第30話 今代の聖女は……
「お先にどうぞ、王太子殿下」
大司教がオスカーの隣でにっこりと微笑んでいた。
大司教とは反対側に座る陛下もオスカーを見て頷く。
オスカーは、金のフォークを手に取って、ペンネにフォークを向けた。
プリっとした弾力のあるペンネにフォークが刺さる。ペンネの筒の中には、よく絡まった湯気の立つミートソース。
オスカーは、火傷をしないように息を吐きながら、ペンネを口に入れた。
こ、これは!
もちもちとしたペンネに、口いっぱいに広がるうまみの深いミートソース。フレッシュトマトを使っているものせいか、爽やかな酸味でいくらでも食べられそうだ。肉自体がよく炒められ、味や食感がソースの中に凝縮していた。
オスカーは、たまらず次の一口も食べた。
オスカーが無心で食べる姿に、国王陛下も唾を飲みこみ、食べ始める。
「美味い……なんて、うまみの濃いソースなんだ」
陛下も感嘆の声を漏らした。
「なぜ、こんなにうまみが強いんだ?」
陛下の思いがけない質問にソフィアは、驚いたように眉を上げた。
「ひき肉のうまみが逃げないように、通常よりもよく炒めました。肉の食感もそれで立っているはずです。あとは、トマトが完熟でしたので、水分をよく飛ばして、トマトの持つ力強さを引き出しました」
陛下は、感心したように息をはいてから、またペンネを口に運んだ。
「では、儂も食べてみようかのう」
アンセルモ大司教がぷすっとペンネを刺して、口に入れた。
もちもちと噛み締めてから、うんうんと満足気に頷いた。
「一つ、質問してもよいかのう、ソフィア嬢」
「どうぞ」
「途中、材料を取り換えていたが、あれはどうしてかのう」
オスカーも話を聞いていて、頭をひねった。
確かに……言われてみればその通りだ。
最初は、エルフの男がバットに材料を持ってきていたのに、ソフィアが途中で材料を取り換えに戻っていた。
「実は、予定していたメニューと急遽変更したんです。先ほど、大司教がアリスさんのパスタを食べているのを見て、考えが変わって……」
「ほう」
大司教は、興味深そうに髭を撫でた。
「大司教は、アリスさんのパスタを食べる時に、髭や法衣が汚れることを気にしていらっしゃいました。なので、パスタはペンネにしました。あと、角切り豚肉にも手をつけなかったので……もしかして、大きな肉には抵抗があるのかと、勝手に推理した次第です」
会場の全員がソフィアの答えを聞いて、大司教に注目した。
大司教は、罰が悪そうに笑い、頬を掻いた。
「……見破られてしまったか。もう歳のせいか大きな肉は、飲み込むのにちと時間がかかるんじゃ。テレビカメラも来ているから、もたもたする姿は、見せたくなかったんじゃ」
オスカーは、驚いて大司教とソフィアの顔を交互に見た。
自分が大司教の試食を見ていても、そんなことは一切気がつかなかったからだ。
そういえば……ソフィアが生徒会を去ってから、物がどこにあるか分からないことが増えた。
気に入っているペンを探すのも時間がかかるし、必用な書類を探すのもひと手間だ。
ソフィアがいた時は、生徒会で使ったペンや書類を自分で片付けたことなどなかった。
だけど次の日に、また生徒会室へ行くと、いつの間にか道具や書類は、決まった定位置に戻っていた。
なんでもないことと気にも留めていなかったが、あれはソフィアが気がついてやっていてくれたのではないだろうか。
オスカーは、自分の皿に目を落とした。
少量だったせいか、もう皿の中は、空になっていた。
もう自分がこの美味い料理を二度と食べられないかもしれないと思うと、オスカーは初めて自分の元から離れていってしまった存在の大きさに愕然とした。
「では、審査の結果を伝えよう」
横で大司教が立ち上がった。
オスカーは、大司教の口から出る言葉を予想して、その口を塞いでしまいたくなった。
もし、その結果が言い渡されたら、ソフィアは二度と自分のことを見ることもなくなるんじゃないかという気がした。
「聖女に最も必要な資質は、人を思いやれる心じゃ。今代の聖女は、ソフィア・ルーヴェン嬢とする」
* * *
私は、大司教から出た言葉が信じられなかった。
国王陛下がすぐに立ち上がり拍手をしたが、オスカーは、立ち上がらずにただ天を仰いでいた。
耳がじんじんして、拍手の音がどこか遠く感じた。
だけど、後ろから肩を叩く手があって、私は我に返った。
「やりましたね! 料理長!」
振り返るとルカーシュが拍手してくれていた。その苗色の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「……私……本当に聖女に選ばれたの?」
「そうですよ、料理長! 喜んでいいんですよ!」
自分の手を見ると、手が小刻みに震えていた。
震える手をぎゅっと握りしめて、つかみ取った喜びを噛み締めた。
「やった……」
ぽたぽたと自分の目から涙がこぼれていた。
目標としていたことを自分の力でつかみ取れたことが嬉しかった。
ルカーシュが私にハンカチを差し出してくれた、その時――
「そんなのおかしいわ!」
教会の調理室に響いたアリスの声に、全員がアリスを見た。
「だって、ソフィア様は自分で言いました! 私の料理を見てから、作るメニューを変えたって。そんなの、後出しじゃんけんと同じです!」
私は、自分の目をルカーシュのハンカチで拭いてから言い返そうとしたが、アンセルモ大司教が私の前に出てきて、言葉を止めた。
「アリスよ。先に説明した通り、料理を試食する順番は、出来上がった順番とすることは、説明していたはずじゃ。メニューの変更も禁止してはいない。それに――」
アンセルモ大司教が調理室の入口近くに待機していた助祭のルドルフに目配せした。ルドルフが扉を開けると黒い祭服を着た僧侶が何人も駆け込んできた。僧侶たちがアリスを取り囲む。
「アリスよ。そなたには、悪魔に魅了されているとの嫌疑がかかっておる」
アンセルモ大司教がそう言った途端、アリスの肩に乗っていた生き物が勢いよく飛び立った。一直線にステンドグラスに向かって飛んでいくが、ガラスの手前で何かに弾かれるようにぶつかり、床に落下した。
僧侶が一人駆け寄り、落下した猫を金属製の小さなケージに素早く詰めた。
「出せ! こんちくしょう!」
変な生き物から甲高い声が出たから、私はぎょっとした。
アリスも囲まれた僧侶に捕まり、後ろ手に縛られた。
「わ、私は、何も知りません!」
アリスは、涙を流しながら懇願したが、アンセルモ大司教の顔は険しいままだった。
「観念しなさい、アリス。お前がその悪魔とトマトに傷をつけたり、包丁に細工をしていたことは、知っている。言い逃れは、できないぞ」
これには、私も驚いて、ルカーシュと顔を見合わせた。
アンセルモ大司教は、全て知った状態でこの試験をしていたということなのか。
「連れていけ」
大司教の声にアリスと変な生き物は、調理室の外へと連れていかれた。
変な生き物とアリスは、始終文句を言って、最後まで自分たちの非を認めることはなかった。
「ははははは……なんだ、そういうことだったのか」
よく聞きなれた乾いた笑い声に、私の背筋は凍った。勢いよく振り返るとオスカーが嬉しそうに笑いながら、こちらへ近づいてきていた。
「あの女は、悪魔に取りつかれていたのか……おかしいと思ったんだよ」
一歩、また一歩とオスカーが私に近づく。
私は、嫌悪感から後ろに後ずさった。
「……あぁ、愛しいソフィア。君も僕も、あの女と悪魔の被害者だ」
「な……何を言っているのですか? 殿下」
「目が覚めたよ、ソフィア。僕に相応しいのは、やっぱり君だったんだ。だって君は僕のために努力して、料理ができるようになって、聖女にまでなってくれたんだから」
開いた口が塞がらないとは、このことだ。
私は、オスカーの言っていることが理解できなくて、動けなくなった。
「やり直そう。ソフィア」
「……嫌です」
反射的に口から出ていた。
コックコートのポケットから扇を出して、柄を握りしめた。
「……料理長」
隣でルカーシュが心配そうに私を見ていた。
大丈夫。自分のことは、自分でけりをつける。
私は、一歩前へ踏み出した。
「私はあなたと復縁したりいたしません」
「ソフィア……?」
オスカーは、信じられないといった風に首を傾げた。その態度も全てが腹立たしい。
「百歩……百歩譲ってです……」
かっと腹の内側が熱くなった。言葉にして、オスカーに殴りかかってやりたいくらいだ。ひりつくように喉が痛んだが、私は言葉を絞り出した。
「あなたがアリスに騙されていたとしましょう……でも、あなたが会っていたご令嬢は、アリスだけじゃなかったはずです」
「そ、それは――」
オスカーは、言い訳を考えているのか、目を泳がせた。
「私は、あなたのために料理をしてない! 聖女を目指したのも、あなたのためじゃない! 全部、自分のためです!」
怒りで涙が出そうになったけど、必死にこらえた。今泣いたら、オスカーのために泣いてるみたいに見えるから。
「それが分からない方と私は結婚いたしません! 絶対です!」
震えながら私がそこまで言い切ると、オスカーは膝から崩れ落ちた。震える彼の手にぽたぽたと落ちるものがあった。
オスカーを国王陛下が立ち上がらせようと近づいたが、すっかり力の抜けてしまったオスカーを陛下お一人で立たせることは、できなかった。
涙を流すオスカーを見ても、同情の気持ちが湧かない。
私は、ただ腹立たしくて、オスカーに背を向けた。
「アンセルモ大司教、料理長を他の部屋へ連れていきたいのですが、構いませんか」
ルカーシュが私の肩の上に手を置いた。ただそれだけのことなのに、怒りが少しずつ静まるのを感じた。
「すまない、気がきかなかったのう。こっちじゃ」
大司教の先導で、私とルカーシュは、教会の調理室を出た。
かつての婚約者を心配することなど、私にはもうできないし、する必要もない。
私は、私の生きたいように、自分の力で生きていく。
胸の中にこもった熱がふらつく私の足を前に進ませていた。




