第8話 平民の君とは、住む世界が違うんだよ
コンコンコン——
本日は土曜日。
私とナタリアは学園もないので、いつもより早く森の恵み亭に来て準備をしていたのだが、開店時間前に扉を叩く音がした。
パタパタと走って、ルカーシュが扉を開けた。
「申し訳ありません。まだ開店準備中で——」
「大丈夫。客じゃない」
聞き慣れた声に、私はキャベツを千切りにしていた手を止めた。
「お、お父様!?」
「やぁ、ソフィア。来ちゃったよ」
お茶目に手を振ったのは、父だった。
黒のロングコートにシルクハットを頭に乗せた姿は、完全にこの店では浮いていた。
「この方が料理長のお父上……」
ルカーシュは、なぜだか身なりを整え始めた。
「はじめまして、ルカーシュくん。ナタリアから君のことは報告を受けているよ」
私はばっとナタリアを見たが、ナタリアはピューと下手くそな口笛を吹いた。
「君の作る野菜は、絶品だそうだな。この調子で、娘の趣味に付き合ってやってくれ」
……趣味。
父の言葉に引っかかるものがあったが、何も言わなかった。
父は勝手に一番近いテーブル席に腰掛けた。
「本当は、家で話したかったんだけどね。最近ソフィアは、帰りが遅いから会いに来たんだ。座りなさい」
言われるままに父の向かいに座る。
ナタリアがすぐにハーブティーを用意して、テーブルに並べた。
少しだけ居心地が悪い。
耐熱ガラスのカップに入ったハーブティーに視線を落とした。
「それで、お父様。お話というのは——」
「王太子の件だ、ソフィア。婚約破棄は、考えていないのか?」
私は、父の言葉に身を乗り出した。
「していいんですか? 婚約破棄」
「えぇ!? 婚約破棄って、なんの話ですか!?」
私と一緒に驚いたのは、隣で立ったまま話を聞いていたルカーシュだ。
そっか、ルカーシュには、その辺の事情を話してなかったよね……
「え、料理長が公爵令嬢だっていうのは、話していたので分かっていましたが、婚約破棄って――」
「うちの娘は、王太子の婚約者でもあるんだ」
父の言葉にルカーシュは、息を呑んだ。
「平民の君とは、住む世界が違うんだよ。話が進まないから、少し静かにしててくれ」
「お父様」
父の言い方が気にくわなかった。
ルカーシュを巻き込んでいるのは私たちの方なのに、そんな言い方をしなくてもいいじゃない。
ルカーシュは、父の言葉に傷ついたのか、力なくカウンターの席に座った。
父はルカーシュを一瞥することなく話を続けた。
「それで、婚約破棄はするのか?」
「……できることならしたいですが、どうやって?」
前世の記憶から自分が断罪されないためにどう立ち回るべきかで頭がいっぱいだった。
だから、自分から婚約破棄をするだなんて考えてもみなかった。
「証拠なら集めた。ナタリア」
「はい、旦那様」
ナタリアは奥の更衣室から自分のカバンを出してきた。カバンから何枚もの写真を出して、テーブルに並べた。
「こ、これは――」
私が驚くのも気にせずに、父は優雅にハーブティーを口に運んだ。
テーブルに並べられたのは、王太子とアリスの写真だった。
二人で腕を組んで歩いていたり、二人で食事をしたり……終いには、王都の宿に二人で入っていく写真まである。
しかも他の写真には、アリスだけじゃなく他のご令嬢とも同じように過ごしている王太子の姿がしっかりと納められていた。
私は衝撃的事実に言葉を失った。
っていうかナタリア? いつの間にこんな調査を?
私の視線にナタリアはにっこりと微笑んだ。
「お嬢様がカフェレストランに夢中だったせいか、このクソが随分と羽を伸ばしてくれたので、証拠を押さえるのは簡単でした」
さりげなく王太子をクソ呼ばわりするナタリア。
私は、写真を手に取って、歓喜に震えた。
「この証拠があれば、婚約破棄できるんですか?」
「あぁできるとも。王家も自分たちの恥を世にばら撒かれたくは、ないだろうからね」
「や――」
やったー!!
令嬢らしくないのでやらなかったが、私は心の中で喜びの舞いを踊った。
「え、でも……たとえ向こうに非があったとしても、私の社交界での風当たりは、強くなりますよね?」
その辺は、公爵家としては、大丈夫なんですか?
「なんの心配もいらない。お父さんが全てうまくやるから、ソフィアは何も心配しなくていいんだ」
相変わらず、父の腹の中は読めない。
うまくやるって、邪魔者は消すってことじゃないよね?
「では、あとは私の方で国王陛下と婚約破棄に向けた話し合いの日程を調整しておくよ。その時には、ソフィアにも出席してもらうことになるから、心の準備だけしておいてくれ」
父は、ハーブティーをぐぐっと飲み干した。
「美味しかった」と一言残して立ち上がる。
「あぁそうだ、ルカーシュくん」
父は項垂れているルカーシュに視線だけ送った。
「勘違いしていたら困るから一つ忠告しておこう」
勘違い? 何を言ってるの、お父様……
「巷では、君と《《うち》》のソフィアが結婚するなどという根も葉もない噂が立っているようだが、ソフィアが王太子と婚約破棄になっても、君と結婚することはあり得ない」
「お父様!」
つい語気が強くなった。ルカーシュだって、そんなことを考えているはずがないのに、彼に失礼だ。
私が止めても、父の言葉は止まらなかった。
「ソフィアの新しい婚約相手は私が決める。この趣味も、次の婚約が決まるまでのお遊びだ」
次の婚約。父がそこまで考えているとは、露ほども思っていなかった。
「しかし、私は君には感謝しているんだよ。君のおかげで、ソフィアは毎日楽しく過ごせている。ソフィアがいなくなった後でも君が生活に困らないよう手配しよう。私の話は、それだけだ」
父は、そう言い残すと店を出ていった。
誰もしばらく動けなかった。
店の壁に掛けられた時計の針の音だけが、チクタクと響いていた。
「はは……やだなぁ、料理長。水臭いですよ」
静寂を破ったのは、ルカーシュだった。
「婚約者の浮気とか、婚約破棄とか……困ってるなら相談してほしかったです。俺だって、店を助けてもらった恩があります。何か……できることをしたかった」
「ルカーシュ……」
ルカーシュは笑っていたが、その顔はなぜだか少し悲しげだった。
「ごめんね……その、話してなくて……」
私は、ルカーシュを騙している。
ルカーシュは、私が善意でこの店を助けたと思っているようだが、それは大きな間違いだ。私は、断罪回避のためにルカーシュを利用しているだけに過ぎない。
前世の話だとか、ルカーシュの作る野菜や調味料がゲームを攻略するのに必要なアイテムだとか、そんな話を騙しているルカーシュにできるはずがなかった。
でも、なんでか胸が痛い。
ルカーシュに言えないことがあるのは、なぜか分からないけど辛い。
ルカーシュと契約書を書いた時は、こんなこと思わなかったのに……
私とルカーシュが揃って項垂れていると、ナタリアがパンパンと手を叩いた。
「お二人とも、そんなに落ち込まないでください。過ぎてしまったことを悩んでも仕方ないじゃないですか」
「ナタリア……」
ナタリアの言葉で私とルカーシュは顔を見合わせた。
「……そうですよね」
「ルカーシュ?」
「料理長、お願いがあります」
ルカーシュの苗色の瞳がしっかりと私を見つめていた。
「次、何か困ったことがあったら、俺にも相談してください」
その言葉には、いつになく力がこもっていた。
「……うん」
「絶対ですよ。俺、料理長の力になりたいんです」
「……うん」
目頭が熱くなって、私はルカーシュに背を向けた。
天井を見上げてから、目をぎゅっと瞑った。
壁掛けの鳩時計から、鳩が出てきて、開店時間を知らせた。
私は、パンパンと頬を叩いて、二人に向き直った。
「ありがとう、二人とも! 店を開けよう」
ルカーシュもナタリアも笑顔で頷く。
ルカーシュが入口のドアプレートをオープンに変えた。
すると開店を待っていたのか、一番に男が一人入ってきた。
その男は、革鎧を着て、腰に剣を下げた男だった。




