深まる謎
アーシェが迷宮に迷い込んでしまってから五日。その後は特に大した騒ぎも無く、平和そのものの日が続いた。
当初はギルドや教会から召集がかかるかもしれないとドキドキしていたが、そのようなそぶりもなく、変わらない日常が戻って来た感じだった。教会が行なっていた『門』の封鎖も、混乱が収まった翌日には解除されたらしい。そして教会による、大々的な巨人討伐の成功と、新区画の発見の発表。新区画は『神殿区画』と名付けられ、街中その話題で持ちきりだった。ただ冒険者の間から洩れ聞こえてくる話だと、流石にあの荘厳な空間へは立ち入り禁止としているようだ。もとより、あれだけ高密度の光の魔素が充満していては、そう誰でも立ち入れるわけでは無い。その為、偶に訪れる無謀な冒険者の回収要員と言った方が当てはまる。と言うのが、懇意にしている冒険者の談だった。
だが巨人討伐と神殿区画の話はアーシェの耳にも飛び込んでくるものの、一向にアーシェが飛ばされた区画の話は、耳に入ってこなかった。
(何か…あれってやっぱり夢だったのかなって、思わず思っちゃうよなー…)
あれ以来、ジーク達とも会っていない。恐らく『ヤマネコ亭』に行けば会えるのかもしれないが、どうにも行く気がしない。特に用もないのに顔を出すのもはばかられたし、アーシェとしてもあの体験は説明のつかない事が多い。
アンネリーはやることなすことがさつで乱暴ではあるが、腕は確かだしアーシェが尊敬する魔道具の師匠だ。アーシェの魔力が『視える』事を知る数少ない理解者でもある彼女には、最初から包み隠さず迷宮で起こったことを全て話した。そして流石と言うべきか、アンネリーはアーシェが思い至らなかった点を、的確に突いてくる。特に巨人に施されていた術式構造と、無属性の魔素溜まりに興味を示した。
(術式の構築方法に年代だけでなくて地域色があるなんて、知らなかったなー…)
アーシェは深々とため息をついた。もっと自分に師匠の様な知識があれば、巨人に施されていた魔石の回路を読み解けたかもしれない。或いは、魔石に術式を固着させる方法を、解明できたかも知れない。しかし残念なことに魔石は粉々に砕け散り、残った破片も全て教会に回収されてしまっている。もっとも、今その魔石を『視た』所で、あの美しい術式は完全に失われてしまっているわけだが…。
はぁ…と、再度アーシェは大きくため息をついた。今にして思えば、あんな経験はそうそうできるものではない。何故もっと、色々と見てこなかったのか。飛ばされたときは命の危険に曝されて、それどころではなかったと言うのは一理ある。しかし人間単純なもので、喉元過ぎれば何とやら。アーシェは既にまた迷宮に潜れないかと、一人思案をしていた。
ぼぉっとしながら薄暗い店内を眺めていると、珍しく扉が開けられて人が入ってきた。
「ようアーシェ。暇そうだな?」
「ジーク!それにシリウスも!!」
突然の来客に居住まいを正すと、それが見知った顔であったため、二重にアーシェを驚かせた。たかだか一週間程度会っていなかっただけなのに、久しぶりの様な旧知の親しさの様な、何とも形容しがたい気持ちを、アーシェに思い起こさせた。
「音沙汰ないから、どうしてるのかと思ってたんだ!街の噂でもジーク達の名前は聞こえてこないし…」
「まぁあれだけ大々的に、隊長が祭り上げられちまったらな。俺達みたいな一介の冒険者何て、出る幕は無ぇ」
そうは言いつつも全く卑屈な雰囲気を見せない所が、この男の不思議な所だとアーシェは思った。シリウスにしたって、あれだけの技術があるのだ。多少なりとも功名心があれば自分を売り込みそうなところ、どうしてこれほどまでにも淡泊なのか。アーシェは内心首を傾げる思いだった。
「ところで、今日は噂の美人なお師匠さんは居ないのか?」
店番用のカウンターに肘をつき、ジークが覗き込んできた。
「ああ。今日師匠は珍しく街に出てるんだ。何でも、昔の知り合いの呼び出しとかで…。何なら取り次ごうか?」
しかしジークは頭を横に振ると、カウンターに頬杖をつきにやにやしながら話しかけてきた。
「いや、今日は特に用事があったわけじゃねぇんだ。あれ以来ずっと放置しっぱなしだっただろ?いい加減、うずうずしてるだろうと思って様子を見に来たんだ」
人間、核心を突かれると腹が立つものだ。見透かされていたかに思えて、アーシェは肩を怒らせた。
「なにおぅ!こっちは毎日大繁盛で、迷宮どころじゃなかったさ!そろそろジークの顔なんて忘れるところだったさ!」
ぷくぅと頬を膨らませ、精一杯威嚇しているその様は、しかしやはり子猫が毛を逆立てている程度にしか思えない。ジークとシリウス笑いあうと、余計に子猫は牙を剥いた。
「まぁまぁアーシェ。貴方をからかいに来たわけではありません。実は壊れてしまった魔石の補充に来たんです」
どうどうとシリウスが宥めると、未だぷりぷり怒っている風ではあるが、アーシェも何とか仕事モードに切り替えた。
「ふんっ。魔石ね…。何属性のどんな魔石が欲しいのさっ」
しかしそっぽを向いて、未だに目は合わせてくれない。そんな所が子どもらしさの所以とは、口が裂けても言えないなとシリウスは思った。
「壊れてしまったのはこちらの魔石です」
ごそごそと懐を探ると大人の拳ほどの石が一つ、しかし真っ二つに割れてシリウスは取り出した。
ごとり、と置かれたカウンターには、今は二つになってしまった魔石が一つ。鈍色にくすんだその石は、今は輝きを全く宿していない。
シリウスはため息を一つ吐くと、名残惜しそうに魔石を撫でた。
「中々重宝していたのですが、先日潜った先で遂に限界にきてしまったようで…。真っ二つに割れてしまったのですよ」
さぞかし思い入れがあったのだろう。しみじみと語るシリウスの仕草には、ありありと悲しみが見て取れた。
「ちょっと…触ってもいいかな?」
シリウスが頷くと、アーシェは割れた魔石の片割れを持ち上げた。
そこそこの重量。今は砕けて輝きは無いが、これは水属性の魔石。この純度からするとバンガレ産の良質のもののようだ。シリウスが惜しがるのも分かるほど、アーシェの目にも長年丁寧に使い込まれたのが良く見て取れる。
「昨日迷宮で魔物と戦闘中に魔力切れをおこしかけて…。急いで魔素を取り込もうとしたのですが、魔石の方が弱っていたようで、結果はこの様です。長年使って重宝していた魔石だけあり、残念です」
再度ため息をつくシリウスを尻目に、アーシェはもう片方の魔石に手を伸ばした。角度を変え、なぞり、目を凝らす。一向に壊れた魔石から目を逸らさないアーシェに、ジークは首を傾げた。
「…アーシェ。何やってんだ?二つに割れた魔石なんざ、そん所そこらの石ころと一緒だろうが」
「「石ころ?!」」
叫んだのはアーシェとシリウスほぼ同時だった。
「こんの筋肉馬鹿!!お前はそんなんだから魔法が使えないんだ!!」
「これだから貴方は!この美しくも優美な魔石に対して、石ころ呼ばわりですか?!」
「ななな、何なんだお前ら!!だってその石、もう使えないんだろう?!」
あまりの二人の剣幕に驚き、ジークはたじろいだ。しかしそれは余計にシリウスの神経を逆なでしたようだ。すっと一歩間合いを詰めると、笑顔でブリザードをまき散らした。
「良いですかジーク。貴方も剣士の端くれ。長年共にした剣や装備を、蔑にしますか?或いは相棒とも言える程思い入れのある品を、ただ壊れたと言うだけで、すぐに捨て去ることが出来ますか?」
「いや…つまりだな…」
「感謝は人として当然の感情です。それは長年命を守ってくれた、道具に対しても言える事でしょう。それら無くして人間など、野山の獣にも劣ると言う物。飼われた犬ですらその程度の感情は持ちえます」
シリウスがくどくどと説教を続け、気迫でジークを追い詰めていく。そんな傍ら、アーシェは再度魔石を二つ手に取った。確かに色もくすんで輝きが無い。魔素が無くなった事によるくすみではなく、本当に『ただの石』になってしまった事による、光を全く通さない、寂しい色彩だった。
「――アーシェ?どうかしましたか?」
目をすぼめ、角度を変え。依然どう見てももはや寿命が来てしまったにしか見えない魔石を弄るアーシェを、流石に訝しく思ったのかシリウスが声をかけた。
「…!あ、ごめんごめん。えーっと…新しい魔石だっけ?このクラスの魔石の代わりって、結構難しいと思う…。これ、バンガレ産の最高純度の魔石だったんじゃないか?」
眉間に盛大に皺を寄せ、思わずアーシェは唸ってしまった。これだけ良質な魔石ともなると、そう易々と代替品は手に入らない。魔石自体の容量や性質。そして加工の仕方などが魔石の価値を左右するが、今は輝きが無くなっていても元はその全てが最高クラスの魔石だったことがうかがえる。これと同程度の物を手に入れようとするならば、下手をすれば四人家族が一年くらいは軽く豪遊できるだけの金額になってしまうのでは無かろうか。
シリウスもそれは承知の様で、ため息をつくと首を横に振った。
「ええ、流石にこの魔石と同等の物は、今の私では無理です。多少劣ってしまう事は否めませんが、大きさだけこのままで、今ある魔石を幾つか見せていただけますか?」
心得たとばかりに頷くと、アーシェは奥から幾つかの魔石を運んできた。しかしそのどれもが、容量に欠けたり魔力の吸い出しが難しかったりと、シリウスの眼鏡に叶う物が中々ない。元々の期待値が高すぎるきらいはあるものの、しかし迷宮に潜る魔術師にとって、魔石の良し悪しはそのまま命に直結する。妥協は許されない事だった。
「一応明後日には仕入れがあるはずなんだ。シリウスの希望に合うような魔石、あれば取り置いておくよ」
「そうだな。当分は迷宮には潜らないんだ。それからでも遅くは無いんじゃないか?」
シリウスはため息を漏らし、こくりと頷いた。
「ところでシリウス…。この魔石、俺が引き取っても良いかな?」
「この魔石をですか…?構いませんがアーシェ、何を?」
アーシェが指差したのはシリウスが持ち込んだ、石となってしまった魔石だった。魔素を溜めこむ事の出来ない魔石など、魔道具屋にどれほどの価値があるのか…。ジークもシリウスも訝しげに首を傾げた。
「ああ、加工の練習に丁度良いかなって思ったんだ。石になったとはいえ、バンガレ産の魔石なんて、そうそう扱えるものじゃないし…。あ!もちろん下取りするから!!」
引き取ると伝えたところ一瞬寂しそうな顔をしたシリウスに慌てて、アーシェは下取りを申し出た。しかし代金を払うと言うアーシェを片手で押しとどめ、シリウスはやんわりと首を振った。
「いえ、こんな魔石のなれの果てでも、誰かの為になると言うのであれば、喜んでお譲りします。ただ、あまりにも長く慣れ親しんだ魔石だったもので、少々寂しく感じてしまいまして…。いえ、これも機会です。是非、引き取ってください」
「―-本当に大切にされてたんだな…。うん、この魔石、大事に使わせてもらうよ」
こくり、と頷くと、アーシェはカウンターから木枠の盆と布を取り出し、丁寧に魔石を包んでカウンターへとしまった。それは長い年月シリウスと共にあった事に対する、アーシェが出来る最大限の配慮だった。
そしてところで、とシリウスに問いかけた。
「ジュブイエール遺跡…ですか?」
「ジークは知ってる?」
「いや、俺は南方にはガキの頃一時期居た位で、ほとんど記憶が無くてな。デュークなら知ってるかも知れないが…」
二人の答えを聞くと、またふーむとアーシェは腕組みをし、何かを考える風に黙りこくった。
「――俺が最初に迷い込んだ、あの区画はまだ調査されていないんだよな?」
応えはジークの苦りきった表情と舌打ちだった。
「ああ。知っての通り、今教会はそれどころじゃない。唯でさえ潜れる研究者の数が随分と減っちまったっていうのに、今は神殿区画の調査で手いっぱいだ」
「ギルドとしても早く本格的な調査を行いたいのですが、如何せん研究者の質でいうならば教会の方が数段上です。ただ区画の実証は先日再度潜って行いましたので、後は調査の目途を立てるだけです」
通常、新しい部屋が見つかった位では、ここまで慎重になることは無い。しかし報告を受けたギルド側がその異常性と特異性から、慎重になってしまったのは致し方無い事だろう。この五日の間で、ギルドの他のメンバーを新区画まで案内し存在を証明させた。そして結果、今度はギルド内でも立ち入り禁止の秘密区画になってしまった。流石に幾ら不思議迷宮とは言え、既知の法則から大きくかけ離れてしまったそこは、あまりにも『正体不明』と言う事だった。また如何せん、中堅以上でないと到達できない深度にあることもそれを助けており、名実共に、あの区画は迷宮の奥深くに隠されることとなった。
「だが流石にこれだけ日数が経っても、教会からは音沙汰なし。ギルド長は義理は果たしたとばかりに、調査隊を早晩本格的に組むようだがな」
肩を竦めて天を仰ぐジークに対し、アーシェはなるほど、と一人ごちた。
「シリウス、あの時持って帰った迷宮の品は、鑑定官に出した?」
「ええ。ですがまだ鑑定結果は出ていません。彼らも魔道具や魔物の素材には精通していますが、流石に未知の植物や扉の意匠となると流石に…」
弱弱しく首を横に振るシリウス。鑑定官とは通常、ギルドや商館に詰めている専属の『目利き』集団の事だ。彼らはそれぞれの専門分野を生かし、持ち込まれる様々な品物を鑑定する。ギルドであれば魔道具や魔物の素材等が対象となるし、商館であれば取引で扱われる品々が、妥当であるかどうかを見極めるためだ。彼らなくしては商取引もギルドも成り立たず、故に鑑定官は仕事に誇りを持っている者たちが多い。
そんな彼らをしても、今回の依頼は難問だったらしい。未だに結論に到達できず、右往左往しているようだ。
「うちの師匠はこれをジュブイエール遺跡の物ではないか?って言ってるんだ」
「アンネリー殿が?」
こくり、と頷くとアーシェはまた説明しだした。
「ジュブイエールは南方の森深くにある古代の遺跡らしいんだけど、こういう透かし意匠が特徴的だったらしいんだ。ただ森に飲まれて今では跡形も無いはずらしいんだけど…。二人ならもしかして知ってるかなって思ったんだ」
「ちょっと待て。跡形も無い遺跡なんだったら、どうしてお師匠さんはそれだと思ったんだ?」
「うん、俺も最初はそう思った。師匠も実際自分の目で見たことがあるわけでは無いって。ただ、ジュブイエール遺跡があった周辺に残っている文化圏では、今もこれと似たような意匠の施しが残っているんだって。それが南部のカルローナ地方辺りにあるらしいんだ」
カルローナ、と聞いてジークとシリウスは反射的に沈痛な面持ちになった。アーシェもそっと目線を下に落とす。悲惨なカルローナ戦役の話は、今も大陸に住むものの心に傷痕を残している。
「カルローナ…ですか」
重苦しく吐き出すシリウスに、アーシェは慌てて付け加えた。
「でも、戦争が激しかった地帯では無いみたいなんだ!むしろ中心地帯からかなり外れた辺境と言うか…」
「…それだと俺もデュークもきっとわからねぇな。俺らが居たのは戦闘地区のど真ん中。あそこは部族ごとに文化に特徴があるから、部外者から見て似てるように見えても、全くつながりが無いことの方が多い」
険しい表情のジークにそう告げられて、アーシェは肩を落とした。何かしらの手がかりになればと思ったのだが、中々そうは上手くいかない。
「――まぁまぁアーシェ。そう気を落とさずに。取りあえず、その情報はギルドの方には伝えておきます。もしかしたら、そこから何かしらの進展があるかもしれませんからね」
宥めるシリウスにアーシェは弱弱しく頷いた。




