それぞれの思惑
コチリ、コチリ、と規則正しく時計の針が時を刻む。明かりも灯さず薄暗い室内の中、アンネリーは一人静かに作業台へと向かっていた。その手元には修理依頼の壊れた魔道具。今でこそ一般にも魔道具師と言う職業が浸透してきたものの、魔術師からも民衆からも、変人扱いされていた時代もあった。今回持ち込まれた魔道具は、まさにそんな時代に作られたと言われる、云わば骨董品に近い様な物だった。
しかし驚いたことについ最近まで、この魔道具は実際に使用されていたらしい。簡素な機構が幸いしたのであろう。そよ風をおこすと言った、そんな他愛のない役目であったとしても、一般家庭ではそれなりに重宝していたようだ。しかし長年の使用に遂に耐え兼ね、魔道具が動かなくなってしまった。しかし修理に出そうにも、これ程までに古いものを扱える魔道具師等、早々居る訳でもない。いくつかの魔道具屋を転々としながら、ダメで元々と言う諦めと共に、アンネリーの工房へと持ち込まれたのだ。
アンネリーはむしろ狂喜した。この様な骨董品、今ではお目にかかる事など滅多と無い。アーシェの教材としても使えると言う事で、一にもなく引き受けたのだが、今アンネリーの視界にはその骨董品の術式が、まるで入ってこなかった。
何度目かになるか分からないため息を、アンネリーは零した。思い出されるのは、あの、ギルドに出向いた日の事だ。やっとの事で店の前まで辿り着き、目深に被っていたフードを下したところ、不意打ちの様に声をかけられた。振り返れば、十年近く前に別れたきりの、見知った顔。思いもかけなかった再会に驚き混乱する思考の片隅で、随分と大人になったものだと、冷静に相手を見やる自分がどこかに居た。
しかし、十年の月日が経ったとしても、あの日の事は今でもアンネリーは鮮明に記憶している。常にアンネリーの陰に潜み、ともすれば闇に引きずり込みそうな、そんな記憶。そういったものから逃れるため、自分は全てを捨て去り逃げだした。訳も分からず残され、放り出された方としては堪ったものでは無いだろう。相手の顔を見た瞬間、アンネリーは罵倒され、詰られる覚悟を決めた。しかしそんな思いとは裏腹に、相手の目は静かに凪いでいた。
最初はそのつもりだったと、困った様に笑う顔は十年経っても昔の面影を残していた。心配していた、と語る声には真実アンネリーを気遣う心が現れていた。
十年以上昔のアンネリーを知る者は、最早ほぼ居ない。その稀有な相手からの優しい言葉に絆されそうになり、しかしアンネリーは全身でそれを突き放した。
(自分にはそんな資格は無い…)
いつも強気なアンネリーからは、想像もできない程弱弱しいため息。そしてそんなアンネリーの脳裏に浮かぶのは、更にその日から数日遡った、別の出来事だった。
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昼間だと言うのにその室内は、闇を持ち込んだかのような暗さだった。天井からは分厚い布地が何重にも垂れ下がっており、更に部屋の空気の重苦しさを助長させている。そしてそれらのカーテンの奥、左程広くも無い小部屋の奥に、目当ての人物は居た。
「やぁ、久しぶり。元気にしてた?」
男とも女ともつかない声音で、その人物は声をかけた。蝋燭と思しき光がちらちらと揺れ、この部屋唯一の光源としてその人物を照らす。その人物は使い込まれたえんじ色の布が敷かれている机に、入り口に正対するように腰かけていた。
頭からすっぽりと覆っている煌びやかなケープは、様々な文様の施された幻想的な意匠だった。そして口元を隠す黒い布。体の線を完璧に隠してしまっているそれらの衣装の間から、唯一見えるのは目と手先のみ。その指先にも全体に施されている幾何学模様と雑多な装身具のせいで、女にも、細身の男にも見えてしまうから不思議だ。この不愉快な空間の中で唯一色彩を纏っているのがこの人物、麝香鼠と呼ばれる相手だった。
(こいつの周りはいつも布だらけだな)
声をかけられた相手――アンネリーは、不快感を露わにして慣れた手つきで用意されていたもう一脚の椅子に腰かけた。
「勝手に呼びつけておいて随分な言い草だ」
「そんなぁ。これって久しぶりに顔を合わす友人同士の、常套文句でしょ?」
「お前と友人になった覚えはない」
目線も合わせず言外に叩き伏せると、しかし相手はくすくすと笑った。
「うふふふふ。もう、つれないなぁ。―そういえば、最近弟子を取ったみたいだねぇ?しかも中々、長いじゃない」
腹が立つことに、こいつの眼は雄弁だ。面白がっているのが、一発で見て取れた。
「君がそんなに長く人を置くだなんて、ちょっと興味があるなぁ。そんなに気になる何かを持っている子なのかな?」
「うるさい、麝香鼠。さっさと本題に入れ」
ちっと舌打ちをすると、憮然とした面持ちでアンネリーは切り捨てた。
「ううーーん、そうやって無碍にされると、ぞくぞくしちゃうねぇ~。やっぱりそのアーシェちゃん、もうちょっと調べちゃおうかなー」
「―-お前の遊びに付き合っている暇はない。この呼び出しも金輪際だな」
今にも立ち去りそうな気配に、麝香鼠は面白そうにまた笑った。
「ああ~、もう。短気は損気だよ~~~。全く、ほんの冗談も通じないだなんてー」
「いい加減にしろ。さっさと要件を話せ」
「うふふふ。―-王都が動くよ」
ぴくり、とアンネリーの眉が動いた。その反応に麝香鼠は満足げに微笑むと、内緒話をするように、そっと身を乗り出した。
「どうもね、本格的に教会とやりあうつもりみたい。そして舞台はココ。配役は現在調整中。でも、君の一番嫌いな人たちが、送り込まれる可能性は大だね」
微動だにせず、アンネリーは部屋の一点を睨み続けた。
「まぁまだまだ時間はかかりそうだし、教会が発見した新区画の成果にも左右はされそうだけどね。ただキミは分かっているよね?この街に今、色々な『火種』が集まってきているって事。今はまだ誰も気にしていないかも知れないけど、早晩ここは危険な火薬庫になってしまう」
アンネリーは知らず知らずの内に、拳を握りしめていた。その反応に気をよくしたのか、麝香鼠はうっすらと笑うと、アンネリーの耳元で囁いた。
「でも一番不気味なのは、『何が』爆発するか分からないってコト」
ほんの小さな声なのに、その一言はしっかりとアンネリーの耳朶を打った。そしてその言葉の意図するところに思い至り、アンネリーは思わず頭を振った。
「あはははははは!まぁ、早く身を隠した方が良いと思うけどね~~~。あ!それとも!!過去のしがらみと決別しちゃう~~?!」
不愉快な声音でケラケラと笑うと、今度こそアンネリーは麝香鼠を見据えて睨み返した。
「うるさい。お前には関係ないことだ」
「そうかなぁ~?それじゃあ迷宮が現れた時点で、どうしてまだここに居るのかな?」
ぐっと言葉に詰まるアンネリーをさぞ面白そうに見つめると、麝香鼠は彼女の顔を下から見上げた。
「キミも分かってるでしょ?どうしてまだこの街に居るかだなんて、そんな事、どんな言い訳も陳腐に聞こえる。キミの心の奥底に封印したはずのその欲求。今はかがり火の様に小さく煌めいているだけだけど、この炎がどれほどの怪物になるかって、キミはよく知っている。キミも彼らも大して変わらない。本質的には同じ。――『知の亡者』だよ」
アンネリーは一層、顔をゆがませた。自分は違うと叫びたい。しかし癪な事に、麝香鼠が言う事も否定が出来ない自分が、恨めしかった。
「そして更に!ここに来て『彼』が現れちゃうだなんてねぇ!繋がる二人、因縁の宿敵、やっぱりこれは運命かなぁ?!」
一転して今度はからかう様に告げる麝香鼠に、今度こそアンネリーは盛大に舌打ちした。
「くだらん。私は帰るぞ」
話は終わったとばかりに席を立つ彼女に、今度は麝香鼠はとめなかった。
「ああでも待って。最後に一つだけ。キミは自分で思っている以上に不器用だよ。どんなに足掻いても、自分の心に嘘はつけない――。うふふふふ。キミの選ぶ道筋、楽しみにしているからねぇ」
それを最後に、背後から麝香鼠の気配が消えた。アンネリーは一際暗いドレープを抜けると、一瞬の揺らぎも感じさせずに、自分がナルバの路地の一角に『現れた』ことを確認した。外はまだ中天を太陽が過ぎたころだろうか。後ろを振り向けばいつものように、そこには武骨な壁があるだけ。どんな魔法を使っているのか、アンネリーの知識を持ってすら分からないこの麝香鼠は、いつも突然にこうやって呼びつけてくる。何度会っても正体の分からない不気味な相手。しかし毎回、足を向けねばならない餌をぶら下げて現れるあたり、アンネリーの事をよく理解している事がうかがい知れる。正体の分からない相手に自分自身をそっくり把握されている事に吐き気を催しつつ、あの重い空間から逃れられた事にアンネリーは安堵と共に大きく息を吐きだした。そしてこの様な路地に長居は無用とばかりに、アンネリーは足早に午後の喧騒で賑やかになりつつある通りに、足を向けた。
(…或いは本当に、『人』では無いのかも知れないな)
ふと、今になってそんな事を思う。思えばこの十年近い年月、麝香鼠は年老いた様子が見られない。それにしても皮肉なことだ。自分の過去を知る唯一と言っても良い人物が、人ですら無いかも知れないとは。アンネリーは自嘲気味に嗤うと、手つかずのまま目の前に転がる、魔道具に手を伸ばした。ひんやりとした熱を孕んだ魔道具を撫でていると、ゆっくりと思考がまとまってくる。
「知の亡者…か」
誰ともなしに呟いた言葉は、工房の空気に溶けて消えた。




