隠された部屋
「所でアーシェちゃん。この通路はどこに繋がっているのかしら?」
休憩も終わり取り留めも無い事を話していると、ふとエマがもう一本の回廊を指差した。それは中心部の広場から縦に伸びているもう一本で、他の部分と比べても植生の浸食が著しい。その為唯一アーシェも足を踏み入れなかった回廊だ。
「うーん…俺もここから先は入ってないんだ。入ろうにもこれだけ木が絡まり合ってたら、ちょっと先に進めそうにも無いし…」
「え?でもアーシェちゃん。ここ、通れそうよ?」
「ええ?」
エマが指差したその先は、確かに木々が絡み合い通路の損傷が激しい事が見て取れた。しかしよくよく見ると、大人一人であれば通れそうな位の隙間が空いている。小柄であるエマとアーシェであれば、難なく通る事ができよう。
「…あれ?俺が前に来たときは、こんな絡まり方じゃ無かったはず…」
訝しげに見るアーシェとは対照的に、エマは至って明るかった。
「もしかしたら調査に来た人たちが、通った後なのかも。だってこんな不思議な通路、放っておくわけ無いじゃない」
エマの言い分は確かに尤もなのだが、しかし依然アーシェは違和感が拭えなかった。冒険者達が通ったのであれば、もっと木々に切り崩した跡や踏み荒らした形跡が残るはず。しかし見るからにその回廊は、『もともとそうであった』かのように人ひとり通れる空間が出来ていた。
「ねぇ、ちょっと行ってみない?」
「エ、エマさん?!」
驚くアーシェを気にも留めず、エマは好奇心を瞳に湛えながら通路を指差した。
「だってこの先、何があるか気にならない?折角なんだもの。ちょっと見ていきましょうよ」
近所に買い物に行く気安さで、エマはアーシェの腕を取った。流石に狼狽したのはアーシェだ。魔物が出なくともここはナルバの迷宮。何が起こるか未知の世界なのだ。
「エマさん、危険だよ!ここは今のところ魔物は出てないだけで、もしかしたらこの先に潜んでいるかもしれないし…!ここは大人しくしてた方が…!」
「でもアーシェちゃん。この先に魔物が潜んでいるなら、私達これだけ騒いでいるのよ?とっくに襲われてるわ。それに危なかったら引き返してくる。そうすれば問題ないんじゃない?」
「いや、でも…!」
「それにアーシェちゃん。もしかしたらこの先、新しい部屋や古代遺物があるかも知れないのよ?見てみたいとは思わない?」
「や…そ、それはそうだけど…」
エマに古代遺物と言われ、一瞬アーシェの心が傾いた。あの、巨人の間で見た精巧なゴーレム。胸に穿たれた魔石もその機構も、全てが未知の技術で造り上げられた産物であった。あの時遭遇したような戦いはもう二度と御免だが、未だにあの赤い魔石はアーシェの心を掴んでいる。
「こんなチャンス、滅多と無いわ!ほら、行くわよ!」
「あ、ちょちょちょ…!エマさん!」
強引にエマに腕を取られ、アーシェはずるずると回廊の奥へと引き込まれてしまった。
曲がりくねった木々が、道を塞ぐように縦横無尽に伸びている。しかし屈めば何とか通れるくらいの隙間は必ずあり、エマとアーシェは見た目ほどの苦労はせず、先に進むことが出来た。
未知の空間に足を踏み入れることに戸惑いのあったアーシェも、ここまで来てしまったらと腹をくくった。先を進むエマに負けじと木々の間を縫って通っていくと、程無くして前を進むエマが声を上げた。
「アーシェちゃん!扉だわ!」
「…!!」
見れば木々の合間の向こう側に、重厚な石造りの扉が見える。大人が二人、丁度並んで通れるほどの幅のある、存在感のある扉だった。見上げればそこは離れの様な作りになっているようで、ぐるりと白い壁が囲っている。それなりに高さも広さもあるようではあったが、しかし木々に阻まれその全容は見通すことが出来なかった。
「うーん…開きそうに無いわねぇ…」
エマが扉を押してみると、ぴたりと閉ざされた扉はびくともしなかった。加えて樹の蔦は離れ全体すらも覆っている。扉にも絡まった蔦が幾重にも伸びている所を見ると、扉を開けるのは至難の業の様だった。
「残念!折角ここまで来たっていうのに、ここまでかぁ~」
目に見えて落胆するエマだったが、アーシェが扉を見上げると、気になる意匠が目に飛び込んできた。
「…エマさん、ちょっと待って」
「アーシェちゃん?」
よくよく見ると、扉全体には不思議な意匠が施されていた。所々破損や蔦に覆われている為、その全容は容易には見ることが出来ないが、しかしその中に、アーシェは見知った意匠を見つけたのだ。
(…!やっぱりそうだ!これ、魔術紋様だ!!)
そこにはアーシェにとっては見慣れた文字が、扉一面に描かれていた。シンプルな線と点の組み合わせは、一見すれば瀟洒な飾り紋様にも見えただろう。しかし魔道具屋として日々様々な魔術紋様に触れているアーシェは、直ぐにそれが魔術文字で描かれた物であると気が付いた。
(恐らくこの扉は、魔道具の一種…。一応魔力の供給は無いみたいだけど…)
扉のあちらこちらを探してみたものの、魔道具には必須の魔力供給装置が見当たらない。アーシェが首を傾げて念入りに扉を調べて居ると、エマが訝しげに声をかけてきた。
「アーシェちゃん。この扉、何か分かるの?」
「うん。この扉に描かれている紋様、これ全部魔術文字なんだ。だから条件通りに魔力を通せば、もしかしたら扉が開くかと思ったんだけど…」
「凄いわ!それで条件っていうのは?」
「ええーっと…ちょっと待ってね」
通常魔術紋様とは、魔術文字で描かれた術式全般の事を指す。魔術文字と魔力は高い親和性があり、魔術文字に魔力を通すと任意の事象を発生させることが出来る。それが魔法であり、魔術師はいかにこの魔術文字を使いこなせるかが、その実力の鍵となる。そしてその魔術文字が高度に描かれた物を、一般には術式や魔術紋様と呼んでいるのだ。
(…うん?あれ、これって…)
しかしアーシェは、扉に描かれている魔術紋様を読み進めていくうちに、違和感を覚えた。
術式とは起こしたい事象を定める、云わば定義書の様な物だ。その為扉の開閉の為の条件が記されていると思ったのだが、どうにも違うらしい。
(これ…術式じゃない!魔術文字で書かれた、別の何かだ…!)
精緻に描かれたそれは、一見すると普通の魔術紋様の様にも見える。しかしそこには魔法を行使するために必要不可欠な物――つまりは魔力を定義する術式だけが、どこにも存在していなかったのだ。
アーシェはそれらを読み進めるうちに、もしや、と思った。
「――これ…多分詩か物語みたいなものかもしれない」
「物語?」
「うん、そう。所々判読不可能な所があるけど、多分読める」
木々が穿ってしまっている所もあるが、前後の文脈で大凡解読は出来る。
アーシェは扉を指差しながら、ゆっくりと読み上げていった。
『流れは全ての始まりであり、全ての終わりである
全ては流れから始まり流れに還る
流れは全てを知りうるものであり、全ての帰結
理の円環を流れに示せよ
示された理は円環となる
円環の理を流れに示せよ
示された円環は理となる
流れは全ての終わりであり、全ての始まりである
全てを流れは忘却し、流れは忘却を識る』
「…何それ。なぞなぞ?」
眉間に皺を寄せて、エマが聞き返してきた。韻を踏んだ詩は耳に聞こえは良いものの、その意味している所はさっぱりだ。アーシェもむむむと低く唸ると、再度扉を指差した。
「うーーん、俺も意訳だから完全には自信は無いんだけど…。ただこの詩、円っていう概念がすごく大事みたい。ほら、扉全体の意匠も、良く見ると円を描いてるでしょ?」
「…あ!本当だわ!」
よくよく見てみると、確かに大小様々な円が、魔術文字によって描かれている。それらが幾つも重なり合いながら、大きなうねりを表していた。初めて見た時は気が付かなかったが、円と言う観点を得た今、それは容易に見て取れた。
「じゃあこの扉に円環だか理だかを、持って来ればよいのかな?」
でもそれって何かしら?
続くエマの疑問は最もで、アーシェももちろんの事ながら検討もつかない。しかし全体の流れを見ていると、ふとある事をひらめいた。
「流れって、もしかして魔素の事かな?」
「魔素?世界のどこにでも存在する、魔力の素の事?」
こくりとアーシェは頷くと、扉の中央を指差した。そこには『円環』と『理』を示す魔術文字が書かれているのだが、紋様は更にそこから縦横無尽に広がっている。その広がり方が、世界に漂う魔素の様に思えただけなのだが、それはほんの思い付きだった。
「じゃあ、この扉に魔法をかければ良いってこと?」
「うーん…でもそれなら魔力の属性指定が入るはずなんだ。でもそれが無いって事は、何でも良いのか、それとも無属性じゃないとダメなのか…。そもそも魔素と魔力は別物だし…」
眉間に皺を寄せて唸る様な声を漏らすと、アーシェは再度扉を見上げた。見れば見る程魔術展開をする時の魔力の流れに見えてくる。しかしこの術式には魔力供給の原理は組み込まれてはいないようで、アーシェの単なる気のせいともいえるのだ。
「そう言えばアーシェちゃん。ここ、何だか窪んでない?」
「窪み?」
エマが指差したのは扉の中央部分で、『円環』や『理』の魔術文字が書かれている所だ。魔術文字ばかりに気を取られていたが、確かに目を凝らして見れば、薄っすらと円形状に穿たれている様にも見える。それは丁度左右の扉に跨るような形になっていて、そして巧妙に魔術文字で隠されていた。
「…本当だ。エマさんすごい。良くこの微細な窪みに気がついたね」
「円環ってもしかしてこれの事かしら?一応、丸い形してるし」
「うーーん、何とも言えないな。そもそもあのなぞなぞ自体、扉の開閉条件かどうかも怪しいし…」
アーシェは自由な左手を伸ばすと、その窪みに触れてみた。魔術文字が書かれているため、表面はざらざらとした質感をしている。触ると窪んでいることが一際よく感じられるが、それでもやはりこの段差は微かだ。アーシェは一通りぐるりと撫でると、取りあえずぐっと扉を押してみた。
(うん…?何かが…抜けていった?)
それはほんの些細な違和感だった。言うなれば、巨人の間で魔素溜まりが体を通り抜けていったときの様な、そんな感覚。しかし比べるべくも無くあまりにも小さな違和感であったため、気のせいかと思った所、それは急に起こった。
ゴゴゴゴゴッ
「?!」
「やった!開いたわ!!」
驚いたことに、あれ程頑なに閉まっていたはずの扉が、ひとりでに開いたのだった。アーシェとしても、さして力を込めたわけでもない。しかし重厚な扉はゆっくりと左右に開かれていく。
「うそ…。俺ちょっと触っただけなのに…」
呆然とするアーシェの横で、エマは手を叩いて喜んでいる。しかしアーシェとしては薄気味悪さの方が先に立つ。特にあの、何かが抜かれる様な感覚が気のせいでなかったとするならば、この扉はアーシェの『何か』を取り込んだのだ。
ぞっと背筋が冷える感覚を抱いていると、その隣でエマは変わらずはしゃいでいる。ゆっくりと開かれる扉の奥は暗くて良く見えないが、その全容を、二人の前に現そうとしていた。




