第29話 ソフィアの料理
愕然としているソフィアを見て、大司教の隣に座っていたオスカーは、鼻で笑った。
「何か面白いことでもありましたかな? 王太子殿下」
オスカーの笑いに気がついた大司教が顔を寄せ、こっそりとオスカーに声をかけた。
「いえ、元婚約者のみっともない姿が気になっただけです」
そもそもソフィアは、料理が苦手なのだ。それをわざわざこんなところにまで出てきて恥をかくだなんて、オスカーには理解できない行動だった。
「見てください、あのトマト。切り方が全然なってない。実がつぶれてしまっている。あんなの料理じゃなくてままごとだ」
「おや、本当ですな」と大司教は、長い髭を撫でた。
慣れないことをするからああなるんだ。
そもそも僕は、ソフィアがもっと自分の立場をわきまえて僕に従う姿勢を示していれば、婚約を破棄するつもりなんかなかった。
僕は、料理ができない婚約者を大目に見てやるつもりだったのに、ソフィアが急にデカい態度を取り出したのが腹立たしい。僕がいないと何もできないのだから、浮気だなんだと目くじらを立てないで、大人しくしていれば良かったんだ。
そうこうしているうちに、アリスが出来上がったパスタの皿を持って、大司教に近づいた。
湯気の立つパスタと香ばしい豚肉の香りにオスカーは、自分の腹を押えた。
アリスの顔を見ると、オスカーと目が合ったアリスは、にっこりと微笑んだ。
あぁ、やっぱりこの女にしておくのが正解かもしれないな……
ピクニックデートに行ったときは、つまらない普通のフライドポテトを出してきたものだからがっかりしたが、やはりこうやって料理を作る姿を見ると僕に相応しい存在に思えてくる。
正式に聖女と認められたら、この女を次の婚約者にするのが良さそうだ。
そうしたら、またソフィアは、僕のことを見て泣くかもしれない。
その時は、側妃にでもして慰めてやるか。
そう思うとオスカーは、自分の心が満たされるのを感じた。
「どうぞ、アンセルモ大司教。温かいうちにお召し上がりください」
「うむ」
大司教はアリスの声で金のフォークを手に取り、パスタをくるくるとフォークに巻き付けた。長くて白い髭と白い法衣が汚れないようにか、慎重に口に運んだ。
「不思議じゃ」
全員が大司教の言葉に耳を傾けていた。
「麺の茹で加減、味付け。全てが先代聖女が祝福のレシピで作った時と同じ味じゃ」
その言葉にアリスは、きゃっと短い歓喜の悲鳴をあげて飛び上がった。
大司教は、トマトとオリーブの実もフォークで挿し、口に入れる。最後に立派な角切りの豚肉にフォークを伸ばしかけて、フォークをテーブルに置いた。
「大変美味じゃった、アリスよ。ソフィア嬢の審査が終わるまで、しばらく待っていなさい」
アリスは、まるでもう聖女に選ばれたとでも言わんばかりに、肩に乗っていた猫みたいな生き物と両手を打ち合わせながら、自分の調理台へと戻っていった。
オスカーは、ソフィアに視線を戻して驚いた。
ソフィアの顔に、さっきまでの絶望がなくなっていたからだ。
* * *
「ルカーシュ小鍋にお湯を沸かして」
「何か、解決方法を思いついたのですね、料理長」
さすがはルカーシュ、私のことをよく分かっている。
「えぇ、さっきのアリスの料理がヒントになったわ。ルカーシュ、メニューを変更します」
私は、さっきの大司教の審査を見て、ある仮説を立てていた。
この仮説が正しければ、まだ勝てる可能性は、ゼロじゃない。
ルカーシュは、私の指示に頷いてから小鍋にお湯を沸かし始めた。
その間に私は、食材を玉ねぎ、ひき肉、ニンニクに取り換えた。
「料理長、お湯が沸きました」
「了解。ルカーシュは、玉ねぎをみじん切りにして」
私が持ってきた食材を調理台に乗せると、ルカーシュは素早く玉ねぎの皮を剥きだした。調理台の中を探してみると、みじん切りチョッパーを発見したので出しておく。これでナイフが切れなくても、みじん切りくらいは何とかなるだろう。
次に私は、トマトのおしりの部分にフォークを挿し、小鍋に入れる。
先ほど潰れてしまったところがお湯につかないように注意した。
お湯の力で、トマトの実からトマトの皮が少しずつ浮き上がってくる。
ルカーシュが何も指示していないのに、私の横に耐熱ボールに入った氷水を用意してくれた。もうルカーシュは、何を作っているか分かってくれたみたいだ。
お湯から氷水へトマトを移し、慎重に皮をむく。真っ赤なきめの細かいトマトの実が現れて、私はほっと息を吐いた。やっぱりルカーシュの選んだトマトは、間違ってなかった。
湯むきしたトマトをバットに乗せ、よけて置く。
ルカーシュは、玉ねぎのみじん切りを終えて、フライパンを温め始めていた。
「いいね、ルカーシュ。完璧だよ」
私がそう言うと、ルカーシュは嬉しそうに笑った。
「逆転するよ」
私がアリスを見ると、アリスは信じられないといった風に目を見開いた。
待ってなさい、アリス。
今、私があなたより、アンセルモ大司教を唸らせてみせるから。
* * *
一体……何が起こっているというんだ。
オスカーは、ソフィアの調理を見て、開いた口が塞がらなかった。
さっきまで包丁も碌に使えなかったはずなのに、ソフィアはあっという間にミートソースを作り上げてしまった。
今は、寸胴鍋でペンネを茹で、味見をして茹で加減を確認している。それは、料理の素人とは、程遠い姿だった。
オスカーの横でアンセルモ大司教が髭を撫でながら笑った。
「どうです、王太子殿下。元婚約者の料理は。あれを見ても、まだままごとだと言えますかな?」
オスカーは、その言葉に何も返すことができなかった。
自分の目の前にいるソフィアの姿がどこか遠い存在のように思えた。
「あぁ、ちょっとよいかのう」
ゆであがったペンネにソースをあえて、皿に盛りつけようとしていたソフィアを大司教が手を上げて止めた。
「その料理は、儂と国王陛下と王太子殿下の三人分に盛り付けてくれるかのう」
ソフィアは、驚いたように眉を上げた。
「あぁ、量は減ってしまっても構わない。儂は少し食べられれば、十分じゃから」
「……分かりました」
ソフィアは、皿を少し小さめの皿に取り換えて三枚並べた。そこに出来上がったペンネを盛りつけ、チーズグレーターで削った削りたてのチーズをペンネにかけた。
「お待たせいたしました」
ソフィアが大司教の前にミートソースペンネを置く。
国王陛下とオスカーの前には、ソフィアのアシスタントをしていた男が料理を置いた。
「こ、これが、ソフィアが作った料理……?」
まず湯気に乗って鼻孔をくすぐったのは、チーズの香り。
そしてよく炒められこっくりとした色合いに変わったミートソースが視覚からオスカーの胃袋を刺激した。
オスカーは、その魅惑的なパスタを前に、ごくりと唾を飲みこんだ。




