新たな『部屋』
扉の先は、縦長の部屋だった。
窓一つなく壁に囲われたその部屋は、そこそこの広さがある様に見える。巨人の間に現れた『神殿区画』とは比べ物にならないものの、しかしそれなりの奥行きを感じさせる造りだった。
「…すごい。本当に、新しい部屋があるだなんて…」
目の前に広がる光景に、アーシェもエマも息を飲んだ。
ナルバの迷宮は深くて広い。解明された階層は依然浅く、またその広がりがどこまであるかは未知数であった。そんな中、気まぐれの様に発見される『部屋』には、不思議な古代遺物と思しき物品が見つかる事がある。大半は使用使途が分からない品々だが、物珍しさと相まって高額で取引される。一獲千金の夢を狙ってそれらを探す冒険者達が多い中、まさか自分でその幸運を引き当てる事になるとは、アーシェもエマも、夢にも思っていなかった。
「アーシェちゃん…っ。これ、壁や天井が光ってる…!」
エマに言われて、アーシェは初めて明かりも無いのに奥まで見渡せる不思議に気が付いた。確かに、四方を囲む天井や床が、薄っすらと青白い光を放っている。それはまるで迷宮の岩や壁と同じかと一瞬思ったが、しかし不思議と、迷宮の持つ独特の圧迫感や不快感は伴わなかった。
そのせいか、部屋に足を踏み入れることに、左程の躊躇は無かった。
自然と踏み出された一歩は、カツン、と小さな音を立てて部屋に響いた。ゆっくりと見上げてみれば、天井は思った以上に高い。そして上からもうっすらと落ちてくる柔らかい光は、つかの間ここが迷宮内である事を忘れさせるほど、優しく煌めいていた。
「アーシェちゃん、見て!台座があるわ!」
不思議な光に魅入っていたアーシェは、エマの声で現実に引き戻された。声のする方を見てみれば、部屋の一番奥でエマが手招きをしている。駆けて行ってみると、確かにそこにはアーシェの背丈ほどの細長い柱があり、その上に子どもの頭ほどの大きさの石の玉が置いてあった。
「これ…何かしら?古代遺物にしては、随分とシンプルな感じだけど…」
エマの疑問も最もだった。見回してみても、この部屋にはこの奇妙な台座があるだけだった。部屋の壁と同じ作りをしている台座は、それ自体がうっすらと光りを湛えている。上に置いてある石の玉も同様で、つるりとした表面を柔らかい光が包むだけだった。
「…これがさっきの、なぞなぞの『円環』かしら…?」
「うーん…円環って言うよりは、単なる石の玉だよね」
何かの装置の様にも見えなくもないが、しかしどんなに目を凝らしても、魔術紋様は見受けられなかった。ただそこに鎮座しているだけの石の玉。エマはさっと手を伸ばすと、その表面に触れた。
「…っ!!エ、エマさん?!」
「だーいじょうぶよアーシェちゃん。ほら、何も起こらないわ」
不用心にも石の玉に触れたエマに驚くものの、しかしエマ本人が言う通り、特に何も変化は見られなかった。アーシェはほっと胸を撫で下ろしていると、エマは相変わらず無遠慮に石の玉を撫でさすっている。不用心にも程があった。
「…エマさん、俺が言うのも何だけど、危機管理無さすぎ。ここは一応、ナルバの迷宮なんだよ?古代遺物だって、安全な物だけじゃないんだ。エマさんだって、古代遺物を守るゴーレムやトラップで死んでいった冒険者の話なんて、一杯聞いてるでしょ?」
腰に手を当てて注意するものの、一向にエマは手を放す素振りが無い。
「うーーん…擦ったら何か起こるかと思ったんだけど…」
「エマさんっ!!」
「アーシェちゃんも触ってみたら?ほら、ちょっとすべすべしてて、さわり心地良いのよ?」
どうぞ、と一歩退くエマに、アーシェは大きなため息をついて項垂れた。残念ながらエマは何を言っても聞く耳持たないようだ。だがしかし、アーシェとしてもこの石の玉には興味がある。特に危険が無いのであれば、自分でも調べてみたいと言う気持ちは強かった。
(ちょっとだけなら…)
おずおずと手を伸ばし、正に石の玉に触れようとした瞬間。
「――アーシェっ!!それに触れるなっ!!!」
「え…――うわぁっ?!」
「きゃあっ!!」
アーシェが振り返ると、驚いたことにジークとアンネリーを目の端に捉えた。しかし振り返った瞬間に指先が触れたかと思うと、急に真っ白な光が視界を覆い、そしてアーシェの姿が部屋から掻き消えた。
「アーシェっ!!」
「ダメだ、アメリアっ!」
「は、放せ、デュークっ!!」
追いすがるアンネリーをデュークが後ろから抑え込む。シリウスとリーザが戦闘態勢に移行するのを確認しながら、ジークは台座の脇で尻餅をついているエマに駆け寄った。
「エマ、大丈夫か?!」
「ジ、ジーク…!ど、どうしよう、アーシェちゃんが消えちゃった…!わ、私が触っても何も起こらなかったのに…!」
エマはジークに縋りつきながら、今にも泣きだしそうだった。ジークが厳しい顔をして素早く辺りに視線を走らせる。部屋の中は特に変わった所は無く、そして何事も無かったかのように光る玉は煌めいていた。
「ジークさん!その玉が光った際、時空のゆがみを感知しました!」
「私もです。恐らくこの石は、転送陣の様なものでは無いでしょうか?」
シュゼットとシリウスが駆け付けると、石の玉を指差した。
転送陣とは予め決められた場所から場所へ、物や人を運ぶことが出来る魔法の一つだ。しかしその術式が極めて高度である事と、大量の魔力を消費するため、実用では殆ど使われることの無い魔法であった。
先程の眩い光は恐らくこの石の玉がアーシェをどこかへと転送する際に発せられた物なのだろう。しかしその光は、今はなりを潜めている。
「ただエマさんでは発動しなかったと言う事は、何か条件付けがあるのかも知れません…。流石にそこまでは分からないのですが…」
しゅんと項垂れるシュゼット。ジークはエマをリーザに託して、シリウスに向き直った。
「飛ばされた先は分かるか?」
「すみません、そこまでは分かりませんでした」
「いや、仕方がないさ。――取りあえず俺は後を追ってみる」
「ジーク?!」
さらりとのたまうジークの一言に、全員が目を剥いた。
「どこに飛ばされるかも分からないんですよ?!そもそも同じところかどうかも怪しいですし…!」
「だったらなおさらだろうが。シリウス、取りあえず半刻程ここで待機しててくれ。もちろん、状況が変わったら撤退してくれて良い」
「ジークさんっ!」
「デューク、もしも俺が帰らなかったら、代わりにナルバまで皆を連れて戻ってくれ」
「…正気か?」
険しい顔をして見下ろしてくるデュークに、ジークはにやりと笑って答えた。
「――誰かが連れ戻さねぇといけねぇんだ。それなら俺が適役だ」
「待て、ジーク!それなら私が行くっ!お前がそんな危険を冒す必要は…っ」
しかしジークは軽く頭を振ると、アンネリーの申し出を拒んだ。
「どこに飛ばされるか分からないって事は、どんな魔物が居るかも分からないって事だ。俺は光属性なら魔法は使えるし、剣の腕ならそこそこだ。それに俺に何かあっても、デュークが居ればナルバまでは戻れる。…まぁ、この玉に拒まれちまったら話は別だが…」
近所に出かけるかのような気楽さで言うジークに、アンネリーとシュゼットは絶句した。しかし付き合いの長いデューク達は小さくため息をつくと、シリウスも懐から魔時計を取り出した。
「――わかりました。それでは半刻。それ以上は待ちませんので、なるべくその時間内には一度戻ってきてください」
「シリウスっ!良いのか?!」
「アンネリーさん、諦めて。こうなったらジークは、言う事聞かないわ」
苦笑交じりにこぼすリーザに、アンネリーは耳を疑いかけた。無理も無いとは思いつつも、しかしリーザは困った様に肩を竦めるだけだった。
「――じゃあ行ってくる」
「ジーク!」
「ジークさん!」
そしてそれは一瞬だった。軽くジークが石の玉に手を触れると、目もくらむまばゆい光が石から発せられ、次の瞬間にはジークは忽然と姿を消した。唖然としてジークが居た場所を見ていると、シリウスが小さくため息をついた。
「取りあえず、後半刻はここに居る事になりましたね。――エマ、何があったのか、教えていただけますか?」
人好きする笑みを浮かべてシリウスがエマを見下ろす。しかし何故かエマは背中を冷たいものが通るようで、思わず思い切り首を上下に振るのであった。




