の、全ての根本だからだ」
アーシェはこくりと頷いた。その話は、アンネリーの基本研究方針として、聞かされている。
「私の仮説では、ナルバの迷宮も宮殿区画も鏡面世界も、全て密接に繋がっている。だがそれは物理的な繋がりではなく、魔力によるものだ」
「魔力による繋がり?」
「考えてもみろ。『門』を潜らねば迷宮に入れない。何層も地下に潜っているにも関わらず、扉一枚隔てて突如空が現れる。これらは現実的に地続きではない。魔的な何かで繋がげられている。それも無理矢理に、だ」
ジーク達もそれは何となく感じてはいた。出鱈目に継ぎはぎを施した様な場所は、ここ以外にも幾つかある。角を曲がったら急に炎が噴き出す火山地帯になるなど、上げ始めたらきりがない。
「ですがそれと炎の魔術師というのは、どういった関係が…?」
「まだ、仮定の範疇を超えない話ではあるのだが、アーシェの話を聞いて一つ引っかかる所があった。鏡面世界の転送球が、魔素を吐き出していた話だ」
そこで一息つくと、アンネリーは全員を見渡した。
「恐らく、迷宮内で使用された魔術は、魔素に還元されて鏡面世界に放出されている。そして何らかの条件がそろって、新しい属性が解放されるんだ」
「迷宮の魔術が、還元…?」
アーシェは目を瞬かせた。アンネリーの言わんとしている事が分からない。シリウスですら意味を掴みかねるているようで、そうなればジークやデューク達に至ってはなおさらだ。
「どんな魔法も、使えば魔素が残滓として残る。それはこの迷宮も同じはずだ。しかし全く魔素が定着しないとなると、それはどこに消えたのだ?私はその答えの一つが、鏡面世界ではないかと考えている」
しかしそれ以上説明する気はないらしい。アンネリーはまだ仮説だとのみ言って、情報を集めるよう指示した。
「うーーーん。まぁ、了解した。今日酒場辺りで聞いてみるさ」
まだ完全には合点がいかないまでも、ジークはそう頷くと、『門』を越えて霞の向こうへと姿を消していった。全員が無事『門』を越えたことを確認すると、アンネリーは一息ついて空を見上げた。目に入るのはどこまでも澄んだ、雲一つない青空。何度見ても変わらない、不思議な空だ。
「…箱庭に訪れた変化、か…。これが何を意味するのか…」
どれだけにらみつけても、空の青さは揺るがない。アンネリーは深々とため息をつくと、今度こそ白衣を翻し研究室へと足を向けた。




