第27話 傷つけられたトマト
大きな赤いトマトの実を手に取ってみて驚いた。
トマトに小さな獣の爪で引っ掻いたような傷がついていたのだ。
赤い薄皮に三本の細い傷。しかも傷のところからカビが生え、明らかに痛んでしまっていた。
慌てて、他の赤い実も確認するがどれも同じような状態で、とてもじゃないが人に出せる状態ではなかった。
やられた……さっきアリスが言っていたことは、きっとこのことだ。
私は、自分が見ていた右側の畑を見終わると、ルカーシュが見ている左側の畑にも入った。
「ルカーシュ、どうしよう! トマトが全部、傷つけられてる!」
ルカーシュに駆け寄ると、ルカーシュもちょうど傷つけられたトマトを手にしているところだった。
「この傷は、意図的につけられたものです。カビの状態から見るに、昨日か一昨日につけられた傷でしょうね」
「な、なんで、そんなに冷静なの?」
このままだったら、まだ完熟していないトマトを使わないといけなくなってしまう。
ルカーシュは、私の顔を見てから、ぽんぽんと私の頭を軽く叩いた。
「大丈夫です、料理長。さっき、いいトマトを見つけたんです」
「どこ?!」
私がルカーシュをせっつくと、 ルカーシュは私の手を引っ張って、温室のガラスの壁まで連れていった。
「これです」
ルカーシュがしゃがんで指を指したのは、トマトの枝の中段くらいに実った大きな実だった。温室のガラス壁によりかかったように実ったそれは、確かに大きくて赤い。
私もしゃがんで、その実をよく観察した。
その実は、他の実と違って獣の引っ掻き傷のようなものはなかったが、その代わり、実のおしりの部分がへこみ、黒くなっていた。
「このトマト、痛んでるじゃない」
「傷はあります。でも、これがこの畑の中で、一番甘いトマトだと、《《トマトが言ってます》》」
私は、ルカーシュが何を言っているのか分からなくて混乱した。
「……食べられるってこと?」
「はい。黒い部分を切り落とせば、いいだけです。きっとアリスもこのトマトが痛んでいないトマトだと知らなかったんでしょうね。だから、これにはわざわざ傷をつけなかったんだと思います」
「……分かったわ」
なぜルカーシュがこうも自信満々なのかは、分からない。だけど私は、ルカーシュを信じている。
ルカーシュは、いつだって森の恵み亭で一番おいしい野菜を提供し続けてくれた。ルカーシュがこのトマトが一番甘いと言うのだから、私はそれを信じるだけだ。
私は、作業着のポケットから鋏を出して、そのトマトを収穫した。
取った実を顔に近づけてみたが、かび臭さや腐敗臭といった匂いは、一切しなかった。甘いトマトの香りが鼻を抜けた。
「よし、戻りましょう」
私たちは、そのトマトを持って温室の入口へと向かった。
全てのトマトを見ていたから、結局制限時間の三十分ぎりぎりで温室を出ることとなった。
* * *
その頃、公爵邸の娯楽室――
『おーっと! これは、どういうことでしょうか?!』
リポーターの困惑した声に、ナタリアは公爵様を押しのけて、テレビに引っ付いた。
アンセルモ大司教の前に戻ってきたお嬢様の手には、黒いへこみのあるトマトが握られている。
「えぇ!? お嬢様は、どうしてあんな黒いトマトを!?」
ナタリアは、ショックのあまり絶叫した。
温室の中で何が起こっていたのか、テレビの前の視聴者は皆、知らない。
ただ、アリスが得意げな顔で十分もしないで戻ってきて、お嬢様が時間ギリギリで黒いトマトを持ってきたのだけは、テレビの画面にしっかりと写っていた。
「落ち着け、ナタリア。あと、主を押しのけるな」
「でも、旦那様! あんなトマトを取ってくるだなんて、おかしいです! 絶対温室の中で、何かあったに決まっています!」
「大丈夫だ、ナタリア。ソフィアの顔を見てみろ」
公爵様の言葉にナタリアは、テレビに映る主をもう一度しっかりと見た。
「わ、笑ってる……?」
テレビ画面に映るお嬢様は、額に汗を浮かべながらも、口元にはなぜか余裕があった。
公爵様は、ナタリアの言葉に頷く。
「ソフィアは、あえてあのトマトを採ってきたんだ。私たちもソフィアを信じよう」
テレビ画面では、お嬢様の映像の上に小さなワイプ画面でリポーターと解説者が現れた。
『えー、今回は、王宮料理長も務めていらっしゃるクックシェフにお越しいただいています。早速ですが、聖女候補二人が選んできたトマトについて、解説をお願いいたします』
クックシェフは、白いちょび髭をぴんと引っ張りながら、目を細めて両者のトマトを見比べた。
『ふむ、ソフィア嬢が収穫してきたトマトは、尻腐果ですな』
『なんですか? それは』
『尻腐果というのは、トマトの生理現象です。水分が減ってカルシウム供給が不足するとこうなります。だから痛んでいるわけでは、ないんです』
『し、知りませんでした!』
『尻腐果は、見た目は悪いので市場に出回ることは少ないですが、よく熟した実は、ほかのものに比べて高密度で糖度も高いです。これだけ張りと色の良い実なら、味は間違いないでしょう。さすがは、聖女候補ですね。よく勉強していますよ』
クックシェフは、感心したように息を吐いた。
リポーターが次に注目したのは、アリスのトマトだ。
『クックシェフ。では、アリスさんのトマトは、どうです?』
『ふむ。こちらも、色、艶、張り、どれをとっても申し分ない出来のトマトですね。いやはや、これは二次試験の料理対決がいよいよ楽しみになってきましたよ』
『クックシェフ、分かりやすい説明をありがとうございます。では、アンセルモ大司教の審判に集中してみましょう』
テレビの上に表示されていたワイプ画面が消え、画面にはアンセルモ大司教の満足げな笑顔が写った。
* * *
アリスと肩に乗った生き物は、私が採ってきたトマトを見て、口もとを押えてクスクスと笑ったが、次の大司教の言葉に目を見開いた。
「ふぉっふぉっふぉ、二人とも、随分とうまそうなトマトを採ってきたのう」
アンセルモ大司教の評価に、私は内心でほっと息を吐いた。
ルカーシュ、ありがとう!
アリスは、信じられないとでも言いたげな顔をしている。
アンセルモ大司教は、ちらりとアリスの肩に乗った猫みたいな生き物に視線を送った。
「二人とも、一次試験は合格とする。一時間の休憩後、二次試験会場へと案内するので、それまでに着替えなどを済ませておくように」
アンセルモ大司教は、それだけ言うと陛下やオスカーが座る天幕へと戻っていった。




