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交錯する思い6

アーシェが落ち着くまで、ジークは泣きじゃくるアーシェの背中をゆっくりと撫で続けた。そして辛抱強く嗚咽が止まるのを待つと、ぽんぽん、と頭を撫でながら声をかけてきた。


「――落ち着いたか?」


呆れられたかと思っていたが、思いの外ジークの声は優しい物だった。その声音に安堵しつつも、冷静になってみれば一気に顔が朱色になる。まさか日に二度も泣き顔を見られるとは…。アーシェは余りの恥ずかしさに顔を上げられず、無言で首を縦に振るのみだった。

そんなアーシェの気持ちを知ってか知らずか。ジークは少し待つようアーシェに声をかけると、採集用の小刀を取り出し、レッドボアの二本の牙を切り取り始めた。牙は腰の収納袋の放り込み、次の部位へと移る。


(あぁ、自警団に報告する用の証拠か…)


ぼぅっとした頭で眺めていると、ジークは手際よくレッドボアから目ぼしい部位を切り取って行った。流石に皮や内臓、肉等は処理に時間がかかる為、今回は断念するようだった。その代り牙やしっぽ、耳などの簡単に剥ぎ取れる部分のみを切り取っていく。これらから今回仕留めたレッドボアの体格が分かるとともに、掲示板に載っていたのであればそれに応じた報奨金が支給される。また、それ以外の部位はギルドに持ち帰れば素材として換金も出来るため、冒険者としては正に一石二鳥だ。


流石手慣れたもので、手早く持ち帰れる部位を切り取ると、それらを収納袋に入れて小刀を仕舞った。その様子を他人事のように眺めていたアーシェは、その為ジークが屈んで背中を向けてきたときに、意味が理解できなかった。


「…?ジーク…?」


意味が分からずぱちくりと目を瞬かせていると、ジークは苦笑して立てるかどうか聞いてきた。そしてその時、アーシェは初めて自分の腰が抜けている事に気が付いた。


「やっぱりな。ほら、早くしろ。背負って街まで帰ってやる。急がないと日没に間に合わなくなっちまうしな」


穴があったら入りたいとは正にこの事だ。この期に及んでここまで迷惑をかけるとは…!!恥ずかしさのあまりわたわたとしていると、


「しょうがないな」


蔑むでも呆れるでもなくジークは苦笑すると、慌てるアーシェにお構いなしに、強引に背中におぶってしまった。


「…ちょ、ちょちょちょっと、ジーク…っ!!」


急に高くなった視界に驚きつつ、しかし動こうにも腰が抜けているうえ下手に暴れて落ちれば痛い。結局、大人しくジークの背に揺られることになったのだが、アーシェは恥ずかしさと居たたまれなさで、今にも消え入りたいと思うほどだった。


「大人しくしてろ。真っ直ぐ行けば日没までには帰れるはずだ。野宿したくなければ黙ってついてこい」


そんなアーシェの葛藤には気づきもせず、ジークはアーシェを背負いなおすと一路ナルバへと歩き出した。辺りを警戒しながら進むジークの足取りは、確かにとても慣れた物だった。流石長年冒険者をやっているだけある。仕方なく観念すると、ゆるゆると背中に体を預けながらアーシェはジークの肩越しに景色を眺めた。


それは夕日に染まった黄金色の草原が、風に揺られている美しい光景だった。夕闇迫るその直前の柔らかい輝き――。水を含んだ草原の草木が、さわさわと柔らかい光をきらめかせている様は、正に幻想的と言って然るべく光景だった。


「…綺麗…」


思わずこぼれたアーシェの心は、ジークの耳にも違わず届いた。


「ああ、夕焼けのナルバの草原地帯は、本当に綺麗だよな。俺も好きな光景だ」


相槌打つジークの声も、心なしかいつもより柔らかい。少し赤を含んだ陽の光が、延々と続く草原をあまねく照らしている。アーシェはその美しい光景に息を飲み、しばし陶然と見とれていた。

ゆっくりと、しかし確実に表情を変える一瞬の光景に目を奪われていると、程無くしてジークが声をかけてきた。


「そうだアーシェ。さっきのレッドボアに加えた一撃だが…。あれは一体何だったんだ?」


レッドボアを怯ませ、隙を作ったあの魔法の事を言っているのだろう。しかしアーシェは魔法は使えないはずだ。しきりに首を捻るジークに、アーシェはくすり、と笑みを浮かべた。


「あれは略式だけど、即席の魔道具みたいなもんなんだ。ジークは魔法が発動する条件って、何か知ってる?」

「術式と魔力だろ?」

「うん、そうなんだ。魔術師達は魔力を使って決められた術式を描き、任意の事象を発生させる。それが魔法の基本。じゃあ魔道具を使った場合の発動条件は?」


ふと考えるように首を傾げると、ジークは同じじゃないのか、と聞いてきた。


「…確か術式の所は一緒だったよな?でも魔道具は魔石から魔力を補充するんだろ?」

「正解。魔石を使うのは安定した魔力の補充が受けられるから。でも、実は魔力自体は他の色んなものにも、大なり小なり宿っているんだ」


人間だってそうだろう?と言うアーシェに対し、ふむ、とジークが頷く。


「さっきレッドボアが襲ってきたのは、レメルナの群生地帯。レメルナは瘤部分に一番魔素が宿るとされているけど、実は木そのものにも多少はあるんだ。だから近くのレメルナの魔素を魔力に変換させて、あの魔法を発生させたんだ」

「なるほど。でも術式は?あれも魔力のあるもので描かないと、ダメなんだろ?」


当然のジークの疑問に、アーシェはこくりと頷いた。


「丁度折れたレメルナの枝があったから、それを使って書いたんだ。精緻なものだとだめだけど、略式なら何とか行けると思って。後は周りのレメルナと、採取した『小石』に任せたって所かな」


その代り、『レメルナの小石』は全部使っちゃったけど、と肩を竦めながらアーシェは苦笑する。もしも地面の魔素が足りなければ、『レメルナの小石』からも魔素を吸い出すことが出来る。攻撃と補充の二つの意味で『レメルナの小石』を使ったのだが、結果的には供給過剰だったようだ。しかしそのお蔭でレッドボアに隙を作れたことも事実。終わってみれば正にギリギリの綱渡りだったわけだが、その事には敢えてアーシェは言及しなかった。


「はぁぁぁ…。そんな魔法、初めて見たぜ。だがそれも魔道具ってやつになるのか?」


感心したように相槌を打つジークに、アーシェもこくりと頷いた。


「魔道具師って言うのは魔導全体の中では、まだまだ新しい分野なんだ。だから色々な可能性がある。今回のは変則的だけど、一応魔道具の一種だよ。まぁただ、こんな使い方教えてくれたのは、師匠くらいだけど…」


最後の方は、思わず消え入るような声になってしまった。嫌が応でも昨日のやり取りが思い出させられる。


急に黙りこくったアーシェを心配し、おずおずとジークが声をかけた。


「その…。昨日はすまなかったな。まさか断られるなんて思ってもいなかったんだ」


アンネリーが教える魔道具の知識は、或いはその世界の中でも異端なのだろう。事実、アンネリーは一般的な魔道具書に記されているような事柄を、ついぞアーシェに教えた試しが無かった。しかし既存の概念に囚われず、自由な発想を広げる彼女の教えを、アーシェはいつも尊敬していた。一般的な物であれば、書物から覚えればいい。しかし思えばなぜ、彼女がそう言う発想に行きついたのか、アーシェは知らない。


「俺…。良く考えたら師匠の事、何も知らないって、気づいたんだ…」


ぽつりぽつりと、アーシェは誰ともなしに口を開いた。


「どうしてナルバなんかで魔道具屋をやっているのか、どうしてあれだけの知識や技術があるのか…。よくよく考えたら可笑しな話だよな。店の照明器具だって他の魔道具屋でも見かけた事無いし、あんな辺鄙なところの割には、贔屓にしてくれてるお客さんも多い。俺…自分の事で精一杯で、師匠の事何も知ろうとしなかった…」


笑っちゃうよな、と続けながら、アーシェは泣き笑いの様な表情を浮かべた。師匠に拒絶されたこともショックだったが、それ以上に彼女の事を何一つ知らない事に、アーシェは愕然としたのだ。自分はこの一年半、アンネリーの元で何をしてきたのだろう。尊敬すると口では言いながら、その実彼女からは知識のみを求め、何一つ彼女自身の事を知ろうとはしなかった。共に過ごした時間は決して短くは無い。だがそう言った事に気が付きすらしなかった自分の身勝手さに、アーシェは我知らず身震いした。


ふと、アーシェは顔を上げた。夕闇迫る刹那の光が、アーシェの顔を照らした。その美しい光景は、ジークにとっては見慣れた光景なのだろう。ナルバを拠点に活動している者であれば、さして物珍しい風景でも無い。


(――でも俺は、見たことがない…)


しかしこれほどまでに美しい光景を、アーシェはついぞ見た事が無かった。草原に来たのは無論、初めてではない。しかしアーシェの背丈からは草原の草木を超すことはできないし、次第に暗くなっていく草木の間からは、うかがい知れる景色ではなかった。同じ時と場所を共有しているのにも関わらず、これ程までに見える世界が違う――。その事にアーシェは打ちのめされる気持ちになり、きゅっと体を縮こませ、ジークの背中に額を押し付けた。


「――なぁアーシェ。お前の目標って何だ?」

「…え?」


思わず顔を上げ聞き返してしまったアーシェは、驚いてジークを見つめた。


「俺にはお前が何悩んでんのか、よくわかんねぇよ。いいじゃねぇか、お師匠さんの事良く知らなくったって。お前の目的は魔道具師になる事だろ?」


しっかりと意思を宿した瞳は、夕闇迫る陽の光にもぶれることなく、ただただ真っ直ぐに前を向いていた。


「時間なんてもんは有限だ。命に至っては一瞬で消える事もある。お前は魔道具師になる事を選んだんだ。だから脇目も振らず、がむしゃらに勉強してきた。それで良いじゃねぇか。――だがな」


そしてふっと表情を緩めると、悪戯っぽくにやりと笑った。


「人間何てもんは欲張りなもんだ。前だけ見てると思ってたのに、どうにも寄り道したくなるし、別のもんが欲しくなる事だってある。そん時はそん時だ。欲しけりゃ手を伸ばせばいい。そんだけの事だ」


さも当たり前の事のように語るジークに、アーシェはぽかんと口を開けてしまった。そしてその意味を咀嚼している内に、ふつふつと笑いが込み上げてきた。


「…は、はは…。あははははははは!」

「お、おい!何だよ、人が折角真面目に…っ!」


急に耳元で笑い声をあげるアーシェに、盛大にジークが抗議する。しかし心なしか耳が赤くなっている。一しきり笑いの発作が治まると、アーシェは涙を拭ってジークに向き合った。


「ジーク。ジークって実は馬鹿だろ?」

「ってんめぇ…っ!!言う事かいて、それか!!」


くすくすと未だ笑うアーシェに舌打ちすると、決まりが悪そうに舌打ちした。そんな仕草も可愛らしくて、思わず笑みを浮かべる。だがこれ以上は可哀そうだろう。アーシェは何とか笑いの発作を抑えると、こてん、とジークの肩に額を置いた。


「…俺はね、ジーク。絶対いつか立派になって、それで村の皆を驚かせてやりたくって、それで村を飛び出したんだ」


ぽつぽつと語るアーシェの声は、しかし先ほどとは打って変わり、穏やかな声音になっていた。


「最初は気持ちばかりでかくって、何をどうしたら良いかも分かんなくって…。そんな時に出会ったのが、魔道具だったんだ」


アーシェは、その時の衝撃を今も鮮明に覚えている。魔法を扱う素養が無くても、これであれば自分でも魔導の世界でやっていけるのではないか…。その思いを胸に、いくつもの魔道具師の元を訪ね歩いた。


「それでもこんな子どもを雇ってくれる人なんて、居なかった。女だと分かったら、人買いに売られそうになった事もあった。――あのどん底な気分の時、藁にもすがる思いで訪ねたのが、師匠だったんだ」


アンネリーに師事してからの二年近く。それはアーシェにとっては夢にまで見た、得難い時間だった。やっと巡り会えたまともな環境。求めればそれ以上となって、惜しみなく与えられる知識。アーシェは寝食を忘れる勢いで、魔道具の世界へと没頭していった。


「ねぇ、ジーク。確かに俺は、一流の魔道具師になるっていう、目標がある。でもね、やっぱり俺、こんな得体の知れないガキを拾って面倒見てくれているそんな師匠も大好きなんだ。俺、師匠の役に立ちたい。そしていつか、立派な魔道具師になって、恩返しがしたい――」


アーシェは自分自身でも驚くほど、心が軽やかになっているのを感じた。そして言葉にしてみれば、自分の中に芽生えた新しい気持ちを、強く意識出来る。アンネリーの手助けがしたい。今は無理でも、いつか彼女の一番弟子として、胸を張って控えられるように――。それは新たなる目標となって、アーシェの中に形作られた。


「――いいんじゃねぇか?実際さっきの魔法は、大したもんだったぜ。…ま、レッドボアの前に飛び出すのは、これっきりにしてくれよ」


苦笑いを漏らすジークに、アーシェはくすくすと笑い、頷いた。アーシェ自身も、あんな恐ろしい事は御免こうむりたい。全く持って、命あっての物種だ。


ふと前も見やれば、ナルバの城門がすぐ目の前に迫っていた。ちらほらと、家路に急ぐ人々の列が見える。アーシェは長かった一日の終わりを感じ、思わず安堵の溜息が出てしまう。そして小さく背中を丸めると、小声でつぶやいた。


「…ジーク、ありがとう…」


果たしてジークの耳に届いたか。夜は直ぐそこまで迫っていた。


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