作戦
「しっかしこんなんで上手くいくのかぁ?」
ガシガシと豪奢な鬣を掻きながら、ガントスがぼやいた。その背にはトレルが無造作に負ぶわれている。しかし一向に頓着しないガントスの動きのせいで、首ががくがくと揺れていた。
「そう言うなえ。お主とて、他に方法は思い浮かばなかったじゃろう?」
その傍らで、ネルが愛用の扇を構えながらゆったりとした口調でガントスを窘めた。
ガントスとネルは、渓谷の崖を登り切った場所に来ている。二人の役目は、巨鳥や異変をいち早く察知するための監視役だ。そして遥か谷底では、ジークを護衛としてアーシェが何事か忙しなく動き回っている。渓谷の終わり、広々とした空間と炎の海とがせめぎ合うこの場所で、アーシェ達は脱出の糸口を作ろうとしていた。
「それにしても、見事な紋様じゃのう」
少し身を乗り出せば、この高さからならアーシェが地面に書き付けている術式の全容が、良く見えた。魔術を解さぬ身としてはそこに書かれているものの意味など分からず、素人目には子どもの落書きの様にしか見えない。しかしアーシェは必死になって地面にそれらを刻み付けており、時折ジークに固い石を除くように指示していた。
ちらり、と横を見やると、憮然とした面持ちのシリウスが、じっと谷底を見つめていた。ネルは人意地悪くにんまりと微笑むと、コロコロと朗らかに笑った。
「ほほほ。お主、腐っておるのぉ」
「――放っておいてください」
その反応に気を良くして、ネルは更に笑んだ。
アーシェがこの作戦を提案したとき、真っ先に反対したのがシリウスだった。余りに危険な作戦の為、賛成できないと言うのがその理由だった。しかし結局折れて、術式の確認を頼まれてしまった。その姿を目に止め、ガントスは珍しく苦笑を漏らした。
「――まぁお前の言い分も分かるがな」
アーシェの常識はずれな提案を聞いた時、驚いたのは何もシリウスだけでは無かった。アーシェが即興で、巨大な魔道具を作り上げると言ったからだ。
「元々魔術ってのは緻密で気まぐれなもんだ。正確な術式組んだって、魔力は常に一定じゃない。じゃじゃ馬みたいに移り気な魔力を、薄皮一枚のさじ加減で御するのが魔術師の力の見せ所だって言うのに、坊主はあんな高度な術式を、何てこと無いようにやるって言いやがるんだからな」
これじゃあ魔術師は商売あがったりだな。ガントスはアーシェが脱出の為の提案をした時の事を、思い出した。獣人の身では魔術は扱えないが、長い冒険者暮らしの中で魔術の何たるかは理解してきたつもりだ。その彼の常識からしても、複数の機能を持たせた巨大な魔道具を即興で構築するなど、正気の沙汰では無い。しかもまだ魔道具屋見習いでしかない子どもがだ。
「それにしてもお主。よくアーシェの案を受け入れる気になったものじゃのぅ?」
「あぁ。まぁそりゃあなぁ――」
しかしそんな常軌を逸した提案であったとしても、乗ろうと思ったのは他ならぬガントス自身だ。ちらり、と再度シリウスを盗み見た。涼やかな顔の眉間に皺を寄せてはいるものの、頼まれた仕事はきっちりとこなしている様だ。シリウスはあくまで、巨鳥が大人しく炎を取り込み、空の殻を割ってくれるかは別の話だと主張した。勿論、それはガントスもその通りだと思う。あんな規格外の存在を、既存の常識に当てはめる事の方が無理だ。だからこそ、シリウスがそれを理由に作戦に反対したとき、ガントスはこの作戦に乗ろうと決めた。この中で唯一魔術師であるシリウスが、少なくともアーシェ(・・・・)が(・)術式を(・)描く(・・)ことについては異論を挟まなかったのだ。
時間もなく八方ふさがりの現状では、むしろやれる事の方が少ない。ガントスとしてはシリウスの一言で腹を決めたのだが、それをこの人間の青年に言うのは酷だろう。
「――ま。勘だ、勘」
眼下のアーシェ達に視線を戻して、ガントスはにやりと嗤った。
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「ジーク!この石邪魔っ」
ガリガリと地面に紋様を書き付けながら、アーシェは振り向きもせずに言い放った。思い描いた構成の内、まだ二割程度が残っている。いつ巨鳥が現れるかわからない状況で、アーシェは額の汗を拭いながら緻密な術式をありったけの速度で書き付けて行った。
作戦を提案した際、アーシェはまずトレルの魔石を空にする事から始めた。高濃度の魔素を弾く魔道具の要となっている魔石は、風の魔石だ。まずそれをシリウスに渡し、その魔石の魔素を他の魔道具へと分配してもらった。多少魔道具に延命措置が施された所で、アーシェは本格的に紋様の書付を始めた。この空になった魔石が、今回の作戦の鍵になる。トレルに対する守りは、ガントスに担ってもらった。身動きが出来なくなったガントスはネルと共に監視役として岩壁の上へと避難してもらい、シリウスにはアーシェの書いた術式が問題無いか、上から見てもらう事となった。無秩序に広がる術式ではあったが、今のところシリウスから指摘は無い。これだけ大きな機構を描くとなると、全体のバランスが把握しづらい。上空からの眼に感謝しつつ、アーシェはひたすらに術式を書き付けて行った。
「おいっ!来たぞ!!!」
『――――――――――――――ピィィィッ』
ガントスの誰何と微かに耳に響く音とは、ほぼ同時に聞こえた。
瞬間的に怖気が走る。
(あと…!!後少しなのに…っ!!)
アーシェはその耳で巨鳥の雄たけびを捉えても、ひたすら術式を書き続けた。後少しで、この術式は完成する。逆に言えば、これが成功しなければ一縷の希望すら絶たれるのだ。折角皆が自分を信じてこの作戦に乗ってくれたのだ。失敗するわけにはいかなかった。
「アーシェ!!撤退の合図だ!!」
「駄目!!後…ッ後少しなんだ…!」
「お、おい?!」
一向に逃げる気配の無いアーシェに、肝を冷やしたのはジークだけではなかった。ここは巨鳥の通り道。逃げなければ二人は丸焦げにされてしまう。
「あいつ…!聞こえてるはずだってのに…っ!!」
「ガントス、奴を足止めするぞぇ!」
「ネル殿?!」
そう言うとネルはだっと渓谷の奥に向かって走り出した。紅の衣装がさっと翻るのを目の端に捕らえると、その後をガントスが続いた。
「シリウスっ!ここは任せた!!」
大人一人を背負っているとは思えない身軽さで、ガントスはすぐさまネルを追い越した。そして巨鳥を捉えられる所まで一気に駆け抜けると、渾身の咆哮を放った。
『止まりやがれぇぇぇっ!!!!』
歴戦の戦士でもあるガントスの咆哮は、音の波となって渓谷を震わせた。巨鳥は一向に止まる気配を見せないが、しかし脆い岩壁は今の咆哮で亀裂が入った。ネルは一際大きな岩が嵌っている亀裂に定めると、そこに向かって走り出した。
「ガントス!あの岩を砕くぞえ!」
「おお!」
ネルが走りながら、胸の袂から赤銅色をした粉が入った小瓶を引っ張り出した。まだ距離はあるものの、それを亀裂向かって放り投げる。そして左手に持っていた大ぶりの扇子を構えると、ぶぅん!とうねりを上げて一線した。
すると突如突風が巻き起こり、小瓶を亀裂まで弾き飛ばす。狙いたがわず小瓶が亀裂に叩き付けられると、爆音と共に亀裂が炎に包まれた。
しかし岩は少し傾いだだけで、崩落するにはまだもうひと押し足りない。ガントスは舌打ちすると、亀裂に向かって走り出した。一気に亀裂にまで肉薄する。しかし巨鳥は既にもう目と鼻の先だ。ガントスは腰から鉄の棒を抜き取ると、亀裂のある地面に向けて思い切り突き刺した。
「落ちやがれぇぇぇぇぇっ!!!」
ガントスの一突きにより、巨大な岩がぐらりと傾く。そしてゆっくりと緩慢な動作で、巨石は崩落した。
『クェェェェェェェェェェェェェ!?!!』
突如行く手を阻んだ巨石の崩落に、巨鳥も流石に動きを止めた。崩落には巻き込まれず無傷ではあったが、そんな事は巨鳥にとっては関係ない。自分の行動の邪魔をする原因を作ったのが、岩壁の上に居る見知らぬ生き物であると言う事は直ぐに理解した。巨鳥はその溶岩をとろりと溶かしたかの様な目を怒りに染めて、きっとガントスを睨みつけた。
『キュエェェッェェェェェェェェェ!!』
びりびりとこのガラス石全体を震わせる雄たけびに、奥歯を噛みしめて懸命に耐えた。四肢を踏ん張って耐えたものの、全身ぶわっと嫌な汗が噴き出す。ぎょろりと向けられた視線に冷や汗を流しながら、一気にガントスは渓谷の奥へと走り出した。
「ここじゃ近すぎる!ネル!飛ばしてくれ!」
巨鳥がその燃え盛る嘴でガントスを狙い撃つのと同時に、ネルの風がガントスを文字通り『吹き飛ばした』。ゴォッと唸りを上げた突風にガントスは押し出され、更に渓谷の奥へと運ばれる。そして振り向きざま空中で息を大きく吸うと、巨鳥向かって再度咆哮を叩き付けた。
『ゴォォォォォォォアォォァァァァァァァッ!!!』
これだけの存在に対して、左程の効果は認められないものの、しかしこれで巨鳥の興味は完全にガントスへと向けられた。
(…よしっ!後はアーシェが旨くやってくれるまで、持ちこたえれば…!!)
振り返った巨鳥の嘴を紙一重で交わしつつ、ガントスは巨鳥を攪乱させるため跳躍した。
おかしい。まさかのガントスさんの活躍。
魔術と魔道具の違いは、人間の自然な動作をプログラムする様なイメージです。
例えば『握手する』という動作は、『右手を左斜め前方11時の方向に秒速10cmの速さで突き出し…』となるわけです。
…そりゃあ、ぶっつけ本番は嫌だろうなぁ(苦笑)




