第7話 聖女のオムライス
「なんだい、この行列は……それに、この外観は……?」
ヘンズル食堂改め、森の恵み亭の店舗兼住居の大家であるグレーテは、家賃の徴収のため店に寄ろうとして驚いた。
先週来た時は、黒いツタに覆われた不気味な様相だったにも関わらず、今は綺麗に手入れがされた庭に変わり、明るくなった建物前には、店に入れない客が椅子に座って待つほどの行列ができていた。
「たった一週間で一体何が……」
グレーテは、信じられない思いで門扉を押して庭へ入った。
ラベンダーとローズマリーのさわやかな香りを嗅ぎながら、石畳の細い道を進み店に入ろうとした――が、他の客に睨まれた。
まぁこれだけ並んでいるのだから、家賃の徴収のためとはいえ、そのまま入るのは居心地が悪い。
(仕方がない。並ぶしかないね)
グレーテは、行列の最後尾へ回り、ため息を吐いてからベンチに腰掛けた。
――待つこと半刻ほど。
店の中からココアブラウンのワンピースを着た店員が顔を出し、「次のお客様、どうぞ」と声をかけた。やっとグレーテの番だった。
店に入ると、店内は客であふれかえっていた。
ルカーシュの母親の代から、この店を貸しているグレーテだが、母親が食堂をやっていた時だってこんなに客が入っているのは、見たことがなかった。
店員の子は、グレーテの顔を見て大家だと気がついたのか、少しだけ眉を上げたがそれ以上はなにもなかった。
「お客様、カウンター席でもよろしかったでしょうか?」
「そこしか空いてないんだろう? なら、そこでいいよ」
グレーテは、入口から一番近いカウンター席に腰掛けた。
せっかく三十分も待ったのだから、家賃の徴収だけで済ませるのはもったいない。
今は、目新しさで客が入っているが、いつまでこの人気が続くとも分からない。
この店がこれからも家賃を払えそうなのか、確かめてやる――グレーテは、そう意気込み、ふんと息を吐いた。
店員の子に出された水を飲んで待っていると、今度は男の店員がやってきた。
「ご注文は……げ、大家さん……」
グレーテの顔を見て、注文票の板をぎゅっと握ったのは、銀髪の背の高い男だった。
(この顔……どこかで見たような……)
グレーテは、はっとした。
「お前さん! ルカーシュかい!?」
「は、はい……」
驚いた。母親と一緒にいたまだ小さかった時にだけ何度か顔を見たことがあったが、ほとんど顔を隠して過ごしていたルカーシュの顔をグレーテはすっかり忘れてしまっていた。
(こんな顔になってたのか……)
グレーテはもう一度、しげしげとルカーシュの恰好を見た。
モスグリーンのベストに蝶ネクタイ。いつもの不気味なマントを着ていた姿からは、想像もできない変身ぶりだ。
「はは」
グレーテは、思わず笑った。
ルカーシュのこの格好を見たら、亡くなったこの子の母親もさぞ喜ぶだろうと思えたからだ。
厨房に目をやると、厨房には似つかわしくない美しいブロンドの少女がせっせと料理をしている。
(あのお嬢ちゃんがルカーシュを変えたんだね)
そういえば最近、呪いの館の王子がお姫様に求婚しているとかいう噂を聞いた。あれはきっと、この少女とルカーシュのことだったのだろう。
(いい嫁を見つけたじゃないかい、ルカーシュ)
グレーテは、もう一度ルカーシュに向き直った。
「しゃんとおし! お前がちゃんとしないと、嫁に逃げられてしまうよ」
「は、はい!」
ルカーシュは、慌てて注文を取り始めた。
「うちの店は、定食とデザート、ハーブティーを取り扱っております」
「じゃあ、定食でももらおうかね」
夕食時で、ちょうど腹も空いてきたところだった。
「定食は何が食べられるんだい?」
食べられればなんでもよかったが、ルカーシュがちゃんと答えられるのか、ちょっと意地悪であえて聞いた。
「本日の定食のメインは、ふわとろオムライスです。あとはサラダとオニオンスープがつきます」
「ふわとろオムライス……だと? 」
グレーテは息を呑んだが、ルカーシュは不思議そうに首を傾げた。
「どうかしましたか? 大家さん」
「い、いや、なんでもないよ。じゃあ、それをもらおうか」
「かしこまりました!」
ルカーシュは注文票を書いてから、厨房へと入っていった。
ふわとろオムライス……大家をする前に、魔法使いとして冒険者をしていたグレーテには、その食べ物が何か知っていた。
ふわとろオムライスは、先代聖女様が初めてこの国で広めた料理だ。
だが、聖女様がそのレシピを秘匿されていたために、完全に再現したものは、まだ誰もいないとされている伝説のレシピなのである。
(聖女のレシピを語る類似商品か? だとしたら、教会から何か言われる可能性もある……ここは、先代聖女様のふわとろオムライスを食べたことのある私が判断するしかないね)
しばらく待っているとバターとデミグラスの香りと一緒にルカーシュが料理をカウンターへ並べた。
「こ、これは、ぜんぜんふわとろオムライスじゃないじゃないか!」
グレーテは、声を上げた。
出てきたお盆には、サラダとオニオンスープ。デミグラスソースが入ったソースボート。中央にはオレンジ色のチキンライスに、どんとオムレツが乗っただけだった。
こんな物、先代聖女様のふわとろオムライスとは別物だ。先代聖女様がお作りになったものは、ふわふわでとろとろの卵が乗っていたのだから。
メニュー名で期待してしまったが、やはり聖女様のレシピとは別物と言うことか……
久しぶりに冒険者時代の味が食べられることを期待していただけに、グレーテはがっくりと肩を落とした。
「何言ってるんですか、大家さん。これから《《ふわとろ》》にするんですよ?」
失礼します、と前置きしてからルカーシュがナイフを取った。
ルカーシュがナイフでオムレツに切れ目を入れるとオムレツがまるで花開くように開いていく。
「な!」
グレーテは、ごくりと唾を飲みこんだ。
ナイフで広がったトロトロの卵。
それは、若かりしときに食べた聖女のふわとろオムライスそのものだった。
仕上げにルカーシュは、ソースボートから牛肉とバターの香り高いデミグラスソースをオムライスにかけた。
「どうぞ、大家さん。うちの料理長の自慢のオムライスです」
ルカーシュは、満足気に頷いてから他の客の席へ移動した。
「し、信じられない……」
聖女が使う『祝福のレシピ』の魔法は、食材の前で聖女が祈ると眩い光が食材を包み込み、一瞬で料理へと変わる。だから、誰もこのオムライスの作り方を再現できなかったのだ。
グレーテのスプーンを持つ手が震えた。
そっとスプーンでオムライスを掬い、恐る恐る口に入れた。
「む!」
(そうだ……この味だ……)
グレーテの頬を一筋の涙が落ちた。
「お、大家さん!? どうかしましたか?」
厨房から声をかけてきたのは、ブロンドの少女だった。
グレーテは、前掛けのポケットからハンカチを出して、涙を拭いた。
「……いや、大丈夫。懐かしい味だったから、ついね」
オムライスを口に入れた瞬間に広がったデミグラスソースの味。
半熟のまろやかな卵に、少しだけ酸味の効いたチキンライス。
それを食べると、若かった時に先代聖女様と一緒に冒険した日々が一気に脳裏に蘇ったのだ。
『グレーテ、また眉間に皺が寄ってるわ』
焚火の前に聖女とグレーテは並んで座っていた。
聖女は、グレーテの眉間の皺に手をやって、にっこりと微笑んだ。
『元からこういう顔なんです。気にしないでください』
グレーテの返事に、聖女は口元を押さえて、クスクスと笑った。
聖女は荷物の中から木製のトレーと皿を出し、その上に食材を並べ、祈った。
眩い光が食材を包み込んだ。
光が収まると皿の上には、焚火の火を受けて輝くふわとろオムライスが鎮座していた。
『これでも食べて、肩の力を抜いて。あなたは誰よりも厳しいけど、それはあなたの真面目さゆえだって、私は知ってるわ』
『聖女様……』
「お、大家さん?」
ブロンドの少女の気遣う声で、グレーテは現実の世界へと戻ってきた。
「聖女様……お名前は、なんとおっしゃいましたでしょうか?」
「聖女? ……聖女ではないですよ。名前は、ソフィアです」
ソフィアは、グレーテの顔を見て優しく笑った。
その顔は、先代聖女と同じ慈愛に満ち溢れる顔をしていた。
「ソフィア様。先日は、無礼な態度を取ってしまい、大変失礼いたしました」
「あ、頭を上げてください!」
深々と頭を下げるグレーテに、ソフィアは慌てた。
「そんなことより、覚める前に食べてください。温かい方が美味しいですから」
「あぁ、そうですね。では、そうさせていただきます」
グレーテはもう一口ふわとろオムライスを食べた。
口に入れる度に胸の奥が温まる気がした。
(次は、こっちのスープも飲んでみようかね)
ルカーシュは、オニオンスープだと言っていた。
オニオンスープも先代聖女様がよくグレーテに出していたメニューだった。
スープカップに口をつけ、ごくりと一口。
そのまま止まらず、半分ほど一気に飲んでしまった。
(美味い……しかも、魔力強化の効果も、なんだか普通のオニオンスープより強いようだ)
グレーテは、若かりし日に感じていた魔力の奔流が体の中を満たしていくのを感じた。
(やはり、この方は今代の聖女様に違いない。なぜそのことを隠しているかは謎だが、きっとご事情があるのだろう)
グレーテは、お盆に乗った全ての料理を残すことなく平らげた。
立ち上がってレジに向かう。レジには、店に入った時に案内してくれた店員の子が立っていた。
「来ていただき、ありがとうございます、大家さん。これ、今月分の家賃です」
グレーテは食事代を払おうと財布を出していたのに、逆に向こうから金貨を差し出されてしまった。
「家賃は、いらないよ」
「え?」
聖女様がやっている店から家賃を取ることなど、グレーテにはできなかった。
店員の子が困っていると厨房からソフィアが出てきた。
「受け取ってください、大家さん」
「いいえ、聖女様。あたしゃ今日の料理で若い日の想いを思い出させてもらった」
先代聖女様は、誰にだって優しくあたたかいお心の方だった。
この方もきっとこれからたくさんの人を救う偉大な行いをするだろうに、家賃だなんだとケチなことは言いたくない。
「私も聖女様の行いを応援したくなったんだよ」
「それは、ありがたいですが……大家さんは、それで困らないんですか?」
「なぁに、貸している賃貸は他にもある。あたしゃ学生用のアパートの大家もやってるからね。くいっぱぐれることは、ないんです」
ソフィアは、何か思案するように腕を組み唸った。
「分かりました。では、家賃の代わりにいつでもうちに食べに来てください。私たちもお代は結構です」
店を出たグレーテは清々しい気分だった。
冒険者を引退し、大家になって取り立てしているうちに、何か大事なことを忘れてしまっていたのかもしれない。
これからの余生は、聖女様の店を陰ながら応援して過ごそう。きっと先代聖女様だったら、同じことをするだろうから。
グレーテが腹も心も満たされる思いで、店の庭を歩いていると柵の向こうに怪しい女子学生が木の陰から店を見ていることに気がついた。
肩にかかる長さのチョコレート色の髪。「おかしい……ここは、ファンブックでは、ヘンズル食堂って名前だったのに」と不気味なひとりごとまで漏らしている。
(ヘンズル食堂だと?)
この店の以前の名前がヘンズル食堂だったことを知っている人間は少ない。殆どの人が呪いの館と呼んでいたからだ。
(ここをヘンズル食堂と呼ぶこの女子学生……まさか、聖女様のご活躍を邪魔しようとでもしてるのか?)
グレーテの足は、勝手に動いていた。
「ちょっと、あんた」
「な、なに!?」
女子学生は、鬼のような形相で門扉から出てきたグレーテに怯んだ。
「この店のことを嗅ぎまわっているようだが、店を邪魔するようなことは、あたしが許さないよ!」
「じゃ、邪魔なんかしないわ! 私はただルカーシュに会いたいだけなの!」
(この娘、もしかしてルカーシュと聖女様の恋仲を割こうとしてるのかい!?)
「ちょっとどけて! 直接入って確かめるわ!」
グレーテを押しのけて門扉を押そうとした女子学生に、グレーテの手が光った。
「きゃ!」
女子学生が後ろに後ずさる。
グレーテの手には大きな火球がメラメラと燃え盛っていた。
グレーテは、冒険者をしていた全盛期と同じように魔力が漲ってくるのを感じた。
「こんなキャラ知らない! あ、あんただれなのよ!」
「あたしは、大魔導士グレーテ。かつて先代聖女様に仕えていた魔法使いだ。ここを通りたくば、あたしを倒してからにしな!」
グレーテが火球を持った手を振り上げる。
女子学生は、声にならない悲鳴をあげてから逃げていった。
その数日後――
大魔導士グレーテが冒険者に復帰したというニュースが王都中を駆け巡り、新聞でそのことを知ったソフィアだったが、その大魔導士が毎日オニオンスープを飲みに来る大家さんであったことをソフィアは知る由もなかった。
「料理長は悪役令嬢」を一章までお読みいただき、誠にありがとうございます。
2026年10月8日、第2章も投稿しました。
また、気が向いた時に読みに来ていただけますと、大変励みになります!(*‘ω‘ *)




