それぞれの答え
ナルバの街に太陽が差し込む少し前に、ジークとアーシェは戸締りをして魔道具屋を後にした。結局、シリウスとリーザは帰ってこなかった。本当は二人を待ちたい気持ちもあったのだが、かといって人が動き出す時刻前には、迷宮に入ってしまいたい。恐らく、昨日の今日で大分噂になっているはずだ。取りあえず今は、余計な注目を浴びずに迷宮へと潜りたかった。
ジークは簡単に書置きを残し、アーシェを伴って人気の無い坂を上がって行った。ナルバは始源の祭壇のある丘のふもとにある為、全体的に緩やかな斜面になっている。まだ暗い目抜き通りには人の気配は無く、ただパンを焼くいい香りだけがどこからともなく漂ってきていた。
特に交わす言葉も無く、ジークとアーシェは足早に始源の祭壇へと続く階段を登って行った。流石にまだ薄暗さの残る時間帯の為、彼ら以外にその道を通るものは居ない。昨日のうちに、ギルドを通してアンネリー達にはこの時刻に向かう旨は連絡済だ。そうして登り切った丘の上に、見知った二人が佇んでいた。
「てめぇら、ここに居るなら荷物の一つくらい、手伝いやがれ」
ジークが軽口を叩くと、リーザがふわりと笑った。しかしその隣のシリウスの顔は、依然、険しい。アーシェは緊張に喉がカラカラと乾いていくのを感じながら、不安げに見上げた。
「――アーシェ。私はやはり、貴方をアンネリー殿の傍に置く事には、未だ反対です」
先に口火を切ったのはシリウスだった。しかしその声は、昨日のそれよりかは随分と穏やかで、いつもの柔らかさが多少なりとも戻っていた。
「彼女を護衛するに当たり、不確定要素は少ないに越したことはない。でなければ、とっさの事態に対応できなくなるからです」
『門』の脇には見張りの騎士が控えている。シリウスの声は小さい物ではあったが、言葉を選びながら話していた。
「ただ、それは私の判断する物でも無いのでしょう。私は貴方の進退を、アンネリー殿に託します。もしも彼女が私と同じ判断をしたのなら、貴方は大人しく引き下がる事はできますか?」
「!!」
それがシリウスの、最大限の譲歩だったのだろうと、アーシェは悟った。そしてその変化がとても嬉しくて、アーシェはコクコクと力いっぱい頷いた。元よりギルドの契約書を渡す時、アンネリーにも真実を告げるつもりだ。もしそれで彼女が自分を受け入れられなければ、アーシェとしてもナルバを離れる他は無い。少なくともそれに賭ける事に同意してくれた事が嬉しくて、アーシェは滲みそうになる視界を振り払い、小さくありがとう、と呟いた。
「さぁ、行きましょう!アンネリーさんもデュークも、きっと待ちくたびれているわ!」
いつもの明るさでリーザが手を叩き、二人を『門』へといざなった。心に宮殿区画を思い描きながら、ゆっくりと『門』を潜る。すると真夏の明るい日差しが目の前に現れ、アーシェは確かに宮殿区画の広場に佇んでいた。
「…本当に、また来れた…」
ガントス達が証明していたとはいえ、実際に自分でやってみるのでは訳が違う。きちんと潜れたことに安堵していると、奥からアンネリーがデュークを伴って現れた。
「ようやっと来たか。随分と遅かったな」
変わらない不遜な態度で、アンネリーはアーシェ達を睨んだ。
「すまない。ちょっと色々あってな。予定より、随分と遅くなっちまった。その代り、幾つか荷物を見繕って来たぜ」
ジークが朗らかに返すと、鞄の一つをデュークに渡した。アーシェの分も引き取りながら、デュークは左手の回廊を指差した。
「立ち話も何だ。急ごしらえだが奥に部屋を用意した」
「お。流石だな」
「そうは言っても別の部屋にあった使えそうな家具を、取りあえず一つ所に集めただけだ。本格的にここに滞在するならば、まだまだ色々入用だ」
デュークに続いてアンネリーもさっと踵を返してしまう。ほんの半日しか経っていないのにも関わらず、既にアンネリーとデュークは、勝手知ったる我が家と言った風情だ。
二人の後をついていくと、回廊の一番奥の角部屋へと通された。他の部屋から持ってきたのであろう、数脚の椅子と机。他にも少ないながらも二人の荷物などが置いてあり、無機質であった部屋に居心地の良さが漂っている。内心その変貌ぶりに驚いていると、アンネリーがジーク達へ席を勧めた。
「まずは契約書の確認からで、良いか?」
自身も椅子に腰かけると、ゆっくりとアーシェを促す。アーシェは一先ずシュゼットから託された封書を手渡すと、じっとアンネリーが読み進めるのを辛抱強く待った。
「――成程。破格の対応と言う事だな。迷宮内外での護衛と、論文発表時の著作権。ギルドに所属している冒険者が持ち帰ったものに関する優先調査権と、多少の給金。正直、普通に考えるなら裏を疑うべきだな」
ふぅ、とため息をつくとアンネリーは書類を机の上に放った。
「――ギルドも大分焦っている。ここでこの区画を手放したら、完全に迷宮の主導権は教会に移るからな」
後ろに控えていたデュークが、補足する。それに対して難しそうにアンネリーは一声唸ると、やれやれとばかりに頭を振った。
「まぁ、今更断る理由も無い。これだけ破格の条件を付けてくれたんだ。素直に礼を言おう。―――――で?」
椅子の背もたれにゆったりと腰かけながら、しかしアンネリーの目は笑っていなかった。無防備なようでいて、全く隙が見えない。ぴりりと引き締まる部屋の空気に、アーシェは我知らず唾を飲み込んだ。
「たった半日の間に一体何があった?なんだ、この空気は?」
じろり、と辺りをねめつけるアンネリーの眼光は、アーシェでも思わず竦むものがあった。しかしここで挫けては居られない。アーシェは背筋を伸ばすと真っすぐにアンネリーに向かい合った。
「…師匠、聞いて欲しい事があるんだ」
アンネリーが少々意外そうに眉を上げた。しかし特に遮ることなく、先を促す。アーシェはゆっくりと息を吸うと、自身の事をアンネリーに語った。
自分の体が十二の頃から成長しないこと。
それ故、魔物と疑われ故郷の村を追われたこと。
自分が魔物ではないと証明できないこと。
――それでもここで、魔道具の勉強を続けたいこと。
シリウスがアーシェの同行を強く否定した件については、アーシェは語らなかった。ただ、今まで黙っていたことについての謝罪と、アンネリーの気持ちを聞いた。もしアンネリーがアーシェの事を気味が悪いと思えば、自分は彼女を騙していた事になる。詰られても仕方がない。知らず知らずの内に、アーシェは手が真っ白になるほど握りしめていた。
「ふむ。成程、そういう事か」
「…師匠が、もし、嫌だと言うなら…俺はここを出て行きます」
努めて冷静にしていたつもりだったが、声のかすれを抑えることは出来なかった。アーシェはじっとりと背中が汗ばむのを感じながら、しかし返ってきた言葉は至って淡泊だった。
「別に私は、お前が魔物だろうが何だろうが構わんよ。お前が居たいなら、居れば良い」
「…!!」
「なっ…!アンネリー殿?!」
特に悩んだ素振りも無いアンネリーに、思わず声を上げたのはシリウスだった。しかしアンネリーは変わらず悠然としていた。
「高位の魔なんてものは、既に人間の理解の範疇を超えている。私達でどうこう出来るもんでも無い。ならジタバタしたってしょうがないだろう」
「しかし…!」
「成程。話が見えてきたぞ」
言い募るシリウスに、アンネリーはにんまりと笑った。
「大方、アーシェの異質に気が付いたお前たちが、アーシェを私のそばに置くことを嫌がったのだろう。…まぁ護衛としては妥当な判断だ」
「……」
「だがな、その心配なら無用だ。流石に話の全容は知らなかったが、アーシェが普通とは少し違う事くらい、お見通しだ」
「…え?!し、師匠?!」
思わず顔を上げたアーシェに、アンネリーは困ったように笑った。
「お前…一体どれだけ一緒に居ると思ってるんだ?少し話せば、お前の魔導に関する知識が、普通では無い事くらい簡単にわかる。それどころか、古い知識に関しては異常なほどだ。それにその眼。それは精霊使いでなければ、持ちえない能力だろう」
アーシェは思わず、息を飲んだ。
「察するに…お前は精霊使いの里の出身で、魔素は見えるが魔力は練れない半端者。何とか魔術が使えるよう里にある書物を片っ端から読んでいったが、一向に魔術が使える気配すらない。それどころか体の成長も止まり里に居れなくなって、出てこざるを得なかった、と言った所か?」
アーシェは開いた口が閉まらなかった。ジークには勢いで語ってしまったが、シリウス達にすら故郷の事は話していない。それを言い当てたアンネリーに、アーシェはただただうめき声をあげるしかなかった。
「…し、師匠…」
驚き固まるアーシェに、アンネリーは苦笑した。
「なんだ、図星か?もっと他にも突拍子も無い事も考えていたのだがな。…まぁお前がどこの出だろうが何者だろうが構わんよ。居たければ居ればいい。その方が、私も助かる」
「…し、師匠っ!あ、ありがとう!俺っ…頑張るから…っ!」
アンネリーの言葉に、堰を切ったかの様に次から次へと涙が溢れだしてきた。受け入れてもらえたことの嬉しさに、視界が滲む。アーシェはごしごしと目をこすりながら、精一杯の泣き笑いをした。




