アンネリーの選択
「ガントス殿には悪い事をしてしまいましたね。危険な役回りを、託してしまいました」
「ああ、借りが出来ちまった」
この『門』が始源の祭壇に繋がっているかどうかは、正に仮説でしかない。思いもしないような異界の地に飛ばされてしまう事だって、十分に考えられる。ガントスはその検証を、体を張って引き受けてくれたのだ。感謝してもしきれない。
シリウスとジークが頷き合うその横で、アンネリーは顎に手を当てて何事か思案していた。その表情はかなり険しい。いち早くそれに気が付いたシュゼットは、ポニーテールを揺らしながら、アンネリーを振り仰いだ。
「アンネリー殿?どうかされました?」
アンネリーの視線は、依然『門』に固定されている。しかし数秒の逡巡の後、ゆっくりとアンネリーが口を開いた。
「…シュゼット嬢。調査隊の件だが、まだ受ける事は可能だろうか?」
「え?!師匠、今なんて?!」
思わずアーシェが振り向くと、同じく驚いた顔をしたシュゼットが居た。アンネリーは険しげな目線を『門』からシュゼットへと向けると、真剣な面持ちで口を開いた。
「ただし条件がある。研究者枠の中に付き人として、うちの弟子を加えてもらいたい」
「――っ!!」
アーシェは思わず息を呑んだ。まさかここで自分の名前が出るとは思いもしなかったからだ。付き人として迷宮に潜れるのであれば、アンネリーの元で学び続けることが可能だ。更にこの新しい『門』が始源の祭壇と繋がっている事が確認できれば、街との行き来も容易になる。上手くすれば夢にまで見た迷宮の、不思議の一端に触れることが出来る事になる。事の成り行きを見守っていると、シュゼットがゆっくりとアンネリーを振り仰いだ。
「突然の心変わり。私達としては大変喜ばしい事ですが、理由を伺っても?」
「何の事は無い。ナルバとこことが容易に行き来出来るようになると言うのであれば、選択肢が随分と増える。私は拠点をこちらに移し、必要であれば街との連絡はアーシェにやらせる。それに実際に来てみて、研究者としての知識欲が刺激された事も大きい」
「なるほど。――もちろん、そのお申し出、大歓迎です。契約の詳細は後程ギルドにて再度詰めさせていただきますが、恐らくアーシェさんの件は問題ないでしょう」
「ああ、助かる。――後、私は当分こちらに居るつもりだ。契約書はこちらに持ってきてくれ」
「アンネリー殿?!」
「し、師匠?!」
目もむかんばかりとはこの事だ。アンネリーは街に戻らずこのまま残ると言う。しかし当の本人はどこ吹く風。しれっとアーシェに指示を出した。
「アーシェ。店に戻って必要最低限の研究道具をもって来い。細かいものについては、後でこちらから指示する」
「そ、そんなアンネリー殿!一度も街に戻らないだなんて…!ここだって、完全に安全と言う訳では…!」
「そうだよ師匠!無茶苦茶すぎる!」
流石にアンネリー一人を迷宮に残して行くわけには行かない。まだ分からない事も多数ある区画だ。最悪、このまま生き別れと言う事だって、状況如何によっては十分にありうる。
「――それなら俺が護衛としてここに残ろう」
「デュークさん?!」
「お、おいおい、ちょっと待て!」
思わぬデュークの参戦に、一同狼狽えた。
それは常に一歩退き、自ら多くを語ることの無いデュークらしからぬ提案だった。いつもの彼であれば、年長者としてアンネリーを諌める立場にある。にもかかわらず、その彼女に賛同の意を示した事はジーク達にとっても意外であり、またアンネリーとしても驚きに柳眉を上げた。
「何、ギルドとアンネリーの間で契約が交わされれば、専属の護衛が付く。それまでの事だ」
そう言って肩を竦めるデュークに、一同あっけに取られてしまった。デュークはパーティの前衛の要だ。もちろんジークが居るため一人抜けたところでパーティが機能不全に陥る事は無いが、それでも一人頭の負担は増える。デュークはそこを気にしてくれたようだが、一同そういう問題では無いと心中思った。
「…特段私は護衛など必要ないのだが?」
挑発するかのようにアンネリーがのたまう。するとデュークは軽く凄んで笑んだ。
「やめておけアンネリー。お前はまだこの迷宮を知らなすぎる。多少腕に覚えはあるみたいだが、往々にして死体すら残らないのが、ナルバの迷宮だ」
睨み合った末に先に目を逸らしたのはアンネリーだった。盛大に舌打ちすると、不機嫌な顔をしてそっぽを向いてしまった。
「ジーク!やっぱこの『門』はナルバに繋がってたぞ!!」
「おお!本当にあのオアシスだ!」
「アーシェ~?妾のアーシェはどこかぇ~?」
「ぎゃーっ!!ネル~~~!!!」
突然靄から抜け出してきたのは、ガントス、ネル、トレルのメンバーだった。アーシェの姿を見つけるや否や、ネルがアーシェを捕獲する。宣言通りガントスは仲間と合流できたらしい。しかしガントスは不穏な空気を即座に察知し、軽く目を見開いた。
「おいおいジーク。何だこれは。何があった?」
「いや…何と言うか…」
「アンネリーさんとデュークが、このままここに残るって言うのよ」
「な、なにぃ~?!」
「うわっ親父っ!そのデカい図体で耳元で叫ばないでくれっ」
顔の近くで吠えられ、ジークは思わず耳を抑える。
「はぁ~。流石姐さん。相変わらず突拍子も無いですねぇ~」
「トレル!感心してないで師匠止めて!」
「つってもなぁー。姐さん頑固なのはアーシェが一番知ってんだろ?姐さん、気に入らない客の依頼は、どんなに大金積まれたって絶対見ないしな~」
いつものへらへらとした軽薄な態度でのたまうと、トレルは緩い笑みを浮かべながら頭を掻いた。確かにトレルの言う通り、アンネリーは一度言い出したら聞かない所がある。トレルの最もな指摘に反論できないアーシェは、ぐぐぐ、と唸りを上げた。
「そう言う事だ。諦めろ」
「師匠~っ」
にべも無く言い切るアンネリーに、思わずアーシェは泣きたくなった。
「…ところでジーク。デュークの一日当たりの専属護衛代って…いくら?」
ぼそり、と囁くリーザの声に、アーシェは現実に引き戻された。冒険者を雇う際、その力量によって明確に賃金の最低ラインが決められている。それは不当な安価競争を生んで値崩れを起こさせない為と、後進の育成を妨げない為だ。ジーク達はパーティとして中堅クラス。そろそろ上級にも手が届くと聞いている。そんなパーティの前衛メンバーの日当など、路地裏の魔道具屋に払える訳も無かった。
「心配するな。既に支払い済みだ」
『ええええ?!』
さらりと返したアンネリーに、今度は全員が驚いた。当のデュークはと言えば、若干意外そうな顔をしている。状況の読めないアーシェ達は、アンネリーに詰め寄った。
「――何。私は以前、デュークを専属の護衛として雇っている。その契約は、まだ解消されていない」
「い、以前っていつ?!」
「…アンネリー、流石に十年も経てば、俺も相場は違うんだが…」
「契約終了宣言をしていないんだ。そんなものは関係ないだろう」
苦笑しきりのデュークに対し、ジーク達は開いた口がふさがらなかった。どういう経緯か知らないが、十年も前の契約を持ち出してタダ働きさせようなど、神経が図太いにも程がある。しかしアンネリーはどこ吹く風で、全く意にも介していないようだった。
「す、すげぇ…盗人猛々しいとはこの事だな…」
「アンネリー殿は面白いお方だとは思っておったが、まさかここまでだったとはのぉ~」
アーシェ達が呆然と固まる中、ころころとネルが、うららかに笑った。




