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交錯する思い7

澄んだ青い空を、一筋の雲がたなびいている。天高くたゆとう雲は、夏とは言え、ここが北国である事を暗に物語っている。寒く厳しい冬の前の、一時の安らぎの季節。その空と空気を堪能するかのように、一羽の鳥が舞っていた。

銀色に光る細身の体は、北国の夏の日差しと涼やかな風とを孕み、優雅に気流を掴んで空を渡ってゆく。これ程の高さであれば、ふと北に顔を向ければ遠くに北壁、グラン山脈の連なりを見る事も出来よう。しかし鳥は脇目も振らず、一路目指すべき主の元へと、平和な空を渡っていった。


「――ああ、イリノス。お帰りなさい。久々の王都はどうだった?」


イリノスと呼ばれた銀色の鳥が降り立った先には、柔和な笑みを浮かべた少女が待っていた。

左腕を差し出すと、イリノスは慣れた風で少女の腕に足を乗せる。少女は愛おしそうに喉元を撫でると、イリノスは目を細め、幸せそうにくるくると鳴いた。


「王都とナルバの往復。随分と強行軍であったのに、本当にありがとう。――少し休む?」


長旅を労った少女の声に、しかしイリノスは昂然と顔を上げると、つい、と胸を張り大きく体を震わせた。

するとふさふさとしたイリノスの首元から、首に巻かれた小さな魔石が現れた。精巧に組まれた目くらましの術。それを破ってイリノスは更に胸を突き出すと、早く石を取れと言った風に一声鳴いた。


少女は困った様にくすりと笑うと、ありがとうと言いながらその魔石に手を伸ばした。小さなペンダント状に加工されたそれは、しかし少女が触れると糸が霧散し、小さな魔石だけがその手に残った。ほぅ、と感嘆の息を思わず漏らす少女。自分にはまだ、これほどまでに精巧な術は組めない。


「イリノス、ありがとう。確かに受け取ったわ。――さぁ、貴方は休んで」


愛おしげにキスを送ると、イリノスは嬉しそうにその身を羽ばたかせ、一声鳴くと自ら住処としている鳥かごへと戻っていく。その様子を見送りながら、少女――シュゼットは手にした魔石へと視線を落とした。


小指の爪ほどの小さな魔石。しかしシュゼットは全神経を集中させると、その魔石に魔力を送り込み、解除の為の術式を組んだ。

それは一般には高度であるとされている、封印の術式。封印を解除するための符号は予め決まっているものの、それを知っているだけでは到底封印を解除する事は叶わない。しかしこの術式を扱えるようになって初めて、ファムニールの末席に名を連ねる事が許される。裏を返せばそれだけの技量を求められ、そして実践してきた魔導一族の歴史がそこにはあった。


シュゼットは危なげなくその術式を魔石に送り込むと、ゆっくりと重厚な扉が開くかのように、隠された中身が現れる。それらは魔力の流れに乗って、シュゼットの脳裏に言葉を紡いだ。


『親愛なる我が妹へ――

彼の地にてつつがなく過ごしているとの事、大変嬉しく思う。お前がナルバ行きを希望した時、私も兄上も、お前を諌めた物だ。しかしお前は良くやっている。我らが可愛い妹は、いつの間にか大人へと育っていたことに、私は兄として家族として、誇らしさと同時に、寂しくも思ってしまう』


くすり、とシュゼットは困った様に眉根を寄せた。兄たちはいつまで経っても、自分を魔素も扱えない子どもの頃と同じように見ているようだ。


『お前が打診してきた人物に関してだが…。残念ながらそれに合致する条件の人は見当たらなかった。二十代後半のアンネリーと言う赤毛女性で、魔導全般に卓越した知識を持っているという事だったが、王立魔術学院に在籍していたものの中で、残念ながらそれらに合致する人物は見当たらなかった』


ふぅ、と息を吐きながらシュゼットは肩を落とした。真ん中の兄であれば、王都の魔術師の中でも顔が利く。期待を込めて調査を頼んだのだが、残念ながら不発に終わったようだ。


『こちらでも、引き続き調査を行い、何か目ぼしい情報があればそちらに送ろう。――大した力になれない兄を、許してほしい』


その後は、つらつらと王都での近況を綴られた内容だった。政治的な動きや家族の様子。はたまた王都の淑女の間で流行っている演劇の話など、シュゼットは年の離れた妹を喜ばせようとする、二番目の兄の心遣いにくすぐったさを覚えた。この兄は、いつまで経っても変わらない――。そんな可笑しさを堪えながら読み進めていくと、ふとシュゼットは違和感を覚えた。


(…あら?何かしら)


それは魔石の中に、周到に隠された小さな綻びだった。大量の文字の羅列に隠された、ほんの小さな歪み。普通なら気が付かれないような所にそっと忍ばされたその綻びに、意識を向けるとシュゼットは驚きに息を飲んだ。


そこには普通では到底使われないような、高度な封印術式が施された第二の封印があったのだ。


シュゼットは一息つくと、意識を切り替えその封印に集中する。探ってみると、シュゼットの技量であれば、何とか解除する事が可能なレベル。最初の他愛のない文面は、恐らくこの精緻な封印を隠すためのまやかし。シュゼットは更に神経を集中させると、焦る気持ちを抑えながらその封印を解き始めた。


(…開いた!……え)


最新の注意を払い解除したその封印の先には、二つの意匠が隠されていた。古い絵画の様なその意匠は、一つはどんな魔力をも弾いてしまうと言われる鉱石を手に持った、『カタルスの賢人』。そしてもう一つは凶事が起こる際に現れると言われる、『黒い凶鳥スペルナマ』。思いもしなかった内容に、シュゼットは戸惑いを隠せなかった。


兄はなぜ、こんなものを隠したのか、その意図が掴めない。意匠の他には何もなく、『カタルスの賢人』と『黒い凶鳥スペルナマ』が現れただけだった。そして何故、シュゼットが解除できないかもしれない程の封印で、これを彼女に送りつけてきたのか。


(魔力を持たない魔術師『カタルスの賢人』…。凶事の象徴『スペルナマ』…。賢人とは一体誰の事を…)


そこまで考え、アンネリーに関する一つの資料に思い至った。そう言えば、彼女は魔力素養の無い子どもを、弟子にしていなかったか――?


しかしシュゼットは頭を振って、直ぐにその考えを振り払った。兄にはアーシェの事は何も伝えていない。兄の情報網を使っても、まだアーシェの事を捉えているとは考えづらい。そうなると、賢人はアーシェでは無い別の誰かを指している事になる。


(しかし何故、アンネリー殿に関する調査結果に、この内容が隠されていたのでしょう…。それともこれは、アンネリー殿とは別件?)


ぐるぐると終わりの無い思考の渦に取り込まれ、シュゼットは頭を悩ませた。そもそも兄は無駄な事はしない。わざわざこの様な手法を取った事には、何かしら意味があるはず。


(この高度な封印術式も気になる――。或いはこの程度の封印が解けなければ、関わる事すら避けた方が良い事案と言う事…?)


それは明らかな不安となって、ぞくりとシュゼットの背筋を這い上がった。だがそうであるならば、もっと明確な警告を送ってくれても良さそうなものだ。


(――或いは兄自身も、まだ確証が持てていない…?だから明確な言葉避け、しかし不穏な動きがある事だけ伝えようと――?)


まだ状態が分からない以上、間違った先入観は逆に危険と判断したのだろうか。そう思うと色々と合点がいくのだが、残念ながら根本的な解決には至らなかった。


(それにしても何故かしら…。『カタルスの賢人』を見ていると、どうしてかアンネリー殿を思い起こさせる…)


シュゼットは訝しげに眉間に皺を寄せた。そして先の面談を思い出す。あの時、彼女の魔素の保有量はこの目で確かめた。多すぎず少なすぎず。一般的な魔道具屋であるならば、妥当な魔素保有量であると判断した。もちろん魔力への変換練度はまた別の話だが、特質するような特徴は無かったはず。そしてそこから思い出されるのは彼女との会話。


(ギルド長達には伝えなかったけれど、あの人は明確に、カロンガの廃都とジュブイエール遺跡の違いを分かっていた。あの口ぶり、恐らくは意匠に隠された『曲線』と『直線』の意味を、分かった上での発言だわ。でもそれは、一般には秘されている事のはず。しかも彼女は、それが『隠された真実』である事を知らなかった様。つまり彼女は確実に王都の、しかも中枢部に近い所に近年居たけれど、その直後王都を離れたはずなのに…)


ぎりり、と思わず奥歯を噛みしめる。後一歩、何かが足りない。その答えに手が届かず、シュゼットは臍を噛んだ。


(…そう言えば、兄からの返信で、あの消された発見に関する説明が入っていなかったわ)


あの兄にして、そのような失態は珍しい。むしろ、わざと記さなかったのだろうか。或いは隠された封印は、語られなかった件に対する符号と取るべきか。


(これは…。悔しいですが今は保留にするしかありませんね。判断材料が余りにも少なすぎます)


つきることの無い疑問にシュゼットは悩ましげにため息をつくと、重たい身を起こし書き物机へと移動した。そして紙にペンを走らせると、簡潔に封書をしたためていく。


ギルド長との約束から二日後――。シュゼットは調査の末、王立魔術学院での在籍は見つからなかったものの、犯歴等は見つからず、今後採用する上での懸念は見当たらなかったと、ギルド長へ報告を行った。


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