魔素
アーシェは今度こそは迷子にならないとばかりに、しっかりとジークの腰に腕を回した。ジークはそれを苦笑しながら確認すると、ゆっくりとロープを手繰り始めた。ロープは縦横無尽に揺らめいてはいるが、その起点となる場所は一つだ。アーシェ達はゆっくりと明るい石の間を縫いながら、ロープを手繰り寄せていった。
「――そう言えばアーシェ。お前、気分は大丈夫か?」
「…へ?」
唐突に声をかけてきたジークの意図が分からず、アーシェは驚いて顔を見上げた。
「いや…。と言うかお前、何で魔素酔いしてないんだ?」
「…うぇ?」
ジークの意図が分からず、アーシェは随分と間抜けな声を返した。それを見て、ジークは眉間に皺を寄せると、訝しげにアーシェを見下ろす。胡乱気な表情で見つめられて、アーシェとしては居心地が悪い。何も言わないジークに痺れを切らして、アーシェは思い切りジークのわき腹をつねった。
「いてててててて!!てめぇ、何しやがるっ!!」
「ジークが悪い!!途中で言葉を切るな!」
噛みつくアーシェに舌打ちしつつも、ジークはため息をつきながら渋々と口を開いた。
「俺はここに飛んだあと、すぐさま一度戻ったんだ。…光属性を持った俺でも、魔素酔いを起こしそうなくらい高濃度な光の魔素が満ちていたからな」
「…ふぇ?」
アーシェは大きな目を瞬かせながら、ジークを見上げた。しかしジークは相変わらず何も言わず、じと目を返してくる。アーシェは首を傾げながら辺りに『眼』を向け――そして絶叫した。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁっ??!?!?!!!?!」
「うぉおおっって、てんめぇ!!急に大声出すなっ!!!」
アーシェは思わず叫び声をあげると、半狂乱になってジークにしがみついた。目をぎゅっと瞑って強くジークに縋りつく。ガタガタと震えながら手に力を込めた。
「お、おいっ!落ち着けっ!大丈夫だ!お前は大丈夫だろうが!」
アーシェの取り乱しぶりに、むしろ驚いたのはジークだった。小さな体を更に縮込ませて、強くジークに縋りついてくる。ジークも慌てふためきながら、ばしばしとアーシェの背中を叩いた。
アーシェの小さな白い手は、ガタガタと震えながら強くジークの服を掴んでいる。一向に落ち着く気配の無いアーシェに溜息をつくと、ジークはがさごそと懐から一枚の板を取り出した。
「ほら、アーシェ、見てみろ。お前のお師匠さんが作ってくれた魔道具があるから、俺達は平気だ」
「…師匠の、魔道具…?」
師匠と言われて少し気持ちが落ち着いたのか、アーシェはゆるゆると顔を上げた。しかし先ほどまでの威勢が嘘のようにその表情は弱弱しい。
「そうだ。ほら、言っただろう?俺はここに飛んだあと、直ぐさま一度引き返したんだ。光属性を持ってる俺でも、長く持たないと判断するくらいの魔素濃度。それで状況を説明して、お前のお師匠さんから魔法無効化の魔道具を『作って』もらったんだ。長くは持たないが、それなりの時間はこれで稼げる」
ひらひらとジークが振るそれはお世辞にも立派とは言い難く、むしろ板の欠片、と言った方がしっくりくる代物だった。そこに大雑把ではあるが魔術文字が穿たれている。よくよく見れば、それはアンネリーが好んで使う彼女独特の魔術紋様だった。
「状況を説明したら、これを即席で作ってくれてな。あの時のシュゼットとシリウスの顔は見物だったぜ」
おどけた風に、わざとジークは肩を竦めた。少しずつ平静を取り戻してきたアーシェはゆっくりと手に込めていた力を緩めると、おずおずと周りへと視線を彷徨わせた。
「――取り乱して、ごめん。でも、あまりにここの魔素濃度が異常過ぎて…。下手したら神殿区画以上の濃度だよ、ここ…」
不安げに語るアーシェの目線は、依然ゆらゆらと揺れていた。無理も無い。ジーク自身、自分に光属性が無ければ一発で前後不覚になったと思える程の濃度だ。『魔素溜まり』とは普通にどこにでも存在しうる、自然の驚異だ。魔素が溜まりやすい場所に散発的に発生すると言われていて、魔力耐性の低い一般人であると、急激な魔素の増加に体がついていけず最悪死に至る。アーシェも物心つく頃から魔導に携わり、その恐ろしさは身に染みて理解している。その為、その『眼』に飛び込んできた異常な光の魔素濃度に度肝を抜かれ、本能的に半狂乱となったのだ。
「…て言うかお前、折角『視える』目があるって言うのに、何で使わなかったんだ?」
訝しげに聞いてくるジークに、アーシェはしゅんと項垂れると、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。
「…俺、魔素や魔力の流れは視る事は出来るけど、それらを感じる事は出来ないんだ…。今までは経験的に怪しい所では『視る』ようにはしてたけど、ここは嫌な感じはしなかったから、特に『視て』なくて…」
もごもごと伝えるアーシェの語気には、いっそ自信と言う物が欠如していた。本来であれば自分は死んでいたか、良くて廃人だ。魔素溜まりの怖さはよく分かっているからこそ、どう言いつくろったとしてもそれは空しい言い訳にしかならない。自分の不覚を認めざるを得ない程、アーシェの『視界』は光の魔素で埋め尽くされていた。
ジークは再度大きくため息をつくと、ぽんぽん、と意気消沈するアーシェの頭を撫でた。
「…取りあえず、お前が無事で良かったよ。他の事は後回しだ。ほら、しっかり捕まってろ」
言葉無く、アーシェは小さく頷いた。アーシェにとって、魔素溜まりの脅威は左程非日常では無かった。アーシェが生まれ育った集落は、人里離れた僻地にあった。自然豊かなと言えば聞こえは良いが、要は外との交流すら最小限の、ど田舎だ。その為、人里に比べて魔素溜まりの発生頻度が高く、幼少の頃からその恐ろしさは身近な脅威だった。
運悪く、魔素溜まりに足を踏み入れてしまった人の末路は悲惨だ。そのまま死体で見つかるならばまだしも、自我だけ壊され人としての尊厳をも失う者もいる。確実に死へと向かっていく体を抱えて、『ヒトの形をした生物』として、最期の足掻きを晒す。アーシェにとって魔素溜まりに嵌ると言うのは、そのまま死ぬよりも辛い生を指していた。
(…でもどうして、俺はここに居ても何とも無かったんだろう…)
よくよく辺りを『視』まわしてみると、確かに多少の濃淡はあるようだ。しかし例外なく光の道には高密度の魔素が集まっており、状況からすれば普通の人間が正気を保っていられるはずが無い。光属性に長けた高位の神官か、或いはジークの様に何らかの対策を取ったものでない以上、無事でいられるはずの無い空間だ。
アーシェはゆっくりと視線を下に転ずると、自分の体を『視た』。今はアンネリーの魔道具の範囲内に居るため、ジークを中心に魔素が弾かれるような円が出来ている。完ぺきではないものの、短時間の探索であれば十分事足りる。その為アーシェ自身も、今は高濃度の魔素には曝されては居ない。不可解な気持ちを抱えながら自分の体を見つめていると、程無くして頭上から声が降ってきた。
「――ほら、アーシェ。台座だ」
そこにはナルバの隠された部屋にあったのと同じ形の、石造りの台座が宙に浮いていた。
ちょっと短いので、近日中に次話投稿します。




