新しい生活
多少の紆余曲折はあったものの、アーシェの二重生活はほぼ滞りなく始まった。最初の数日、アーシェたちはナルバの街を文字通り駆け回った。本格的に迷宮に滞在するとすれば、色々と必要なものは多い。その上、冒険者ギルドや教会とのやり取りや、今後の方針を決めるなど、やることは山積みだった。
ギルドはアーシェとエマの救出劇と合わせて、大々的に宮殿区画の発表を行った。それと同時に、研究者の募集も行う。迷宮内での唯一の安全な区画と言う触れ込みは思った通り効果が絶大で、教会は正面から喧嘩を売られた格好となった。しかし今回の不祥事と合わせると黙らざるを得ない。ギルドは図らずも、宮殿区画発表と研究者獲得の好機を得たことになったのだ。
またギルドは、宮殿区画を迷宮に潜る全ての者に『開放』すると宣言した。今まで秘匿されていた宮殿区画までの道筋をつまびらかにし、実力さえあれば誰であれ迷宮内唯一の安息の地にたどり着けるよう計らったのだ。ギルド長のヴィルは抜け目がない。迷宮は誰の物でも無いと、内外に知らしめたのだ。
しかし幾つかの誤算もあった。集まった研究者たちを宮殿区画へと連れて行こうにも、どうやっても『門』は迷宮を抜けなければ到達させてはくれなかった。それはパーティの中に一度宮殿区画に到達できたものが居ても同じで、むしろアーシェやエマが例外中の例外であったことが証明される格好となった。
これにより、ギルドの宮殿区画調査はまたもや暗礁に乗り上げる。そもそも普通に宮殿区画まで到達するにも難易度が高いのに、その道中戦闘には素人の研究者を守りながらと言うのは至難の業だ。中々その任を任されてくれる冒険者達も少なく、結果思いがけずアンネリーは迷宮内の研究を、一手に引き受けることになった。
「いやぁでもガントスさん達がアンネリーさんの護衛を断ったのは、正直驚いたわ~~」
今アーシェは、エマを訪ねて『ヤマネコ亭』まで足を運んでいる。折しも時間はお昼時を過ぎた所で、客もまばらな時間帯だ。アーシェたちは遅めの昼食を取ろうと顔を出した所、エマが店番に立っていたのだ。
「うん、俺も最初断られたとき、びっくりした」
炒り卵をつつきながら、アーシェも苦笑いを返した。エマはお盆を抱きかかえながら、アーシェたち以上にくつろいだ風だ。店番は良いのかと思いつつも、アーシェは久しぶりの再会と言う事で、大目に見てもらう事にした。
「まぁそれでも何だかんだ言って、アンネリーさんの依頼を率先して受けてくれるけどね。今日も朝から私たちの代わりに、探索に出てくれたもの」
「ガントス殿は自由な獣人族だ。元々無期限の護衛など、性に合わないんだ」
「ふーーん、そう言うものなのかしらねぇ」
今日のアーシェの護衛はデュークとリーザだ。アンネリーの頼まれごとをこなしつつ、それぞれも街での用事を済ませた所だ。リーザは縄や魔物の足止め用のトラップを補充し、デュークは新調したというハルバードを取りに鍛冶屋街へ。アーシェもあまり馴染のないその区画は、いたく彼女の好奇心を刺激した。
「でもギルドも大変ねぇ~。やっと宮殿区画の発表ができたっていうのに、人が集まらないなんてついてないわ。それに聞いたわよ~。うちに来てる皆が言うに、結構宮殿区画までたどり着くのも大変みたいね」
「そうね、ギルド長が地図を公開してくれたとはいえ、そう簡単な道でないのは事実。でも最近は、ちょこちょこっと増えて来たのよ」
リーザが木の実の練りこまれたパンをちぎりながら、口をはさんだ。
「ああ、ここ最近は、今まで見ない顔ぶれも見かけるようになった」
デュークの言う通り、最近の宮殿区画はにぎやかになってきた。初期のころは本当にガントス達くらいしか見かけなかったのが、徐々に新顔が増えてきている。予めアンネリー用の研究室を確保しておいたのは、やはり正解だった。しかし、人が増えればもめ事も増える。今日ギルドへと寄った理由は、宮殿区画の使い方についての取り決めを行うためだった。
「…まぁそうは言っても、当分は静かだと思うわ。だって、うま味が無いもの。これが更に新しい階層が見つかれば話は別だけど、それまでは物見遊山が大半でしょうね」
「うま味?」
エマが不思議そうに聞き返した。するとリーザはにこりと笑って逆に問いかけた。
「迷宮に潜る冒険者の目的って、なんだと思う?」
「えっと…そりゃぁ、お金とか名声とか…」
「その通り。それが一般的ね。であれば、簡単にお金が稼げて簡単に名声を手に入れる方法を、普通は考えるでしょう?」
「そりゃそうよ。皆命を懸けている。一番安全で、効率の良い方法を考えるわ!」
思わず返す言葉に力が入る。冒険者相手の宿屋の娘なだけに、エマは冒険者に対して思い入れが強い。懇意にしている彼らが、ある日突然帰らぬ人になるのなど、迷宮が現れてからは良くある話だ。朝笑顔で出て行った彼らの部屋を片付けるのは、いつだって辛い。
「――そう。だから宮殿区画は、うま味が少ないの」
リーザはゆっくりと噛みしめるように、エマに伝えた。
「名声を得るためなら、一度宮殿区画に到達さえできれば、冒険者としての箔はつくわ。そしてお金だけど、宮殿区画の近辺の魔物たちは、確かに強くて取れる素材も魅力。だけど、それだけリスクが高いのよ。であれば――」
「…弱い魔物を沢山狩った方が、安全で実入りが良い…」
はっとしたエマに、リーザは優しく微笑んだ。
「そうだ。だから、宮殿区画がどれだけ騒がれても、当分は問題ない。まっとうな冒険者であれば、すぐにその利用価値の低さに気づく」
「…まぁだから、冒険者ギルドは師匠に早く研究しろって圧力掛けて来るんだけど…」
はぁ、とアーシェはため息をついた。ギルドに足を運ぶたび、宮殿区画調査の進捗を聞かれる。まだ然したる成果がある訳でもない以上、アーシェたちとしては何も伝えられるものが無い。今日も不可視の圧力をかけられ、疲労困憊と言った所だ。
「そうそう、それよそれ!アンネリーさんの研究はどうなの?!何か新しい発見は?!」
俄然目をキラキラと輝かせて来るエマに、アーシェは思わずたじたじとなってしまった。エマの勢いは、いつも唐突だ。
「いや、ちょっとエマ、落ち着いて…!まだ成果と言えるだけのものは、ほとんど無いから…!」
「そんな事無いでしょ?!ほら、あの不思議な台座の部屋とか、どうなの?!」
今にも掴みかからんばかりのエマを何とか宥めると、アーシェは伝えられることを吟味しながら、エマに説明した。
「台座の間もそうだけど、宮殿区画内の調査も並行して行っているよ。いかんせん調査するものが多すぎて、今はまだ調査のとっかかりを探している感じなんだ」
「他の研究者達と分担できれば良いのだけど、今の状態だとそれも難しいのよね」
リーザもすかさず助け舟を出す。事実、まだ伝えられることはほとんどないのだ。
「後は宮殿区画周辺の迷宮も、少し探索したりしてる。師匠、ジーク達を待たないで勝手に一人で突っ走っちゃうから、いっつも冷や冷やさせられるんだ」
アーシェのため息に、リーザ達も苦笑を漏らす。アンネリーは良く独断専行をする。その癖は迷宮内でもいかんなく発揮され、アーシェたちが青くなったのは一度や二度ではない。
「そういえばデュークは師匠と昔会ったことがあるんだよね?昔っからあんな感じ?」
ふとアーシェはデュークを見上げた。バタバタしていて詳しい事を聞いていなかったが、デュークは昔、アンネリーの護衛をしていた時期があったようだ。アンネリーも特にその事には触れないが、デュークの事を信頼している様子は、アーシェの目にも明らかだった。
「――そうだな。確かにあいつは、昔っから向こう見ずな所があったな」
デュークは懐かしむように目を細めると、今とあまり変わらないと笑った。
「そういえば、二人はいつ出会ったんだ?ジークの口ぶりでは、結構昔の様な事を言ってたけど…」
「はは。まぁあいつの事はあいつ自身に聞くと言い。色々やらかしてたからな。今更聞かれるのが恥ずかしいんだろう」
「??ふーん、まぁよく分かんないけど…」
「ま、若気の至りってやつだ。あまり深く触れてやるな」
「???」
どうにもはぐらかされた気がするのだが、アーシェもそれ以上は追求せずに、今度アンネリーに聞いてみようと決めた。




