捜索
「うお?!」
「これは…」
台座の転送球に触れて鏡面世界へと足を踏み入れると、ジーク達の目に飛び込んできたのは静まり返った漆黒だった。星空と見紛う光景はどこかへと消え去り、世界はただひたすら闇と静寂が覆っている。それどころかアーシェが眼を凝らして辺りを見てみると、信じられないことに魔素の流れがどこにも見受けられなかった。
「魔素が無いですって?」
「うん。これじゃまるで、普通の迷宮みたいだ。光りの道も、どこにも無い…」
上下左右、どこを見ても無音の闇が広がるばかり。どこまでも続く闇に飲み込まれるかの様な錯覚を覚え、アーシェは小さく身震いした。
「取りあえず、台座に縄は固定した。アンネリーの魔道具に頼る必要は無さそうだが、それでも近くには居てくれ。いつ何が起こるか分からない」
シリウスとアーシェはこくりと頷いた。迷宮内において、警戒しすぎると言う事はあり得ない。この様にいつもと違う状況であれば、なおさらだ。
「取りあえずどの方向に向かいましょう?」
「そうだな。アーシェ、何か見えるか?」
「ちょっと待って…」
辺りをぐるりと見回しても、延々と続く闇しか見えない。しかしその中で、一か所だけ違和感を覚えるところがあった。
「ねぇ、あそこ。あそこだけ少し明るくない?」
「明るい?」
アーシェが指さした方向を、ジークとシリウスが目を凝らす。しかし特段他の場所との違いが分からなかった。
「…行ってみましょう。手がかりは何も無い。怪しいところを片っ端からあたるしか無いでしょう」
「それもそうだな」
アーシェたちは縄をそれぞれ掴むと、勢いよく台座を蹴りだし漆黒の闇へと身を投じた。光りの道が無い分、思った方向に真っすぐ行ける。しかし果てのない闇に吸い込まれていくかの様で、アーシェの手は知らず知らず握りしめられていた。
「…あ!あれ!!」
「――成程、アーシェの見たのはあれですね」
アーシェたちが進む方向に、段々と赤い光が見えてきた。遠目からではよくわからなかったのは、その光が時折明滅を繰り返すからだ。目標が定まれば後は早い。しかしそこで、アーシェの『眼』は違和感を捉えた。
「…あの光…ただの光じゃないっ!!炎の魔素だ!しかも、特大の!!」
「なんだって?!」
迷宮ではありえない炎の魔素。それがこの先には存在していると言う。そして近づくにつれ、その全容がアーシェ達の目の前に現れた。
「これは…素晴らしい…」
思わずシリウスが感嘆の声を上げる。それ程光の正体は美しかった。
それは、大人の背丈程もある大きな赤いガラス石だった。しかしそれがただのガラス石である事を否定するかのように、内部には燃え盛る炎が所狭しと溢れかえっている。あたかも生物の様に身をくねらす炎の本流は、しかししっかりとガラス石の内部に留め置かれていて溢れ出る気配は見えない。しかしそれも時間の問題と思えるほど、猛々しくその表情を変えていた。
「アーシェ、シリウス!見てみろ!」
「…あ!石が…!」
その神秘的な光景に目を奪われていると、どこからか光る小石が赤いガラス石に引き寄せられてきた。そしてそのまま飲み込まれ、跡形もなく消え去った。あれ程までに溢れていた光る小石が見当たらなくなったのは、どうもすべてこの赤いガラス石に吸い込まれてしまったようだ。赤いガラス石は光る小石を取り込むことで、更にその明るさを増したかの様だった。
「まさか、親父たちもこれに吸い込まれたのか…?」
そのぞっとする仮説に、アーシェは身震いした。あの燃えたぎる炎の中に取り込まれてしまえば、ひとたまりもないだろう。最悪の想像にぎゅっと体を縮こませていると、アーシェの目は赤いガラス石の中身が、燃え滾る炎だけではない事を捉えた。
「…ねぇ。これ、中に島が見えない…?」
「何ですって?」
アーシェの指さした先――赤いガラス石の中は、よく目を凝らしてみると火山のような大地が見えた。それは初めてアーシェが鏡面世界に迷い込んだ時に見つけた、水が溢れる美しい島と滝の様な光景だった。しかし目の前にあるのは燃え盛る炎が覆う、過酷な世界。そして中には火山のような不毛な大地が、炎の海に浮かんでいる様だったのだ。
「くそっ!よく見えねぇ…!」
しかし荒れ狂う炎に邪魔をされ、中の細かい情景など見えやしない。もっと良く見ようとジークが身を乗り出した時、くんっと体が前に引き寄せられた。
「う、うわぁぁぁぁぁ?!」
「ジ、ジークっ!!?」
一瞬にしてジークがガラス石に引き寄せられる。伸ばしたその手もむなしく、ジークはどんどんその姿を小さくすると、一気にガラス石に飲み込まれてしまった。
「ジーーーーークッ!!」
叫んだ声に、答える者はいない。
「アーシェっ!危険です!下がりな…?!」
「で、でも…っ?!うわぁぁぁぁぁっ!!」
突然、何かに掴まれたかのように体が前に引っ張られた。体制を立て直す間もなく命綱から引きはがされ、あっという間に赤いガラス石へと吸い込まれる。どんどんと小さくなっていく己の体と、眼前に広がる炎の海。迫りくる業火に悲鳴すら凍り付くと、しかし寸での所でシリウスの魔術が発動した。
『風の纏っ!!』
「!!!」
ふわり、とアーシェの体を優しい風がやんわりと包む。しかし落下と吸い込まれる勢いはさほど変わらず、アーシェはそのまま炎の海へと落下していった。
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「いてててて…」
アーシェは擦りむいた体をゆっくりと起こすと、全身に走る痛みに顔をしかめた。とっさの所でシリウスがかけてくれた魔法のお陰で、アーシェは炎に焼かれることもなく無事に赤いガラス石の中にたどり着けたようだ。着地する際多少乱暴ではあったが、それでもあの勢いを考えると大した事ではない。しかしほっとしたのもつかの間、当たりを見回してアーシェは呆然とした。
「ここ…なんだ…?」
アーシェの目の前に広がっていたのは、一面荒涼とした大地だった。ごつごつした岩肌が辺り一面に広がっており、むき出しの茶色には所々すすけた痕が見える。炎が間欠泉の様に噴き出すところもあり、まさに地獄のような光景だった。空は燃え盛る炎でおおわれているため、明るさはあっても時折吹く熱風で生きた心地がしない。その上アーシェの眼には、ひしめき合うほどの高濃度の炎の魔素が見て取れた。正にここは、人の世界では無かった。
「ジ、ジーク…っシリウス…っ!!」
込み上げる恐怖は、頼りになる二人の仲間の名前にとって替わられた。おどおどと辺りを見回してみると、少し離れた所にシリウスの濃紺のローブが目に入った。
「――!!シリウス!!」
思わず声を上げて駆け寄るアーシェ。しかしシリウスはか細くうめき声をあげるだけで、微動だにしなかった。
「シリウス!!どうしたの?!」
見れば顔色は蒼白になり、冷や汗が滲んでいる。慌てて何事かと『視』てみると、アーシェは息を呑んだ。
「シ、シリウスっ!師匠の魔道具は?!」
視てみれば、シリウスは無防備にも濃厚な魔素溜まりに晒されていた。アーシェが側に寄ったことで少しは楽になったようではあるが、依然息は荒い。どうやら落ちてきた衝撃で魔道具が吹き飛ばされてしまったようだ。
「魔道具…!魔道具…!!」
急いで首を巡らせば、アーシェの目は運良く岩肌に引っかかっているシリウスの魔道具を見つけた。アーシェはすくっと立ち上がると自身の魔道具をシリウスの傍らに預け、覚悟を決めるとシリウスの魔道具目がけて一目散に走りだした。
「…うっ!!」
濃厚な魔素溜まりの中を抜けるのは、想像以上に厄介であった。粘つき重たい空気の塊が、アーシェを押しとどめようと四方から押し寄せてくる。決して己を見失わないよう『境界』を強く念じながら、不可視の重力に逆らいアーシェは精一杯駆けた。そしてやっとの思いでシリウスの魔道具に手を伸ばした時、今までの重圧が嘘のようにすっと消えたのだ。
「ま、間に合った…」
ぜぇぜぇと肩で息をして、シリウスの魔道具を手に取る。見た所、魔道具は一見問題は無さそうだった。不調の様子が見えない事にほっと一息つくと、アーシェはシリウスの元へと駆け戻った。
「シリウス、大丈夫?」
「…アーシェ…。すみま…せん、たすかり…まし…た…」
意識が戻ったのか、シリウスは薄っすらと目を開けると、とぎれとぎれにアーシェに礼を言った。しかし依然、その顔色は悪い。短時間であったとしても、不意打ちの様に魔素溜まりに放り込まれたのだ。中位の魔術師といえども、無傷というわけには到底いかないだろう。
「シリウスの魔術のお陰で、俺は大丈夫だよ。怪我一つなく、炎の空を超えられた」
シリウスの魔術があったのにも関わらず、アーシェの衣服は所々焦げている。それはつまり、あの時の咄嗟のシリウスの判断が無ければ、自分は黒焦げの消し炭になっていたと言う事だ。アーシェは改めてシリウスの技量の高さと判断力に感謝すると、何とか起き上がろうとするシリウスに手を貸した。
「…ここ…は…あの、ガラス石の…中…?」
呆然と辺りを見回すシリウスに、アーシェの表情にも影が差した。目に映る景色は、とてもこの世の物とは思えなかったのだ。
「――とにかく、ジークを探そう。もしかしたら、ガントスさん達も居るかもしれない」
「…そうですね…っ…!」
「シリウス?!どっか怪我したの?!」
急に顔をしかめて杖にもたれるシリウスに、アーシェは咄嗟に手を伸ばした。薄っすらと汗が流れる顔はいつも以上に蒼白で、アーシェを狼狽えさせるには十分だった。
「だい…じょうぶ、です…。少々、魔素酔いが…」
シリウスは大きく息を吐くと、額の汗を拭って自身の杖を握りしめた。その顔は依然青白いが、体内の魔素の流れを整えようと、たどたどしくも練り始めた。自分で魔素を練れるのであれば、取りあえず大事は無い。アーシェはほっと一息つくと、辺りを見回した。
幸いにも辺りに魔物の気配は無いが、その代わり燃え盛る炎が、絶えずその猛威を振るっている。しかも魔素の濃度は異常に高く、アンネリーが持たせてくれた試作機では、大した時間は稼げない。アーシェは何とかしてジークを見つけて脱出する方策を練らなければと、知らず息を呑みこんだ。




