巣立ち
バサリ、と無造作に広げられる両翼。
その一振りで、身を焦がすほどの熱風が辺りを吹き荒んだ。ゆうに渓谷を超す巨体となった今、ほんの身震いだけでもアーシェ達にとっては生命の危機だ。しかもガラス石中の荒れ狂っていた炎が、どんどん巨鳥に取り込まれていく。アーシェは巨鳥の胸元に、自身が描いた術式の名残を感じた。
「――アーシェ!危ないっ!!」
煌く尾羽を打ち震わすのと、ジークに被されたのは同時だった。その瞬間、巨鳥はその翼を力強く羽ばたかせ、ごうごうと唸る熱風を辺りに叩き付けながら宙へと舞った。直撃は免れたものの、アーシェ達は再度強かに吹き飛ばされた。体中が炙られ、じりじりと熱い。シリウスの魔法とジークの鎧が無ければ、一瞬にして肺を焼かれていただろう。しかしそんな事も忘れて、アーシェは呆然と空を見上げた。今では視界の半分を占めるほどの大きさにまでに成長した巨鳥が、燃え盛る空の壁を睨みあげている。眩しい位に艶めいているその体は、灼熱の業火に包まれている。絶対的王者として君臨するその姿は、神聖さすら伴って、見惚れるほどに美しかった。
バサリ、と再度巨鳥が羽ばたく。
巨鳥はその嘴を大きく開けると、一気に魔素と炎を吸い込んだ。以前のファイアーブレスとは、比べ物にならない程の規模の炎塊。耳がおかしくなる程の甲高い音をたてながら、白く輝く灼熱の塊を作り上げた。
「雛が…孵る…」
思わず零れた言葉は、辺りを覆う熱風に攫われた。十分に成長した炎の化身は、今まさにこの小さな卵の殻を割ろうとしているのだ。
そして巨鳥の口から放たれた衝撃が、全てを吹き飛ばした。
ガラス石全体を地響きと共に揺らした巨鳥のファイヤーブレスは、狙い違わず空の壁に穴を穿った。ガラスが割れる硬質な音を立てながら、空に亀裂が入る。
「空が…っ!!」
穿たれた穴からは、ぽっかりと暗い漆黒が現れた。そしてあれ程までに頑丈だった空の壁を、一気にヒビが空全体へと広がっていく。ガラスが割れる硬質な音を響かせて、縦横無尽に走るヒビ。巨鳥は大きく息を吸い込むと、空間一杯に王者の雄たけびをあげた。
『―――――ピィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!』
「!!!!!」
全てを震わす巨鳥の雄たけびは、ガラス石一杯に響き渡った。その圧倒的存在感をもって震わされた空のヒビが砕け散り、なすすべもなく漆黒へと崩れ落ちていった。
(空が…、炎が…!鏡面世界に取り込まれていく…!!)
アーシェは呆けたようにその瞬間を見つめ続けた。外の闇と触れた部分が、さらさらと分解されて吸い込まれていく。鏡面世界に溶け込んでいく様は、あれ程までに猛威を振るっていた炎ですら、儚さをもって消えていった。
隣でジークが何事か叫んでいるようだが、狂わされた聴覚には何も聞こえない。アーシェは食い入るように眼前一杯に広がる極彩色の魔素の乱舞に魅入った。
巨鳥がゆっくりとその両翼を広げていく。
空間全体を覆うほどの雄姿に、アーシェは心が震えた。アーシェには取り込まれた自身の術式が、未だ巨鳥の奥深くに息づいているのがわかる。変質したとは言え、これからも巨鳥の血肉となって、支えていくのだろう。アーシェが作り、雛鳥に殺され、そして巨鳥にまで成長させた自身の術式。アーシェはごちゃまぜになる感情を振り払い、昂然と顔をあげた。今はただ、この雛鳥の誕生を見届けたかった。
「――!!」
一瞬、眼があった気がした。
その巨大な両翼を大きく弛ませながら、巨鳥は空の残骸に向かって風を叩きつけた。その瞬間、ごうごうと物凄い風がかつてのガラス石を全て粉々に砕いた。空も、地面も、かつて巨鳥を捕らえ育てた全てを吹き飛ばし、巨鳥は力強く羽ばたいていった。
アーシェは地面が消え、体を無造作に放り出される様な、気持ちの悪い浮遊感を覚える。しかしそれでも巨鳥の姿から目が離せなかった。
迫りくる灼熱の炎の海を感じながら、最後に意識を手放す前にアーシェが見たのは、光り輝く巨鳥の尾羽の残光だった。
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うっすらと瞼をあげると、アーシェは静寂に包まれていた。延々と続く深い闇。どれだけ気を失っていたのだろう。ゆっくりと頭を上げ、辺りを見回す。燃え盛るガラス石の片鱗は、どこにも見当たらなかった。
「……うっ」
「……!」
すぐ近くから、微かなうめき声が聞こえて驚いた。後ろを振り返ると、至近で眉根をしかめるジークの顔があった。どうやら放り出された時に、咄嗟にジークに抱きかかえられた様だ。向き合おうにもしっかりと背から腹に回された腕は、アーシェを捕らえて離さない。振り返ろうにも身動きができないため、アーシェは軽く手足をばたつかせ、ジークの拘束から逃れようとした。
「ジーク!大丈夫っ?!」
微かに首を振りながら、ゆっくりと目を開けるジーク。がっしりと抱え込まれた腹部に多少の痛みを感じつつも、アーシェは懸命に後ろを振り返った。
「…アーシェ…?」
ぼうっと虚ろだった瞳が、ゆっくりとアーシェを捕らえた。焦点が合うにつれ、アーシェはほっと胸を撫でおろした。取りあえず、意識はあるようだ。
「…ここは…。…ぐっ!」
「ジーク?!怪我してるの?!」
急に痛みに呻くジークに、アーシェは一気に血の気が引いた。もしもジークに怪我などさせたら、それは自分を庇ってくれたせいだ。アーシェは青くなりながら手を伸ばすも、やんわりとそれは遮られた。
「大丈夫…。ちょっと頭を打っただけだ。それよりここは…」
そこは見渡す限り、ただ漆黒の闇が広がっているだけだった。燃え盛る炎も、大地も、そして巨鳥の痕跡すらも見当たらなかった。たちの悪い夢でも見ていたのではないかと言うくらい、そこには何もなかった。
「――ここは、鏡面世界か…?」
「多分、そうだと思うんだけど…」
アーシェの声は心もとなかった。無理もない。辺り一面延々と暗闇が続くだけで、ここをどこだと特定できるものが何もない。ふと視界の隅に、二人のすすけた上着が見えた。落下の中とっさにジークがアーシェをかばったものの、二人そろって炎の海に放り出された時の物だ。迫りくる熱波に、目を瞑り息を殺したのを最後に記憶が無い。よくよく意識を凝らしてみると、体のあちらこちらが痛い。落下する際、砕かれた大地に打ち付けられたのかもしれない。
「俺たち…助かったの…かな?」
普通に考えれば二~三回は死んでもおかしくない状況だった。にもかかわらず、こうして生きている事が、信じられなかった。いくらナルバの迷宮が規格外だとは言え、これはその範疇すら超えている。そう思うと、ジークは思わず笑いが込み上げてくるのを感じた。
「――お前は本当に、びっくり箱だな」
「え?なんか言った?」
ジークはふるふると頭を振った。笑うのは後だ。まだ、完全に安全だとは言えない。
「いや、何でも無い。取りあえず、辺りを探ってみよう。シリウスや親父たちが心配だ」
「…うん」
「念のため、魔素の変化に気を配っておいてくれ」
未だ不安そうにおどおどしているアーシェと比べ、流石冒険者としても年季の長いジークの切り替えは、素早かった。ざっと自身の装備と周りの状況を確認すると、アーシェの手を引き漆黒の世界へと足を踏み出した。
もしもここが本当に鏡面世界なのなら、いつか果てにたどり着く。鏡面世界が多少歪ながらも球体のガラス壁に覆われていることは、既に調査済みだ。壁にさえたどり着ければ、中心に向かって泳ぎ続ければ転送球の台座にまでたどり着ける。
しかし明かりも無く目印もないこの空間では、自分が真っすぐ進んでいるかも、多分に怪しかった。ふわふわとした浮遊感も、気持ちを落ち着かなくされる。挙句の果てにはここが鏡面世界であるという保証すらないのだ。もしもここが出口の無い、得体の知れない新しい空間であったら…。
アーシェは嫌な想像に、ふるりと体を震えさせた。一度意識してしまった恐怖は、じわじわとアーシェの心を鷲掴み、恐ろしさに体が縮こまりそうになる。今すぐに蹲って、無茶苦茶に喚き散らしたい。そうすればこの忍び寄る恐怖から逃れられるかのような、そんな錯覚すら脳裏をかすめた。
その時、繋いでいるジークの手が、ぎゅっとアーシェの手を握り締めた。思わずはっと顔をあげる。ジークは辺りを警戒していて、こちらを見ようとはしない。しかししっかりと握り締められた右手から、力強いやさしさと安心感が流れ込んでくるようだった。
「――大丈夫だ。俺は絶対に、お前を送り返す」
いつもと変わらない、揺ぎ無い声。それはアーシェが思う以上に、心に響いた。
気やすめなのは分かっている。しかしそれでもアーシェはジークが居てくれたことに、自身の幸運と、とめどない感謝を思った。あんな過酷な状況の中、決して自分を離さないでいてくれたこの手が、とても嬉しかった。
アーシェはすこし軽くなった心を自覚しながら、おずおずと繋いだ右手を握り返した。




