魔石の行方
その日は朝から曇天だった。段々と怪しくなる空模様を不安げに見上げていると、お昼を回る頃にはぽつりぽつりと降り始め、そのまま本降りの天気となってしまった。唯でさえ人通りの少ない裏路地。この様な天気になってしまえば、もはや客は見込めない。不真面目な店主はこの雨が降り始めたと同時に、二階の私室に籠ってしまった。アーシェは仕方なく店のカウンターに腰かけると、奥から古びた本を片手に一人ゆるゆると店番をするのだった。
降りしきる雨の音はとても耳に心地よい。アーシェは雨音に心寄せながら、一人ページを捲っていった。店内の明かりは最小限に。本の文字が追えればそれで良い――。客が来ない事を良いことに、アーシェは読書に没頭した。
古代遺跡から出土した、数々の魔道具達。独自の発展を遂げた、その地方独自の魔導技術――
その本は、魔力を扱う者であれば、誰しも必ず一度は手に取るであろう、極々初歩的な入門書であった。魔導の世界の際限のない広がりを感じさせ、あたかも冒険譚のように連なる数々の物語は、幼い時分にアーシェも良く読んだものだ。師匠の書棚の中からこの本を見つけた時は、懐かしさに思わず手に持ってしまった。しかしいざ今読み返してみるとこれが中々。入門書と銘打たれてはいるものの、実際魔導に携わる身として読んでみれば、とても奥が深い内容だった。
そしてその中に。丁度半分を少し過ぎたあたりだろうか。そこには三人の少女の話が語られていた。
(エミリアとカタリナは、とても仲の良い姉妹でした――)
物語を追うアーシェの表情は、自ずと柔らかいものになっていった。サレイドールの姉妹と言うその物語は、魔術とは縁のない人々の間でも、それなりに名の知られた物語だった。アーシェ自身も大好きな話の一つで、言葉の一節一節まで恐らく諳んじれるほど親しんだ物語だ。悲しくも美しく、子どもの頃は憧れもしたその物語。ふとカウンターの奥に手を伸ばすと、そっとアーシェは二つの魔石を取り出した。
小ぶりながらも丁寧に磨かれた二つの魔石は、暗い店内で優しく煌めいていた。まだまだ輝きは弱弱しいものの、うっすらと青い光を湛えながらゆらゆらと揺蕩うっている。それはきらきらと光の影を落としながら、万華鏡のように表情を変えていった。
(シリウス…さぞかし驚くだろうな)
アーシェは満足げに微笑んだ。
今回のこれは、自分でも会心の出来であったと思う。師匠にも誉めてもらえた。しかも特大のサプライズ付。だからこそ、早くシリウスに見せたいと思う。
「ふふ。早くお前たちの主人に会えると良いな」
優しくアーシェが呼びかけると、ゆらり、と僅かに魔石が瞬いたかのようだった。アーシェはくすりと笑うと丁寧にお盆を仕舞い、また本へと視線を移したところ――
「アーシェ、邪魔するぜ!」
がらり、と扉を開けるとジークが飛び込んできた。本降りの雨に合わせて、雨除け用の外套を着こんでいる。しかし全身ずぶ濡れである事は否めず、既に足元には水たまりが出来ていた。
「ふぅ、急に強くなりましたね。しくじりました」
次に店内に滑り込んできたのは、これまたずぶ濡れになったシリウスだった。こちらも雨除け用の外套から水を滴らせながら、そっと愛用の眼鏡を外すと濡れていない中のローブでガラスをふき始めた。
「ジーク、シリウス!ちょっと待って、今タオル持ってくるから!!」
読書に夢中になって、外の雨音に気が付いていなかったようだ。窓の外を覗けば、かなりの雨足になっているのが見て取れる。そんな中来てくれたのは嬉しいが、そのまま店内に入られても堪らない。バタバタと慌ただしく二階に駆け上がると、すぐにアーシェは大判のタオルを抱えて、降りてきた。
「わりぃ、助かるぜ」
「まさか急にこんな強く降るとは思わず…。すみません、魔法が間に合いませんでした」
濡れた外套は入り口の所に掛けてもらい、アーシェは二人にタオルを手渡した。ガシガシと乱雑に頭を拭くジークの横で、シリウスが丁寧に手足を拭う。外套越しでも随分濡れてしまったようだが、幸いにも季節はまだ夏。このまま放っておいても、風邪を引く恐れはまず無いだろう。
アーシェは濡れた体を拭う二人を見届けると、カウンターに引っ込み壁にはめ込まれている魔石に手を翳した。
暗かった店内が一気に明るくなる。
「すげぇな。この店、全体に『灯り』の魔道具が埋め込まれてんのか?」
関心したようにジークが辺りを見渡した。部屋のそこかしこに魔石がはめ込まれていて、それがほんわかと部屋を照らし出しているのだ。
「そんなに使う事は無いけど、今日みたいに天気の悪い日には便利なんだ」
そう言うと今度は何も無い壁をアーシェは触れる。すると灯りはすっと消え、また元のほの暗い店内へと姿を変えた。
もう一度、魔石に手を翳す。
するとふわりと明るくなった店内に、ジークとシリウスは感嘆の声を漏らした。
『灯り』の魔法も魔道具も、物としては特段珍しいものではない。しかしこうやって、手を翳すだけで部屋全体を明るくするような魔道具は、ついぞ聞いたことが無かった。しかもアーシェは魔力は視えても、自身に魔力は無いと言っている。基本魔道具と言う物は、多かれ少なかれ魔力がきっかけとなって発動する物が殆どの為、一体どのようにして灯りをつけているのか謎だった。
「面白い…。アーシェ、これは一体どのような作りなのですか?」
物珍しげに問いかけるシリウスに、アーシェはにやりと意地悪に笑った。
「それは企業秘密。術式の回路は壁に埋め込まれているから、興味があったら見てもいいよ。でもシリウスは魔術師なんだから、自分で解かなくちゃ」
素直にからくりは教えてはくれないらしい。
「おや、それは面白い…。魔術師として、この挑戦は受けなくてはいけませんね」
「ははは。何時でもどうぞ。でもこの術式、まだ解明できた人は居ないんだ」
「おや、それは腕が鳴ると言う物です」
一見人好きしそうな、しかし見る者が見れば不敵な笑みを浮かべると、シリウスは濡れたタオルを丁寧に畳んでアーシェに返した。
元々魔導に携わる者は、学者肌なものが多い。それは魔導を行使する際に、術式の構成力が大きく関係してくるからだ。
魔導を行使する上で重要な要素は二つあると言われている。それは魔力を操る能力と、術式の構成力だ。魔力を操る力は個人の素養と修練による所が大きいが、術式の構成力は個々人の素養とは関係無く、全ての魔導の根幹を成す重要な要素だ。
人が操る『魔導』と言われる事柄は、魔術文字と術式の上に成り立っている。それらの規則・法則性を理解したうえで、魔導師達は魔導を行使するのだ。つまり同じ事象を発生させようとしても、術式の構成如何によっては必要な魔力や発生の仕方が微妙に変わってくる。その為魔導に携わる者たちは、日夜最適な術式を求めて研究を繰り返しているのだ。事実王都の王立魔術学院等には、術式の研究だけを行っている魔導師も居ると聞く。基本の魔術文字や術式の構成方法を覚えてしまえば、後は術者の思う様に手を加えられるのが、魔導の基本概念だった。その為、アーシェの様に魔力は視えても自身には魔力を扱う素養が全く無かったとしても、術式の構成力さえ優れていれば、魔道具師になる事も可能ではある。特に魔道具師と言う職業が現れたのは、近年の魔導が学問として体系化されたことによる所が大きい。今までは魔力の素養が無ければ扱えなかった魔術を、一般の魔術的素養のない人々でも扱えるように――。それが魔道具師たちの基本理念であった。
アーシェは魔力は視えてもそれを意のままに操る素養が無い。それ故に魔道具師を目指すことにしたのだが、初めてこの装置を『視た』時の驚愕は、未だに鮮明に覚えている。半端物であった自分が、この道であれば生きて行ける――。そう思わせる程の可能性を示しているのが、この『灯り』の装置だった。故にアーシェとしても、こう言った挑戦者は大歓迎だ。さて、シリウスにはこのからくりが読み解けるか…。にこにこしながら見ていると、ジークと目が合いふと気が付いた。
「あれ?そういえばどうしてジークが居るんだ?」
「…失礼なガキだなオイ。俺が居たらまずいのか」
むすっと言葉を返すジークに、アーシェは更に首を傾げた。シリウスは元々魔石を見に来たのだろうが、この雨の中、剣士であるジークが同行してくる意味が分からない。不思議そうに見ていると、苦笑しながらシリウスが説明した。
「ジークは別件で来たのですよ。本日はアンネリー殿はいらっしゃいますか?」
「師匠?ああ、師匠なら二階の私室に籠ってるけど…。呼んでこようか?」
こくりと頷くジークとシリウスに、アーシェは二階へと駆け上った。そして程なくして降りてくると、少ししたら降りてくる旨二人に伝えた。
「ありがとうございます。――では丁度良いので、仕入れた魔石を見せていただきましょうか」
「あ、ちょっと待って!その前に見せたいものがあるんだ」
アーシェはそういうと、がさごそとカウンターの奥から木枠の盆を取り出した。その上には先ほどの、綺麗に磨かれた水色の魔石が二つ。
「――!!こ、これは…!!」
ゆっくりと驚愕に目を見開いていくシリウスを見ながら、さながら悪戯が成功した子どものように、アーシェはにやりとほくそ笑んだ。事情が分からないジークはひょいと顔をのぞかせると、訝しげに頭をひねる。
「この魔石がどうかしたのか?随分と小ぶりだし、素人目にも魔素はそんなに溜まってない様に見えるぞ?」
確かに、ジークの言う通り、その魔石は魔素をそれ程まで内包はしていなかった。
小ぶりな卵程度の大きさの二つの魔石は、丁寧に削られ丹精込めて加工されたのがよく分かる出来であった。魔石本来の性質を邪魔しない様に磨かれた表面は艶やかで、それでいて細かい面が無数にある為、キラキラと輝いて見える。しかし内に秘められた魔素は大した量ではなく、ちらちらと水色の光が時折明滅する程度だった。
しかし、シリウスの反応は違った。驚きに固まって微動だにしないシリウスは、信じられない物でも見るかのようにその魔石を凝視していた。
「――正直、俺もこんな事になるとは思わなかったんだけど…。それにしても流石だね、シリウス。これだけ形状が変わっているのに、一目見てこれが『何か』分かるだなんて」
そう言って、アーシェは盆をすすっとシリウスの方に寄せた。
「―――なぁ、シリウス。まさかとは思うがこれって…」
シリウスの只ならぬ雰囲気にもしやと思い、ジークが恐る恐る問いかけた。思わず小声になってしまったのは、致し方ないだろう。その横でアーシェが、にこにこと満面の笑みだ。
「何というか…。私の常識は、今音を立てて崩れていきましたよ…」
「あはは。本当だよな~。俺もここまで上手くいくとは思わなかったもん」
額に手を当てため息をつくシリウス。若干顔色が悪いのは、気のせいではないだろう。
「アーシェ、やっぱりこれって…」
「うん。あの魔石。シリウスの割れちゃった魔石だよ」
「――俺も頭が痛くなってきたぜ」
眉間に皺を寄せ顔突き合わせる男二人とは対照的に、アーシェは朗らかに笑った。




