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願いとその代償

「――っアーシェちゃん!!」


ゆっくりと、いつも以上に重く感じられた馴染のある扉を開けると、部屋の奥から見知った顔が飛び出してきた。


「――っ!!」


息が詰まるほど強く抱きしめられ、アーシェは嬉しさに胸が詰まった。あれ程優しかったリーザが、自分を拒絶するのは辛い。それすらも覚悟していたアーシェにとって、しかし変わらず自分を慮ってくれるリーザの優しさが、涙が出る程嬉しかった。


弱弱しく背中に手を回すと、囁くほどの小さな声で、ただいま、と呟いた。


「――ジーク。話はついた、という事でしょうか」


ゆらり、と現れたシリウスは、心なしか冷気を纏っているかのようだった。ぐっとアーシェを抱く手に更に力をこめるあたり、リーザとシリウスも和解には至っていないようだ。しかしアーシェは軽くリーザを叩くと、腕を緩めるようお願いした。これは自分自身の問題。アーシェは心配するリーザに微笑むと、一歩前へと踏み出した。


(――ジークは、戦えって、言った…)


帰る道すがら、アーシェの頭の中では先ほどのジークの言葉が反芻されていた。正直、ふざけるな、と思った。ジークに何が分かるのか、と。しかし、自分が今まで逃げ続けてきたのも事実。だからこそ、自分の居場所を勝ち取れと言うジークの言葉が、ざっくりとアーシェの心を抉ったのだ。


(確かに、俺は今まで逃げてきた…。それは逃げるしか無かったから…。でも、今は違う。リーザは、変わらず俺の事を受け入れてくれた。師匠にも、まだ何も話せてない。俺は…俺はまだここに居たい…!)


心に意思を宿し、ぎゅっとアーシェは拳を握った。シリウスと対峙する事が、怖くない訳は無い。本の数刻前、自身に向けて束縛の術式を本気で向けてきた相手だ。しかし、こればかりは自分で相対しない訳には行かない。アーシェは萎えそうな心を叱咤し、しっかりと顔を見上げてシリウスと対峙した。


「シリウス――。俺は、知っての通り元々ナルバに住んでいたわけじゃない。二年位前にナルバに流れ着いて、師匠に拾ってもらった、流れ者なんだ」


アーシェは一息つくとシリウスを見上げた。シリウスからの返答は無く、その視線は依然険しいまま。しかし、アーシェはぐっと自分を奮い立たせると、昂然と顔を上げた。


「俺が放浪していたのは…俺が故郷の村を追われたからだ。理由は、魔導師の里であったのにも関わらず魔術が一切使えなかった事と――俺の体が十二歳位から全く成長しなかったからだ」


近くで、リーザがはっと息を飲む声が聞こえた。流石のシリウスもぴくりと表情を動かした。


「俺は村を追い出されるまでの十四年間、ずっと魔術の勉強をしてきたんだ。どうしても、村の皆の様に魔術が使いたくって…。俺が、見た目の年齢に似つかわしくない知識を持っているとするならば、そのせいだよ。村には沢山の古文書があったし、あの当時ですら、知識だけなら村の大人達にも負けないくらいだったから。――でも、どれ程知識を詰め込んでも一向に魔術は使えなかったし、俺の体の謎も解明できなかった」


アーシェは必死になって古文書を読み漁った頃を、暗澹たる気持ちで思い返した。


「村を追放される最後の一、二年は、殆ど隠れる様に生活していたんだ。でもそれにも限界があって…。魔物かもしれないと村の大人たちに殺されそうになった時、精霊達が守ってくれたんだ。だから俺は命までは取られなかったけど、十四の時に村を追われた」


今でも思い出すだけで足がすくむ。しかしアーシェは、じっとりと汗ばむ手のひらを握りしめると、しっかりとシリウスの目を見返した。


「村を追い出されて途方に暮れていた時、出会ったのが魔道具だったんだ。俺は嬉しかった。これなら、半端な俺でも、生きていける。魔術も、使えるかもしれないって」


魔道具の基本は魔術を扱えない、一般の人々にも魔導の恩恵を等しく与える事にある。それは正にアーシェの様な者にとって、一筋の光だった。


「それでも、こんな俺を受け入れてくれたのは師匠だけだったんだ。師匠だけが、俺とちゃんと向き合って、魔道具のなんたるかを教えてくれたんだ。だから俺は、師匠の所に居たい。まだまだ魔道具の勉強をして、一人前の魔道具師になりたいんだ!」


上手く説明できたとは思わない。でもこれがアーシェの本心だ。しかし響いてくれと必死の訴えもむなしく、シリウスから返ってきたのは冷気の様な声だった。


「―――言いたいことはそれだけですか」


幾度となく向けられた、覚えのある負の感情。アーシェはびくりと身を竦ませた。


「今の話が真実であると言う証拠は、どこにもありません。それどころか、貴方が魔物では無いと言う証明すらできていない。むしろ今の話が本当であるならば、貴方を王都の学院か教会に引き渡した方が良いとすら、思った次第です」


「シリウス、ちょっと…!」

「ジーク、見損ないました。まさか今の話、そのまま信じたと言うのですか?貴方の危機管理能力とはこの程度だったと?」


シリウスが鋭い眼光で睨みつけると、ジークはしかし困った様に笑うと頭を掻いた。


「それを言われると俺としても何とも片腹痛いんだが…。だが俺は、こいつが言っている事は真実だと思っている」

「――その心は?」

「嘘をつく理由が無いからさ。こいつが事実魔物であるなら、こんな荒唐無稽な話は作らない。もっと、もっともらしい嘘を並べて俺達を騙すだろうさ。それにな、俺はこいつがどうしても魔物には見えない」

「それこそ、そんなものはあなた個人の主観でしかない。そんなものの為に、私達全員の命を賭けるつもりですかっ」

「じゃあ逆に聞くが、シリウス、もしもアーシェが魔物だったら、何が問題なんだ?」

「…なっ?!」


ジークの意外な発言に、目を見開いたのはアーシェも同じだった。流石のシリウスも黙っている訳にはいかず、思わずと言った風に声を荒げた。


「貴方と言う人はっ…!ジーク!!もしも彼女が魔物であれば、人に擬態できる高位の魔物であると言う事です!彼らは残忍にして狡猾!もしも彼女が魔物であれば、私たちは…!」

「待てよ、シリウス。今まで俺達は何度、アーシェに助けられている?」

「…っ!!」


腕を組み、静かに話すジークだが、その言葉は重く響いた。


「もしもこいつが魔物だったなら、俺達は既にここには居ない。巨人の間での出来事がいい例だ。人知れず、騎士団の人間も含めて殺せる絶好の機会を、こいつはみすみす逃した事になる」

「…ですが、それこそ、他の目的があって…!」

「他の目的って何だ?疑い始めたらキリがない」


ジークはふぅ、と息を吐き出すと、ゆっくりとシリウスに近づいた。そしてシリウスの肩にポンと手を置くと、その瞳を覗き込んだ。


「お前何年冒険者をやっている?ソロの魔術師だったなら分かるはずだ。俺達の危険は何も魔物だけじゃない。仲間だと思った奴らから、命を狙われる事だって珍しくはない」


はっとした表情を浮かべ、シリウスは苦々しく眉を顰めた。恐らく何等か過去に心当たりがあるのだろう。そしてジークの言わんとしている事を察して、シリウスは更に顔を顰めた。


「正直に言えば、こいつが人間だろうが魔物だろうが、俺はどっちでもいい。だがこいつは、幾度となく俺達の命を救っている。それこそ、自分の身を危険に曝してまでだ。俺にはそれが、一番大事な事なんだ」

「…ぐっ!どこまで、おめでたいのですか、貴方は…っ」


ぎりり、と奥歯を噛みしめて睨みつけると、しかしジークは困った様に笑うだけだった。その全てが疎ましくて、シリウスは乱暴にジークの腕を払いのける。そしてジークを押しのけ、扉へと向かった。


「…どうにも分が悪いようですね。ここはひとつ、頭を冷やしてきます」

「シリウス――っ」

「――できれば冷えたら戻ってきてくれ。お前の抜ける穴はでかい」


ジークの問いかけには答えず、シリウスは静かに店を出て行った。その意味を理解して、アーシェは青ざめた。仲たがいをさせたかった訳では無いのだ。


「ま、待って、シリウス!――ジ、ジークっ!ご、ごめんなさい、ごめんなさい…っ!」


まさか自分の願いが、他人の居場所を奪う事になるとは、思いもしなかった。シリウスから拒絶されれば、去るのは自分だと思っていたからだ。アーシェは瞳一杯に涙を溜めると、ボロボロと泣きはじめた。


ジークはそんなアーシェの前に跪くと、ぽんぽんと頭を撫でた。


「泣くなアーシェ。伝えるべきは全て伝えた。後はあいつがどう判断するかだ。言っただろ?信じる信じないは俺達の自由だ。それをどうこうする事は、俺達にはできない」

「アーシェちゃん。シリウスには後で私からも話しておくから。ほらほら、涙を拭いて」


やんわりとリーザに抱きしめられると、アーシェは大きな声で泣きじゃくった。




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